第29話
お久しぶりです。
バローネ子爵家でのお茶会の日。
「お招きありがとうございます」
「ようこそ、お越しくださりありがとうございます」
私は出迎えにきたアイビーとにこやかに挨拶を交わした。アイビーがそっと囁く。
「お望み通りよ。覚悟はいい? きっと後悔するわよ」
「まあ、それは素敵」
素知らぬ顔で微笑むアイビーに、私も微笑み返す。
「こちらへいらして」
通された客間には二人の男女が立っていた。背の高い黒髪の男性が、緩く波打つ金髪の華奢な女性をエスコート、というかがっちりと腰を掴み抱き竦めている。横でアイビーの微かなため息がした。私は柔らかく微笑む女性に近寄って声をかけた。
「オリビア様、本日はお招きありがとうございます」
「ミリカ様、お会いできて嬉しいわ。ご紹介しますね。私の婚約者のエンリケ・サイス伯爵令息。エンリケ様、こちらは妹の友人の、ミリカ・ブロック伯爵令嬢」
「初めてお目にかかります。ブロック伯爵家三女のミリカと申します」
「初めまして。サイス伯爵家次男のエンリケと申します」
オリビア様の腰を掴んだまま、サイス様は優雅に挨拶した。一瞬合った目は、名乗り終えてすぐに隣の婚約者。あからさまに私に興味がない。
これが、噂に聞く溺愛。前回の生からお二人はずっと仲睦まじくて有名だった。前回で二人と親交がなかった私は、噂通りの姿に内心感心しつつ微笑んでいた。
「エンリケ様」
オリビア様が笑顔で窘める。しかしサイス様はそれを優しく見つめ、手はぴったりと腰に当てたままだ。
「キケ?」オリビア様の目がすっと細められ、声がほんのり硬くなる。
「妹の友人の前で恥ずかしいわ。ね?」
オリビア様はサイス様と目を合わせ、腰に当てられた手を掴む。一瞬きゅっと握ってするりと解いた。途端、サイス様の表情が曇る。
「あ、オリビア」
「ごめんなさいね。ミリカ様。あちらの席にどうぞ」
しょげるサイス様に構わず、オリビア様が明るくテーブルへと促す。後ろからついてくるサイス様が叱られた大型犬みたいだ。
これが、噂に聞く『猛獣使い』! 私は内心感動していた。
サイス様はオリビア様を溺愛しているが、その愛はあまりに重たく暴走しがちだった。そんなサイス様を手のひらで転がすオリビア様はいつしか『猛獣使い』と囁かれていたのだ。
噂通りの姿に私は軽く興奮していた。ふと横のアイビーと目が合う。力なく微笑む目からは光が消えていた。
勧められた私の席からは、子爵家の庭が一望できた。窓から眺めるバローネ家自慢のトピアリーは、丸や螺旋や動物形に刈り込まれた緑が何とも美しい。
テーブルの正面にはオリビア様が座り、その横にはサイス様。私の横ではアイビーが優雅にお茶とセイボリーを味わっている。ペストリーよりセイボリーが多いのは、甘いものが苦手なアイビーの好みだろう。
「ミリカ様、驚かれたでしょう?」
オリビア様は私に向かって苦笑した。
「仲睦ましいお二人が、本当に羨ましいです」
私が笑顔で返すと、サイス様は初めてこちらに注目した。その値踏みのような目を気にせず、私は紅茶に口をつけた。
「あら、ミリカ様も婚約者が決まれば同じようになりますわよ」
「ああ。そうだな」
オリビア様にサイス様が優しく同意する。きっと全ての問いに是と返すのだ。横目でアイビーを窺うと、死んだ魚の目でセイボリーを食べていた。
ちょうどよい。私はにっこりと笑って告げる。
「実は私、この度、婚約をいたしましたの」
「まあ! おめでとうございます」
「おお」
「えっ、聞いてないわよ」
三人三様の反応。私は横を向きアイビーを見た。
「ええ。アイビーに最初に伝えたくて」
「ミリカ……」
私はアイビーの目に光が戻るのを確かめて、続ける。
「それで今日はオリビア様とサイス様に、良い関係でいられるコツをお伺いできたらと思いまして」
「まあ! 私達で良ければいくらでも。ね、キケ?」
「ああ。そういうことなら力になれそうだ」
サイス様がオリビア様の言葉を受け、初めて私に微笑んだ。友好的な空気を感じる中、アイビーがすかさず尋ねる。
「ミリカ。どなたと婚約したのか教えて頂戴?」
「ええ。上の姉の婚約者だったダスティン・リックウッド伯爵令息と」
しん、と沈黙が落ちた。さすがに三人とも表情は変わらなかったが、
「まあ。そうでしたの」
オリビアの答えにやや間があった。私は笑顔のまま話を続ける。
「はい。サイス様は学院でご一緒だったのでしょう?」
「ああ。それは、リックウッドがそう言っていたのか?」
サイス様の声にはわずかに戸惑いが混じっていた。
「この前、書簡の整理をしましたの。サイス様からのお手紙がありました。ご交流があったのでしょう?」
前回の生、私の知る限りではサイス様とダスティンは挨拶程度の交流のみ。ダスティンから聞く友人の中に、サイス様の名前はなかった。しかしアイリス姉さまはサイス様を『ダスティン様の友人』と呼び、リックウッド邸ではサイス様からの手紙も見た。
それに気づいてからずっと微かな違和感があった。ただの勘だが、サイス様に会って確信した。ここに何かの鍵がある。
「学院でのお話など、聞かせていただけませんか?」
私はサイス様に殊更に明るく尋ねた。
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