第34話
※閲覧注意
流産の表現がございます。苦手な方は避けてください。
「食欲がないのか?」
向かいあって朝食をとる夫にそう訊かれた。
「そうね。今日はもういいかも」
「大丈夫か? この前の酷い風邪だって、治るまでずいぶんかかったろう?」
「まあ、あなたったら。あれは真冬でしょう。今はもう夏の初めで、すっかり元気だわ」
ころころと笑って見せるが、心配性の夫は納得しない。私はとっておきの秘密を打ち明けることにした。
「それにね、美味しい料理もこの子にはまだ早すぎるみたい。少しずつがいいのですって」
笑いながらお腹に手を当てて見せると、夫がぽかんとした表情で動きを止めた。そのままあまりに動かないので、私は焦って声をかけた。
「……あなた?」
呼びかけに、夫は口をはくはくさせてから声をあげる。
「今のは、聞き間違い、でなく」
「ええ。お腹に私たちの子供がいるわ。順調なら冬の、きゃあ!」
急に夫が立ち上がり、私の手をとってぶんぶんと振る。
「ミリカ! ああ、最高だ! 何が、何なら食べられる? いや、安静が一番か。すぐ横になって。ベッドで食べればいい!」
「ダスティン、落ち着いて」
「無理だよ! 女神様。感謝いたします。引き続き我が妻と子に永き祝福を!」
涙目で騒ぐダスティンを宥めて二人で笑いあった。間違いなく、私の人生で最良の日。この幸せがずっと続くと思っていた。
この先は見たくない。いやだ、進まないで、このままでいて。
夏の盛り、突然下腹部に違和感を覚えて蹲る。強くなる痛みと脂汗。声を絞りだし助けを呼んだ。
「おねがい、助けて」
願いは、届かなかった。
ベッドの傍で医師が頭を深く下げた。寝たきりで、ただそれを眺めた。
起き上がれるようになった私に、ダスティンは沈痛な顔で「君だけでも無事でよかった」と。
何がよかった? あの子はもういないのに。
いつしか季節は過ぎて冷たい冬がきた。あの子がいるはずだった冬が、冬だけがやってきた。
◇
「……か、ミリカ!」
大声にハッとする。気づけば私はベッドに寝かされていた。上からロージー姉さまに覗き込まれている。
「気が付いてよかった」
戸惑う私にロージー姉さまが半泣きの顔で話しかける。
「話していたら倒れて。ごめんなさい。もっと落ち着いてからにするべきだった」
そうだ。思い出した。バローネ子爵邸で毒を盛られて、ロージー姉さまからあのお茶に子供を望めない作用があると聞いた。だから、昔の夢を見たのだ。前回死ぬ二年前の、私とダスティンが修復不可能となったきっかけの、あの子のことを。
「まだ顔が青いね。なにか飲む? 今エマを」
「ロージー姉さま」
気遣う姉さまを遮るように
「今は一人でいたいの。お願い」
私は子供のような口調でそう言うのがやっとだった。
「ごめんなさい。……何かあったら、いつでも呼んでほしい」
ロージー姉さまはそっと部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋の中を、私はぼんやりと見ていた。
あのときも涙はでなかった。悲しみが大きすぎると泣けないのだと知った。でも私に悲しむ資格などなかったのだ。前回の生で、あのお茶を愛用していたのだから。
私が、あの子を。
◇
湯気の立つスープが目の前に置かれて、私はゆっくりと一匙すくって飲み込んだ。大好きなマッシュルームのスープはいつもどおり美味しい。
「もう食べられないわ。ごめんなさい」
私が言うと、エマは悲しそうにスープを下げた。
あれからものが上手く飲み込めない。一口だけなら食べられるが、エマに励まされ二口目を飲み込んだ時は吐き戻してしまった。
座っているのもつらくて、横になって少しまどろみ、食事を差し出されて一口だけ味わう。その繰り返し。その合間に訪れた父は顔を曇らせ、母は涙ぐみ、姉は何度も詫びた。その姿に何も返せない。医師が診察の後「衝撃が……今は……」途切れ途切れにそんなことが聞こえた。
みんなに心配をかけているのに。どうしても食べられない。料理長が丁寧に作る食事はいつも美味しいのに、美味しいから、美味しいと思ってしまうから。
あの子から全てを奪ってしまった、私は、私を許せない。
「ミリカ様、ダスティン様からお花をいただきましたよ」
エマの声がして、水盆に張られたマトリカリアが運ばれてきた。
ダスティンの見舞いは一番最初から断った。それでも託と花などは届く。マトリカリアを見ていられなくて、目を瞑った。いつしか陽も落ちていた。
◇
日々は過ぎ、やがてバローネ家からアイビーが謝罪にやって来た。
お読みいただきありがとうございました