第44話
居間に通された後、ダフニー様との語らいは思わぬ辱めから始まった。
「アイリスはね、ロージーが、ミリカがねって、よくあなた方の話をしていたのよ」
そうして語られたのはアイリス姉さま視点の私達との思い出なのだが、幼い私の率直な愛情表現だとか、言い間違いや勘違いが愛らしい話等をダフニー様はコロコロ笑ってお話しする。当の本人には赤面ものだった。これを意見交換会の方々はみんな知っているのか。私は微笑みながら耐えた。本当によく耐えた。
「姉は皆様と深く交流なさっているのですね」
話が一段落したところでそう切り出すと、ダフニー様は笑って答えた。
「ええ。私達、アイリスがいたからみんなと仲良くなれたのだと思うわ」
「姉が、ですか?」
ダフニー様の答えは意外なものだった。私の知るアイリス姉さまは大人しく控えめな人で、煌びやかな令嬢たちとの交流も、隣国へ留学することも、我が家では全くの予想外だったから。
「一番最初にお茶会に招いたときに、アイリスは私の過ちを止めてくれたの」
当時、ダフニー様は趣味が高じて香り高く肌によいクリームを開発したばかり。流行に敏感なご令嬢たちを集めたお茶会で披露して、商品を売り込もうとした。運よく侯爵令嬢が興味を示し、嫁いだばかりの姉に贈ろうと商品を求めたのだが。
「そこをアイリスに止められたの。その香りが気になるって」
クリームの効能と香りづけに欠かせない薬草が、なんと妊娠したばかりの体にはよろしくないものだった。
「あのまま渡していたらと思うと、今でもゾッとするわ。そのご令嬢、フェリシア様だったの」
私は思わず叫びを飲み込む。
「あのフェリシア・ウィーラー侯爵令嬢ですか。ではそのお姉さまというのは」
「そう、シェルミッド辺境伯に嫁がれたリーベス様よ」
血の気が多いと噂の辺境伯に危うく弓を弾くところだった。
「その時のアイリスはね、涙目で震えて、声もだんだん細くなって、でも必死で話していたの。私達は、その知識と勇気に心打たれたわ」
「姉はそのようなことを」
「ええ。才能ある心優しいアイリスのことを、私たちみんな尊敬してるし大好きよ。でも、なぜか周りの評価が低くて不思議だったわ。だから留学を勧めたの。私達は、アイリスがもっと広い世界で活躍できる人だと思っている」
そう言ってにっこりと笑うダフニー様は友達思いの十六才のご令嬢だ。しかし、その奥に人を見る目に長けたやり手の商人の片鱗が見えた。
今が好機だ。私は思い切ってダフニー様に切り出す。
「今日は、ダフニー様にお聞きしたいことがあって参りました」
「何かしら?」
「姉の、アイリスのデビュタントで起こったことを教えていただきたいのです」
笑顔はそのままに、ダフニー様の周りがすうっと冷えた。
「何故、私に?」
ダフニー様の眼差しが、私の良く知っているダフニー・ブラドル商会部門長に変わった。私は背中につうっと汗が伝うのを感じ、膝に置いた手をぎゅっと握った。怯むな。相手はまだ十六才のダフニ・ーブラドル嬢だ。自分に言い聞かせて口を開く。
「意見交換会で同じ年にデビュタントに出られたのは、ダフニー様だけですよね。姉も、ダフニー様と同じだから心強いと申しておりました」
ダフニー様は無言でこちらを見ていて、私は目をそらさず続ける。
「私、この度、ダスティン・リックウッド伯爵令息と婚約し、家を継ぐことになりました。ですから、当家の不備を知っておきたいのです。もう過ちを繰り返さないために、どうかお願いいたします」
そう言って頭を下げた。
このようなやり方、十年後のダフニー・ブラドル部門長には無言で扉を示されるだろう。
でも、今のダフニー・ブラドル伯爵令嬢なら、親友の年若い妹が家と姉を守るために頭を下げているとなれば。
どのくらい経っただろう。ダフニー様の溜息が聞こえた。
「もう顔をお上げなさいな。あなたの婚約のことは聞いていてよ。アイリスは薬草学に専念できて感謝していたわ」
私がそっと頭をあげると、ダフニー様は目を伏せて冷えたお茶を下げさせていた。
「そうですか。それを聞いてこちらも安心しました」
私の前のお茶も下げられ、変わりにぐるりと金色の文様が囲むガラスの器で異国のお茶が供される。涼やかな香りの熱いお茶。
「砂の国の一部で飲まれているお茶よ。ちょっと変わった、癖になる味わいをしているわ。お試しになって」
熱すぎてほんの一口舐める程度でも、充分刺激的だった。甘くて苦くて濃い味と裏腹に鼻に涼やかな香りが抜けていく。驚く私に、ダフニー様は複雑そうな表情で言った。
「聞いたことを後悔するかもしれなくてよ」
「それは、覚悟の上です」
「ではお教えしましょう」
そう言ったダフニー様から、一気に冷たい怒りが放たれた。
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