第40話
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静かな部屋で、その声はよく響いた。
「では、私がいただきますわ」
そう言ったアイビーはカップを持ち上げた。
「アイビー!」
鋭い声で名前を呼ぶサイス様に、アイビーはにっこりと笑う。
「大丈夫です」
「大丈夫なものか! 報復かもしれないだろう!」
やはりサイス様に警戒されていた。しかし我が家からの報復は、王家の判断に異を唱えると同義。ありえないことだ。毒を盛られて神経質になっているのか、頑ななように思えた。
そんなサイス様にアイビーは首を横に振り、静かな声で答えた。
「私の友人は、力になると言いましたのよ。私はそれを信じます」
私を見て、アイビーが微笑む。
アイビーには伝わっている。そのことが何より嬉しく、私もアイビーを見つめて頷いた。
アイビーはそのままカップに口をつけ、サイス様の喉がひゅっと鳴った。お茶を含んだアイビーの目が大きく見開かれ、
「あら、意外とあっさりしたお味ね」
けろりと言い放った。サイス様がぐっと口を引き結び、俯く。
バローネ家の使用人を立ち会わせて用意させ、私が毒見を、その後アイビーが味わったというのに、サイス様は一向に手を付けようとしない。どうして。
「エンリケ」
ダスティンが声をかける。サイス様は黙って俯いていた。
「これはそちらだけの問題ではない。今回発覚したのがバローネ家だっただけ」
「黙れ」
短く遮る低い声が響いた。
「他人事だと思って、軽く言ってくれるじゃないか。『だっただけ』だと? さすが、婚約者をデビュタントであのように扱う男だな。そのお前を、私に信じろと?」
顔を上げたサイス様はダスティンを睨みつける。
私はサイス様の言葉で、アイリス姉さまの話を思い出す。
ダスティンと二人で話していた時には『あのデビュタントがあったから、私、隣国で頑張れましたのよ』と。一方でイエルにデビュタントの様子を訊かれて『皆様とのお話はご挨拶くらいしか覚えておりませんの』と答えた。
「あの時私が声をかけなかったら、どうなっていたと思う。考えが浅く、迂闊なお前など信に足りぬ」
吐き捨てるように答えたサイス様を、ダスティンは静かに見ていた。
「それでも」
ややあってから、ダスティンは口を開く。
「私だから言えることがある。今、お前の判断はオリビア様を大切に思うあまり、暴走してはいないか? お前がここでバローネ家の面目に拘るのは、最良なのか? ……間違えた私だから言うのだ。エンリケにはそうあってほしくない」
最後の絞り出すような声に、サイス様の眉根がぐっと寄る。
二人を見つめながら、私は考えてしまう。アイリス姉さまのデビュタントで何があったのだろう。
重苦しい沈黙の続く中、突然ノックが響いた。扉に目をやると、オリビア様が侍女に支えられて入ってくるではないか。
「ごきげんよう、皆様。このような無作法、お許しくださいね」
「オリビア」
慌てて立ち上がったサイス様が、侍女から奪うようにオリビア様を抱きとめる。
「エンリケ。エスコートしてくれるの? 嬉しいわ」
「何故来たんだ! 横になっていないと」
「もうずいぶん調子がいいのよ。少しずつ動かないと、歩けなくなりそう」
サイス様の怒りを受け流し、オリビア様は優雅に笑った。サイス様の手を借りて、オリビア様は手早く整えられた席に着く。もちろんサイス様の隣だ。
「ごきげんよう、ミリカ様。私もご相伴にあずからせていただけますか?」
「オリビア!」
「まあ、エンリケ。わざわざバローネ家までお持ちいただいたのよ。しかも、茶器から淹れ方全てをこちらの使用人複数に確かめさせ、ブロック家の侍女は指示だけ。ここまでご配慮いただいているのだから、じっくり味わわなくてはね」
オリビア様はころころと笑って、サイス様をいなしている。強い。
「それに、敢えて新しいお茶を持ってきたのでしょう? ね、ミリカ様」
オリビア様の微笑みは、後継としてのそれだった。気を引き締めなくては。私も背筋を伸ばして応じる。
「さすが、オリビア様ですね。このお茶を飲んでいただくことで、我がブロック家に表向き屈していただきたく参りました」
「で、我が家をどうなさろうというのです?」
「最終的には、バローネ家に咎なく収められればと」
「あら、何か秘策がおありなのね」
「ふふふ、その為にブラドル伯爵家のダフニー様をお紹介いただけませんか?」
笑顔のオリビア様に私も微笑み返す。しばらく見つめあった後、オリビア様が答えた。
「お姉さまのアイリス様からお話しなさった方がよろしいのでは?」
「いいえ、バローネ家からのご紹介が必要なのです」
私の言葉に、オリビア様は微笑んだまま考えておられる。
折よくオリビア様の前に飲み頃のリナーリス茶が置かれ、サイス様の前にも新しいものに取り換えられた。
「いただきましょう。エンリケ。アイビーはもう味わったのでしょう?」
笑顔で頷くアイビーに笑顔で返すと、オリビア様はサイス様を促した。
「オリビア」
「エンリケ、心配してくれてありがとう。ここは我が家の度量を見せるところよ。あなたと一緒なら、大したことにはならないわ」
そう言われて、サイス様もしぶしぶカップに口をつける。
一口味わったオリビア様が、面白そうに目をしばたたかせた。
「飾らない、優しいお味がするわ」
「ああ、思ったより飲みやすい」
そう言ったオリビア様とサイス様が見つめあって微笑む。
その時、パリンと音がした。薄いものが割れるような、本当に微かな音。私は自分の茶器を確かめるが、変わったことはない。そっと辺りを見回してみても、何かが壊れたような気配はなかった。どういうことだろう。
「ミリカ様」
オリビア様に呼ばれて、ハッとした。オリビア様は笑顔で私にこう告げた。
「紹介状をお書きしますわ」
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