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第5話

 ティールームに来たダスティンは、お茶の用意ができていないことに怪訝な顔をした。


「今日のお茶は、東国産です。準備から見せるのがお作法なのですって」


 にっこりと笑う私に、ダスティンも応じる。


「東国にもお茶があるとは」

「ええ、こちらとは少し違っているとか」

「我が国も、東国のものが入るようになったのだね」

「いいえ。これは姉さまのお土産ですわ」


 私は視線を合わせて答えた。ダスティンは少し考えてから、


「ああ、隣国は巫女姫様がおられたのだったね」


と頷いた。


 今年、隣国の公爵家に東国の巫女姫が嫁いだ。異国の神秘的な巫女姫のおかげで東国風が大流行中だ。


「東国の秋を祝うお茶で、人気で品薄だそうです」

「それは楽しみだ」


 晴れやかに笑うダスティンに、不信が募る。


 この人は姉さまを蔑ろにし、婿入り先を貶めたのを何とも思ってないのか。


 私は微笑みつつ、戸惑っていた。


 姉さまの留学後、家に来たダスティンは私たち家族に友好的で、私の世話を焼き、ロージー姉さまと乗馬を楽しみ、父から熱心に仕事を教わり、母には常に礼儀正しく気遣っていた。


 アイリス姉さまにだけ対応が酷い。普通、婚約者を一番大事にするものだろうに。


 この人は、いったいどういうつもりだろう。


 エマがお茶の支度にやってきた。ガラスのティーポット、カップ、小さな茶筒、不思議な菓子に目を奪われる。


「こちらが東国の祝い菓子、秋に咲く花を摘み取り、甘く固めたものでございます」


 半透明の飴らしきものに、桃色の花弁が閉じ込められていた。


「きれい。花も食べられるのね」

「いいね。女性が好みそうだ」


 私たちの感想の後、エマは小さな茶筒を開けた。


「そして、こちらが東国の『花茶』になります」


 透明なティーポットにざらざらと乾燥した花頭を入れてお湯を注ぐ。すると、丸まっていた花がお湯を含んでゆらりと柔らかく開いていく。


「まあ」

「これは、見事だ」


 ポットの中で黄色い花々が咲くさまを、思わず二人で見入ってしまう。黄色い花が開ききると、水色が変わり始めた。花の色がお茶に溶け込んで琥珀色を深め、花は白く変わっていく。お茶に浮かぶ花々が幻想的だ。


「この花は東国で神聖なもの、祝祭の日に秋を寿ぐのに欠かせないものだそうです」


 説明するエマは、まずお湯でカップを温めて捨てる。注がれたお茶は清涼な香りだった。


「ああ、この香り」


 これはアイリス姉さまから借りたハンカチの香りだ。


「見た目より爽やかだね」


 ダスティンも興味深そうだ。


 お茶を口に含むと、ほの甘さの奥に微かな苦みがあった。後味と香りがさっぱりしている。


「私、好みですわ」

「味も香りも予想外だが、悪くない」


 祝い菓子も一つ食べてみる。上品な甘さだ。表面はシャリッとしていて中はむっちりと弾力があり、中の花弁がしゃくしゃくとして面白い。


「食感が楽しいですね」

「甘さがくどくないのがいいな」


 場が和んだところで、私は本題を切り出した。


「ダスティン義兄さま。私は婚約者として、もっと義兄さまを知りたいのです。これからは話し合う時間を多くして、お互いの理解を深めませんか?」


 私の提案に、ダスティンはにこやかに答えた。


「うん、そうだね。私たちはもっと交流を深めるべきだ」


 ダスティンはカップを置くと、笑みを深くした。


「ミリカがいろいろ考えてくれて嬉しいよ。ただ、淑女の方から言いだすことではないかな」


 言われた意味を掴みかねて、私は曖昧に微笑んだ。


「まだ、十二才だからね。わからなくても仕方ないよ。これからたくさん学んでいけばいい」


 固まる私を、ダスティンは反省したと受け取ったらしい。


「あと、今日の服はとても素敵な水色だけど、背伸びしすぎかな。もっと年相応なものが似合うよ」


 その言葉で思い出した。


『その服は背伸びしすぎかな』


 前回のダスティンにも同じことを言われた。抑えめの装飾がお気に入りだった服は、年上の婚約者からはそう見えるのだと悲しくて、着なくなった。そうだ、思い出した。


 私の冷えた気持ちをよそに、ダスティンは続ける。


「ブロック家の自由な家風は素晴らしいけれど、そのままだとミリカが困るだろう。ゆっくりでいいから、婚約中に淑女のふるまいを覚えよう。私も協力するよ」


 私は怒りのあまり笑みが漏れた。ダスティンはそれを恭順と思い、微笑み返す。なんて浅はかな。


「いいえ、その必要はありません」


 自分でも驚くほど冷たい声がでた。


「我が家は現在、自力で隣国留学のできる才媛も、剣の才を推薦される逸材も輩出しております。我が家は抜きんでているのですわ」


 私は怒りを隠さず、まっすぐダスティンを睨みつけた。


「私、先程の発言の撤回と、謝罪を求めます」


 ダスティンは一瞬怯んだが、また優しげな表情を繕った。


「ミリカには幼くてわからないかもしれないが、貴族社会というのはね」

「私は、確かに社交界デビュー前です」


 私は声を張って、ダスティンの詭弁を遮る。


「その私でも、婿入り予定の家を貶めるなんてまともな方のすることではないとわかりますわ。アイリス姉さまにも、このように仰っていたのですか?」


 私の追求にダスティンが黙った。お互い目をそらさないまま、沈黙が続く。


 不意にダスティンが咳をした。顔をそらし、ゴホゴホと咳きこんで止まらなくなった。


「あの」


 声をかけたら、ダスティンが左手を前に突き出した。咳で話せないらしい。喉を潤そうとカップを口元に近づけた瞬間。


 カハッ。


 咳が嫌な音に変わった。手から滑り落ちたカップが割れ、ダスティンが両手で喉を抑えて苦しみ始めた。床に膝をついて吐くようにもがいている。


「ダスティン義兄さま!」


 私が駆け寄るのと、エマが悲鳴を上げるのが同時だった。


「誰か、お医者様を呼んできて! 早く」


 私の大声で、エマが走って部屋を出て行った。人を呼ぶ声が遠ざかっていく。


 ダスティンの喉がゴロゴロと気味の悪い音をたてた。


「義兄さま!」


 膝をつき、伸ばした手は思い切り払われた。よろけた私にダスティンは強い視線で、


「来る、な…っ」


と言うと、また激しく咳きこんだ。


 目を見開いたダスティンの喉から獣じみた音がした瞬間、甘ったるい悪臭が漂った。私は反射的に鼻と口を手で覆う。すると、ダスティンの喉から黒く長い靄が一気に吐き出された。反動で倒れて呻くダスティンの横で、それらは生き物のように床をのたうちまわる。


 声にならない悲鳴を上げる私の前で、靄が暴れていた。私が後ずさると、靄が私の方にぬるりと動いた。


「ひっ」


 私は恐怖で固まった。逃げたいのに体が動かない。その時ダスティンが呻き、靄はぬるりとダスティンの方へ向き直った。そのまま近寄っていく。


 また入るつもりだ。とっさに私は右手でバシッと床を叩いた。


 音に反応した靄が、また私の方へとぬるぬると動いてくる。怯えた私は後ずさり、テーブルの上に手を伸ばした。思わず触れたものを投げるが、当たらない。ティーポットを靄の前に叩きつけた途端、飛沫を浴びた靄が急に暴れはじめた。


「えっ」


 お茶と出涸らしの花を浴びて苦しむ靄が、身を捩り悪臭を撒いて崩れていく。暴れながら小さくなり、やがて跡形もなく消えてしまった。


 呆然とする私の耳に、大勢の足音が聞こえてきた。


「ミリカ様! リックウッド様!」


 エマの声に振り返った私は、この状況が他人からどう見えるかを考えてもいなかった。

お読みいただきありがとうございました

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