第3話
「ミリカには驚いたわ」
微笑むアイリス姉さまに、私は曖昧に笑い返す。
夕食の後、アイリス姉さまと話したくて私の部屋へ招いた。
多少の混乱はあったが、私とダスティンの婚約がまとまった。というか押し切った。
突撃した私はアイリス姉さまの援護射撃をし、姉さまが宮廷薬師となった場合の全ての利を並べた。それらは過去で姉さまが我が領にもたらした利益だ。両親の悪くない反応を見て、ロージー姉さまに話を振り近衛騎士の話だけを打ち明けさせた。これでダスティンの相手は私になる。
「姉さま、これで薬師になれますね。おめでとうございます」
「ありがとう。ミリカのおかげよ。頑張るわ」
「私もダスティン義兄さまと頑張ります」
「私が言うべきではないけれど……本当に、いいの?」
姉さまは心配そうに私を見た。私が気を使って、または何もわからずに婚約を申し出たと思っているらしい。
……まあ、一回殺されて女神さまにやり直しを命じられたので、と言っても信じてもらえないだろう。
私は首をかしげて言う。
「破談だと、ダスティン義兄さまのお立場が難しくなりますよね?」
今年、アイリス姉さまは十七才、ダスティンは十九才になる。同年代の有望な貴族たちには既に相手がおり、これから探すには家格のつり合いや条件にかなりの妥協が必要だ。
何より、ダスティンはもう我が家で領地経営を学んでいる。この状態で他家に縁づくとなれば、我が家の内部が漏れるのは確実。だが、婚姻なしで我が家で終身雇用はまず無理だろう。
つまり、今のダスティンが私たち三姉妹の誰かと結ばれないと双方が詰むのだ。
かつてのダスティンが私に甘かったわけだ。
「義兄さまを見限るのは辛いです。どうせなら、双方が利を得られたほうがいいでしょう?」
明るく無邪気に聞こえるように、私は笑顔を作った。
「だから、姉さま、ダスティン義兄さまのことを教えていただけませんか? どのような交流をなさってました? 今後の参考にさせてください」
そうして語られたことは私の知らないことばかりで、ただ唖然とした。
学院時代の四年間で、ジャスティンからの手紙の返信がたったの三回?!
そのうちの一回は定期のお茶会のお断り!
そもそも、定期のお茶会が季節ごとに約一回?!
しかも、我が家主催の年明けの祝いで、ジャスティンは友人たちと姉さまを揶揄していたなんて!
聞き終わった瞬間に「は?」とドスのきいた声が出た。姉さまが困った顔をしていたけど、こんな交流とも呼べない扱い、怒るにきまってるでしょうが!
「……相性が悪かったのだと思うの。でも、明るく素直で可愛いミリカなら」
「姉さま、そういうことではありません」
当時を思い出して沈む姉さまに、私は遮るように否定した。
「姉さま。まず、返事をよこさないのは失礼です」
「学院でお忙しかったのよ」
「忙しくても手紙くらい書けます。姉さま、サイス伯爵家の次男エンリケ様をご存知ですか?」
「ええ。ダスティン様のご友人ね。肥沃な森の領地の」
「あの方、婚約者のバローネ子爵家のオリビア様にそれはご執心で、多いときは学院から週に八通のお手紙を送られたのですよ。同じ学院の義兄さまにもできます!」
「それは……サイス様は、筆まめね。ミリカは何故それを?」
「私、オリビア様の妹のアイビー様と仲良しですの。あの溺愛は見ている方が辟易するのですって。最後のお手紙のお返事を書いているときに婚約者が来られることもあるとか」
実際、私もバローネ家でのお茶会中にオリビア様が中座されるのを見た。すぐに戻っていらしたけど、アイビー様から婚約者が来ていると耳打ちされた。
「それに姉さまだって、隣国から週に一度はお手紙をくれましたわ。義兄さまが怠惰なだけです!」
「あれは、ブラドル家の商会が必ず訪ねてくれるからよ。ダフニー様の気遣いには感謝してもしきれないわ」
姉さまの親友、ブラドル伯爵家のダフニー様は姉さまを含めた才ある令嬢たちと意見交換会を開き、王国の流行を作りつつある。ブラドル領の港は隣国との交易が盛んで、週一回の定期船便で姉さま宛に手紙や物資輸送をお願いしている。その時に姉さまの様子も見てくれているのだ。
多分姉さまとダスティンの拗れた関係を知って、ダフニー様たちは留学を勧めたのではないか。ブラドル家とバローネ家は親戚だ。きっと周辺のあれこれも耳に入っていたはず。
「確かにブラドル家にはお世話に……って、今はその話ではありません! だいたい年明けの祝いの席で、招かれた先の令嬢を軽口で貶めるなど失礼極まりない!」
学生で未成年だとしても、あまりに無礼。聞く人によっては我が家への宣戦布告ともとれる行いだ。
姉さまは目を伏せて優しく答えた。
「……学院生たちのちょっとしたおふざけだったみたい」
「そんなバカげた言い訳! 自分の格を下げるとわからないのかしらね」
鼻で笑う私に困る姉さま。私は長く息を吐き、怒りを飲み込んだ。今はそれよりも優先することがある。
「姉さま、この際言っておきます」
「なあに?」
不思議そうに答える姉さまは、言葉も声も表情も優しい。
このたおやかな人は我が王国初の女性留学者で、社交界の流行を作り出す一人でもあって、なのに自分自身をかなり低く見積もっている。
「姉さまは私の大切な家族です」
私は、姉さまの目を見てはっきりと伝えた。
「姉さまが、私の姉さまだから大切なのです。今までも、これからもずっと大切な家族です。だから、たまには顔を見せてください。忙しいときは、人伝てでも元気だと教えてください。この家と、私との縁を、細くていいので繋いでおいてください」
姉さまは賢い。前回は徐々に実家との縁を薄くしていった。今ならわかる。姉さまは私とダスティンが上手くやれるように遠慮してくれたのだ。私は二十二にもなって、死ぬまで気付かなかったなんて。
「姉さまがお嫌でなかったら、ですけど……」
言いながら涙が滲んだ。情けなさと悔しさと悲しみがこみ上げる。
「少し離れているうちに、ミリカは大人になっていて」
姉さまは私を抱きしめた。背中をぽんぽんと叩かれ、私は我慢できずに泣きだしてしまう。
「勝手なのだけれど寂しかった。今、泣き虫のミリカにホッとしているの。ひどい姉でごめんなさい」
私は姉さまの胸でわんわん泣いた。いい年をして恥ずかしいが、今の私の見た目は十二才。姉さまに思いっきり甘えて泣いてやった。
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