表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/55

第34話

※閲覧注意

流産の表現がございます。苦手な方は避けてください。

「食欲がないのか?」


 向かいあって朝食をとる夫にそう訊かれた。


「そうね。今日はもういいかも」

「大丈夫か? この前の酷い風邪だって、治るまでずいぶんかかったろう?」

「まあ、あなたったら。あれは真冬でしょう。今はもう夏の初めで、すっかり元気だわ」


 ころころと笑って見せるが、心配性の夫は納得しない。私はとっておきの秘密を打ち明けることにした。


「それにね、美味しい料理もこの子にはまだ早すぎるみたい。少しずつがいいのですって」


 笑いながらお腹に手を当てて見せると、夫がぽかんとした表情で動きを止めた。そのままあまりに動かないので、私は焦って声をかけた。


「……あなた?」


 呼びかけに、夫は口をはくはくさせてから声をあげる。


「今のは、聞き間違い、でなく」

「ええ。お腹に私たちの子供がいるわ。順調なら冬の、きゃあ!」


 急に夫が立ち上がり、私の手をとってぶんぶんと振る。


「ミリカ! ああ、最高だ! 何が、何なら食べられる? いや、安静が一番か。すぐ横になって。ベッドで食べればいい!」

「ダスティン、落ち着いて」

「無理だよ! 女神様。感謝いたします。引き続き我が妻と子に永き祝福を!」


 涙目で騒ぐダスティンを宥めて二人で笑いあった。間違いなく、私の人生で最良の日。この幸せがずっと続くと思っていた。


 この先は見たくない。いやだ、進まないで、このままでいて。


 夏の盛り、突然下腹部に違和感を覚えて蹲る。強くなる痛みと脂汗。声を絞りだし助けを呼んだ。


「おねがい、助けて」


 願いは、届かなかった。


 ベッドの傍で医師が頭を深く下げた。寝たきりで、ただそれを眺めた。


 起き上がれるようになった私に、ダスティンは沈痛な顔で「君だけでも無事でよかった」と。


 何がよかった? あの子はもういないのに。


 いつしか季節は過ぎて冷たい冬がきた。あの子がいるはずだった冬が、冬だけがやってきた。



「……か、ミリカ!」


 大声にハッとする。気づけば私はベッドに寝かされていた。上からロージー姉さまに覗き込まれている。


「気が付いてよかった」


 戸惑う私にロージー姉さまが半泣きの顔で話しかける。


「話していたら倒れて。ごめんなさい。もっと落ち着いてからにするべきだった」


 そうだ。思い出した。バローネ子爵邸で毒を盛られて、ロージー姉さまからあのお茶に子供を望めない作用があると聞いた。だから、昔の夢を見たのだ。前回死ぬ二年前の、私とダスティンが修復不可能となったきっかけの、あの子のことを。


「まだ顔が青いね。なにか飲む? 今エマを」

「ロージー姉さま」


 気遣う姉さまを遮るように


「今は一人でいたいの。お願い」


 私は子供のような口調でそう言うのがやっとだった。


「ごめんなさい。……何かあったら、いつでも呼んでほしい」


 ロージー姉さまはそっと部屋を出て行った。


 誰もいなくなった部屋の中を、私はぼんやりと見ていた。


 あのときも涙はでなかった。悲しみが大きすぎると泣けないのだと知った。でも私に悲しむ資格などなかったのだ。前回の生で、あのお茶を愛用していたのだから。


 私が、あの子を。



 湯気の立つスープが目の前に置かれて、私はゆっくりと一匙すくって飲み込んだ。大好きなマッシュルームのスープはいつもどおり美味しい。


「もう食べられないわ。ごめんなさい」


 私が言うと、エマは悲しそうにスープを下げた。


 あれからものが上手く飲み込めない。一口だけなら食べられるが、エマに励まされ二口目を飲み込んだ時は吐き戻してしまった。


 座っているのもつらくて、横になって少しまどろみ、食事を差し出されて一口だけ味わう。その繰り返し。その合間に訪れた父は顔を曇らせ、母は涙ぐみ、姉は何度も詫びた。その姿に何も返せない。医師が診察の後「衝撃が……今は……」途切れ途切れにそんなことが聞こえた。


 みんなに心配をかけているのに。どうしても食べられない。料理長が丁寧に作る食事はいつも美味しいのに、美味しいから、美味しいと思ってしまうから。


 あの子から全てを奪ってしまった、私は、私を許せない。


「ミリカ様、ダスティン様からお花をいただきましたよ」


 エマの声がして、水盆に張られたマトリカリアが運ばれてきた。


 ダスティンの見舞いは一番最初から断った。それでも託と花などは届く。マトリカリアを見ていられなくて、目を瞑った。いつしか陽も落ちていた。



 日々は過ぎ、やがてバローネ家からアイビーが謝罪にやって来た。

お読みいただきありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ