第31話
お久しぶりです
運ばれてきた紅茶からは華やかな甘い香りがした。
「まあ」
驚く私にアイビーがにっこりと笑った。
「こちら、南方の品なのですって」
「とても良い香りがしますのよ。どうぞお試しになって」
オリビア様にも薦められ、私はカップに口をつける。水色は濃い茶褐色。香りは甘く、こっくりとした味わいでとてもおいしかった。
私は懐かしさで胸がいっぱいになる。これは、前回で死ぬ四年程前にお気に入りだった紅茶だ。
◇
あれは私達がやっと本当の夫婦になれた頃。
「これを、きみに」
帰るなり、ダスティンはこの紅茶を私に手渡した。私の驚く顔を見て嬉しそうに笑ったのを覚えている。
当時、バローネ子爵家愛用品の紅茶が社交界で大流行していた。
バローネ子爵家夫妻となったエンリケ様とオリビア様は、婚約時からその仲睦まじさで知られていたが、二人には結婚後数年を経ても子はいなかった。悩む夫人と苦渋の決断で離縁を申し出た婿入りの子爵は、親戚筋から養子を取る。優秀な跡取りを迎えて夫婦仲もさらに深まり、子爵家は大いに栄えていた。
件の紅茶は外国産で、夫人の喜ぶ顔見たさに子爵が取り寄せたそうだ。その絆にあやかりたいと、皆が挙って求めていた。
やっと手に入れた紅茶の甘い香りに、私はすぐに夢中になった。
「私達もあのご夫妻に倣って過ごしましょうね」
「そこは子爵夫妻以上に、だろう?」
ダスティンとそう話して、夜のひとときに紅茶を楽しんでいたのだが。
その年の冬、私は性質の悪い風邪にかかった。半月ほどで治ったが、それまでは好んでいたお茶の香りがつらく感じ、全く飲めなくなってしまった。
◇
またこの紅茶を味わえるなんて。私は懐かしく甘い香りを存分に味わった。
サイス様は、この頃からオリビア様のために茶葉を取り寄せていたのだ。
しかし、時々前回との差異を感じる。アイビーは南方の品と言ったが、前回では中西国の品だったはず。
「ミリカ様、いかがですか?」
「芳醇で素晴らしいお味ですね」
私がオリビア様に笑って答えると、少し表情が和らいだ。
「お気に召されたようで嬉しいわ。こちら、まだ出回っておりませんの」
「まあ。そんな貴重なものを?」
「ブラドル家の商会からのお試しをいただきましたのよ。せっかくですから、ミリカ様にもご感想を聞きたくて」
「さすが勢いのある商会ですわね。これはきっと流行りますわ」
私の答えでオリビア様の表情が明るくなった。
バローネ子爵家とブラドル伯爵家は縁戚関係だ。こういう品もいち早く回ってくるのだろう。
私が感心していると、サイス様がオリビア様を見ながら話す。
「これは『シェリー』という名の茶葉でね。この香りも名前も、オリビアのためにあるとしか思えない」
「もう、キケ。やめてくださいな」
顔を赤らめるオリビア様を見て、サイス様は実に楽しそうだ。
この大切なひとという名も流行った理由の一つだろう。
気が付くと、オリビア様とサイス様は二人だけの世界で見つめ合っている。これは前回と変わらない。私がまだ白い結婚だったお茶会でも、死ぬ前に夫婦仲が冷え切ってからの夜会でも、垣間見た二人の幸せな様子が私はとても羨ましくて、同じくらい妬ましかった。あの頃を思い出すと胸の奥が痛む。
ふうっと、横から大きなため息が聞こえた。見ると、予想通りうんざりしたアイビーが冷めたお茶を入れ替えてもらうところで。
「あら?」
私はそのカップの中身に気づいて声を上げた。アイビーのカップだけお茶の水色が薄い。
その視線にアイビーはいたずらっぽく笑う。
「気づいたのね。このお茶は香りもよくておいしいけれど、私は一杯で充分」
「アイビーは甘いものが苦手よね」
「ええ。見てごらんなさいな」
アイビーはスンとした表情で、あの二人をちらりと見て声を潜めた。
「私、高頻度であの甘ったるいやりとりを見せられているのよ。口にするものまで甘いと胸焼けしてしまうわ」
「……なるほど?」
私は曖昧に笑うしかなかった。
「それよりも、今日はロージー様はいらっしゃるのよね?」
アイビーの顰めた声には全く隠しきれない期待が滲んでいた。
「ええ。鍛錬の後に迎えに来ると言っていたわ」
「ああ! ありがとう、ミリカ。あの麗しい方にご挨拶できるなんて」
アイビーがうっとりと呟く。
あの麗しい方とは、毎朝料理長に「卵はこの倍はあってもいいと思わない?」と強請っているロージー姉さまのことだろうか。
「あの涼やかな佇まい! 思わず見惚れてしまうわ。でも、大丈夫。私達はあの方のお邪魔にならないように応援すると決めているの。安心してね、ミリカ」
そう目を輝かせるアイビーに私はまたもや曖昧に微笑むしかなかった。
それからこちらへ戻って来たお二人も交えて話したが、めぼしい情報は得られなかった。やがて、
「ご歓談中に申し訳ございません。ミリカ・ブロック様、お姉さまのロージー・ブロック様がお迎えに来られました」
使用人に案内されてロージー姉さまが客間に入ってきた。アイビーの緊張が隣から伝わってくる。
「ロージー姉さま」
私の朗らかな声にロージー姉さまが微笑んだ瞬間、その表情が強張った。大股でつかつかと歩み寄ると、慌てて立つ私の手を強く引き寄せた。テーブルに体が当たり、食器が嫌な音を立てる。
「姉さま?!」
驚く私に構わず、自分の背に庇う。三人がその剣幕に息を呑むのがわかった。
「どういうつもりだ」
ロージー姉さまの威圧に思わず足が竦む。しかし、次の言葉はその衝撃を上回るものだった。
「妹に毒を盛り、全員ただで済むと思うなよ」
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