第26話
泣き疲れて寝た翌朝、しっかりと瞼が腫れた。
起こしにきたエマが一瞬息を呑んで、急いで水桶を取りに行ったくらいには酷い。
戻ったエマは水で濡らした布を目の上に当ててくれた。熱い瞼が冷やされ、とても気持ちいい。
私は目を瞑ってぼんやりと思い出していた。
◇
前回の生で、私はダスティンとの婚約期間中、とても大切にされていた。十八才のダスティンは十二才の私の『お願い』をほぼ叶えてくれた。今、冷静に考えれば六才下の子供の我儘をいなしているだけに過ぎないが、その時の私はのぼせ上ってわからなかった。
『そんなに早く大人になろうとしなくていい。ゆっくり一歩ずつ、二人で進んでいこう』
私はそれを言葉通りに捉えていた。
その報いを受けたのは四年後。
結婚初夜に、ダスティンは淡々と私に言った。
「ミリカ。私達は今、本当の意味で夫婦になることはできない」
つまり、白い結婚の宣言だ。
私は衝撃のあまり、ダスティンの次の言葉も耳に入らなかった。
あれほど優しかった婚約者が、誰より私を大切にしてくれた婚約者が、結婚した途端に私を妻と認めないだなんて!
呆然とする私に、ダスティンはそっと私の肩を抱いて言ったのだ。
「ミリカ、わかってくれるね」
その微笑みで、私の中で何かがぷつりと切れる音がした。
「愚弄するのもいいかげんになさいませ!」
言葉とともに、私はダスティンの頬を張り飛ばしてわっと泣き伏したのだ。
修羅場も修羅場。そこからは騒ぎを聞きつけた者たちが仲介に入り、私達は別室で夜を過ごすことになった。
翌朝からの結婚生活の気まずいことこの上なく、数日たってお互い冷静になった頃に話し合った。
ダスティンは、私の年齢的に体が諸々に耐えられないのではと杞憂していた。私はもう成人していて健康なことを主張するが、ダスティンには納得してもらえなかった。そして、労わりに満ちた目で私に言ったのだ。
「そんなに早く大人になろうとしなくていい。ゆっくり一歩ずつ、二人で進んでいこう」
愛を証明していたはずの言葉は、私を絶望に突き落とした。
それ以降も夫となったダスティンは、私の我儘をそのこと以外は概ね応えてくれた。周りはこれで後継も安泰だと言う。私は優しくされればされるほど、どんどん擦り切れていった。私の夫はこんなに寛容なのに。未だに本当に夫婦になれないのは、私が若すぎるから。私が、私だからいけないのだ。もしも、姉さまだったら……。
追い詰められた私はアイリス姉さまの花壇を潰した。
それから間もなく、私は社交界で『お嬢様気分の抜けない悪妻』と囁かれるようになった。二年後、本当の夫婦になってもその噂は消えず、さらに酷くなっていた。
今ならわかる。私達は完全に呪われていたのだ。
◇
「失礼いたします」
エマが声掛けして目の上の布を取り去る。濡れた瞼にひんやりとした風を感じた。
もう一度固く絞った布が置かれ、エマの声がした。
「冷たさはいかがですか?」
「ちょうどいいわ」
昨日のことも、赤く腫れた瞼のことも、エマは何も聞かなかった。
私は知っている。エマは、リックウッド邸でのイエルの指摘が堪えたのだ。呪いの影響で侍女の分を越えたことを今も深く悔いている。私はそれをわかっていて、昨日も今日も都合よく扱った。
「エマ」
私は目を瞑ったまま、声をかける。エマがこちらを向く気配がした。言えない気持ちをこの一言にこめる。
「ありがとう」
ほんの少し間があって、ふっと空気が優しく緩んだ。エマの穏やかな声がする。
「もう少し冷やしてから、お支度をいたしますね」
「ええ、お願い」
正直、泣きすぎと睡眠不足で頭も痛い。それでも、私はこれまでになく気分がすっきりとしていた。
◇
「目が赤いわ。どうしたの?」
朝食の席で、母に言われてどきりとした。うまい言い訳を考えていると、ロージー姉さまがはっとして答えた。
「ミリカ。アイリス姉さまと別れるのがそんなに寂しかったの」
都合よく勘違いされている……。私は答えに困って思わず下を向いてしまった。
「ミリカ!」
アイリス姉さまに呼ばれたと思ったら、ぎゅうと強めに抱きつかれた。
「心配しないで。年明けまでに必ず帰るわ」
感極まった姉さまに強く抱きしめられ、罪悪感で二重に胸が苦しい。こくこくと頷くとさらに力が強まった。苦しい。ちらりと周りを見ると、なんとも温かく見守られている感じだ。ありがたい勘違いに乗った私は申し訳なく思いつつ、少しほっとしていた。今はアイリス姉さまの前で上手く笑えない聞き分けのない妹の振りで。
アイリス姉さまが今度こそ憂いなく隣国へ向かった夜、私は覚悟を決めて一通の手紙を書いた。
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