第33話
「ミリカ様、さすがに起きてくださいませ」
呆れ顔のエマに起こされたのは昼近かった。
私は夢も見ないほどに熟睡していた。そう都合よく女神さまは現れてくれないらしい。
「まあ、そうよね」
呟く私にエマは不思議そうな顔をした。私はにっこりと笑ってごまかし、身支度を手伝ってもらう。顔を洗い、着替えてさっぱりしたところで朝食と兼用の昼食を楽しんだ。
「それにしても退屈」
私は食後のお茶を飲みながら、つい零してしまう。
「仕方ありませんよ。流行り病の疑いがあったのですもの。初期なら一週間の安静で治ると聞きました。少しの間、大人しくなさいませ」
エマの言葉は思いがけないものだった。私の監禁生活は表向き療養となっているらしい。確かに他家で毒を盛られるなど決して広まりたくない醜聞だが、家の者にも隠すほどなんて。それにこれほど症状のない毒とは。考えこむ私を拗ねたと思ったのか、エマは明るく執り成す。
「まあまあ。気を取り直してくださいな。良いものがありますよ」
そう言ってエマが差し出したのは数冊の本だった。恋愛ものが一冊とあとは冒険活劇のようだ。
「リックウッド様からで、お手紙もございますよ。他にもう一つ、ああ、届いたようです」
扉をノックする音で、エマが応対に出る。すぐに青い花を生けた花瓶を抱えて戻って来た。
「こちらの花をお部屋に飾るよう言われました」
「ブルースターね」
その星形の青い花は、我が家の庭で今が盛りと咲き誇っているものだ。
「はい。気晴らしになればと言っておられましたよ」
ダスティンからの手紙にはこちらの体調を気遣う言葉と渡した本の簡単な紹介の後、
『私の療養中にカマエメルムの花をくれたのを覚えているだろうか。あのときの真心を、今度は私から送りたい。早く良くなるよう祈りを込めて。ダスティン』
と書かれていた。
あの些細なことを、ダスティンが覚えていてくれた。私はじわじわと赤くなり緩む頬を抑えられない。
含み笑いで退室するエマを軽く睨んでから、渡された本を開く。疑問も不安も監禁生活を終えてからにしよう。ブルースターの清々しい香りのする部屋で、私はいつの間にか物語に引き込まれていた。
◇
一週間後、ロージー姉さま立ち合いの元で診察を受けた。
バローネ邸で受けたと同じく、目や口内を調べた後に姉さまに肌を検められる。
「大丈夫です。全く異常ございません」
診察後、医師に告げられ、ロージー姉さまはあからさまに安堵のため息を吐いた。正直、私には大げさに思えたほどだ。
「ミリカ、話がある」
医師を送り出した後に神妙な顔の姉さまに切り出された。
姉さまは私の部屋の周りの護衛を下がらせ、部屋付近のメイドもすべて退出させた。侍女達も話し声の聞こえないよう隅の壁際に立たせ、背中を向けさせた。
「ロージー姉さま?」
訝しむ私に、姉さまは手元に小さな石に金属の嵌った装置を握りこむ。
「話を聞かれないための道具を借りてきた。これでもう聞こえない」
そう言って、なお声を潜めて話す。
「今からの話は、関係者のみ特別に伝えられる話だ。第三者への口外禁止。破れば家門断絶と思ってほしい」
厳しい前置きに愕然とする。姉さまは私と目を合わせて続ける。
「知っていると思うが、私は騎士になる。女性騎士、それも伯爵家からとなるとまずいないから、すでに王族女性にお仕えすると決まっている。もちろん騎士として襲撃にも備えるが、王族女性は毒の被害が多い。幼き頃から御身に慣らしておられるとはいえ、できれば未然に防ぎたい。だから私は今、毒について学んでいる」
ここまで話して、ロージー姉さまは溜息をついた。
「その中に、王家にのみ伝わる毒が幾種類かある。死以外の目的の、例えば毒を持って毒を制するような。その中に『妖精の窓』と呼ばれる毒がある。味もあまりせず、香しい甘い香りで、まず死ぬことはない。遅効性で、一年間に少量を定期的に摂取すると毒耐性がつく。王族の初めの毒としてふさわしいと聞いている」
「ロージー姉さま、まさか」
「うん。ミリカがバローネ伯爵邸で盛られたのは、『妖精の窓』の原料の花がブレンドされた紅茶だよ」
告げられた事実に、私は驚きの声を出さないよう口元を覆った。ロージー姉さまは黙って私が落ち着くのを待ってくれた。
「先程の診察では、異常がないと」
「うん。本当にホッとしたよ。摂取が初回だったのと、原料の状態で効果も薄かったのも幸いしたね。様子見の一週間で、うまく体から抜けたようだ。本当によかった」
姉さまはしみじみと言った。私は先程の姉さまの安堵を今更ながら理解した。
「そこまで強くない毒なのでしょう?」
「この毒は効き目は緩やかだが、少量で確実な効果が出る。用法容量を厳密に守らねば、恐ろしい結果を招く毒だ」
「でも、死にはしないと」
「死にはしない。ただ幼少期から少年期に数年以上摂取しつづけると、外見が子供のままで体の中の機能が衰えていく。青年期に数年に渡り摂取すると、子供の望めない体になる」
その言葉は、私に何よりも強い衝撃を与えた。
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