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第2話

「んー、そうきたかあ」


 女神さまはへらへらと笑うだけ。


「私、殺すほど憎まれたのに、また添い遂げるなど地獄です」


 訴える私に女神さまの目が変わった。


「あなた、自分は悪くないと思ってる? 少しも自分に非がなかった?」


 私は、急変した女神さまの強い視線にたじろいだ。



 十年前のあの日、私は書斎での話し合いをこっそりと覗いていた。


 留学先から一時帰国したアイリス姉さまは、ダスティンとの婚約解消を切り出した。既にダスティンはうちで後継として実地教育中だったが、「そもそも政略、代わりにロージーと婚姻を」とアイリス姉さまは提案した。当時のロージー姉さまは内々に近衛騎士への誘いがあり、それをまだ誰にも打ち明けていなかった。


 戸惑う両親、無言のダスティン、真剣なアイリス姉さま。驚いたロージー姉さまは何度も言い淀んだ後に、


「私は」やっと出た声がひどく掠れていた。「私は……できません。皆さま、お許しください。申し訳ありません」

「婚姻は何年か先でも。あなたの気持ちが固まるまでお待ちしますよ」


 優しく諭すダスティンに、ロージー姉さまは沈痛な面持ちで答えた。


「私は……男性を愛せません。剣も我が身を守ろうと始めたのです。褥を共にするならば、義兄様を骸にしてしまうでしょう」


 その沈黙の重苦しさはよく覚えている。ロージー姉さまの苦渋の表情とダスティンの耐える姿に、私は胸が痛くなった。だから、勢いよく扉を開けて大声を上げたのだ。


「私ではいけませんの?! 私、ダスティン義兄さまにこのまま我が家にいてほしいですわ!」


 それで全て上手く収まった。


 私たちはその場で婚約し、私の成人後直ぐに結婚した。ダスティンは常に優しかった。


 私は嬉しかったのだ。


 才媛と名高い長女ではなく、覚えめでたき女性近衛の次女ではなく、ほどほどの三女の私を大切にしてくれるのが嬉しかった。


 私とてブロック伯爵の娘として人並み以上の評価は得ているが、それは優秀過ぎる姉たちの下地があってこそだ。事実、私の努力は姉たち以上の結果は残せていない。


 だから、私を大事に扱うダスティンに有頂天になった。



「ぶっちゃけ、あなた、図に乗ってなかった?」


 女神さまは私にはっきり言いきった。


「家付き娘の我を通してなかった? 火のないところに煙は立たぬ、よねえ」


 私には返す言葉もなかった。確かに領地経営に関わってからの私は、ダスティンに強気で接することもままあった。


「私は温情をかけたつもりなんだけど。前の生での心残りはないの? 他の人に頼んでもいいけど、あなたの家族に都合よく動いてはくれないと思う」


 その言葉にハッとする私に、女神さまはにっこりと笑った。


「わかってくれた?」

「……不敬がすぎましたこと、どうかご容赦を」

「ええ。次、頑張ってね。そうね、夫のことをもっとよく知る努力が必要かも。アイリスと話してみて」

「アイリス姉さまとですか?」

「ええ。今後の為、早めに話をきいて」


 女神さまのお言葉に私は頷いた。また繰り返さないように対策は必要だ。


「あと、ロージーは秘密を明かした時、家族に拒絶されたと思っているみたい」

「! 私たちは驚いて何も言えなかっただけです。その後も姉さまがつらそうだったから、話したくないのだと思って、拒絶だなんて」

「それからの命を顧みない戦いが評価されて、王女付きになったの」

「そんな……」


 私は狼狽し、女神さまは目を伏せた。


「ロージーはこのまま変わらなければ、また王国と心中する。どうか救ってあげて」


「次はっ、必ず」


 ロージー姉さま、ごめんなさい。私は涙をこらえて女神さまに誓った。


「では、お行きなさい」


 女神さまの言葉に白い部屋が揺らぎ始め、視点が勝手に遠ざかりぼやけていく。


「健闘を」


 女神さまの言葉で私の意識がぷつりと途切れた。 



 夢の中で、私は泣いていた。あれは寂しくて庭の隅で拗ねていたときだ。


 なぜ泣いているの。


 その人は私に優しく語りかけた。泣きすぎた私はうまく話せなくて。その人は私の背をさすりながら、辛抱強く待ってくれた。


「さみしい。アイリス姉さまがいなくなる。ロージー姉さまはお稽古ばかり。ミリカ、ひとりは嫌い」


 それは寂しいね。


「……さみしくないの?」


 私はぐしゃぐしゃの泣き顔で訊くと、その人は一瞬考えてからすぐに優しく微笑んだ。


 私も寂しいよ。


「そうなの? 泣かないのに?」


 もう大人だからね。でも、寂しく思っているよ。


 その憂いを含んだ笑顔で、私はその人も同じ寂しさがあり、それを共有できると思った。思い込んでしまった。


「……もう泣かない」


 差し出されたハンカチにはアイリス姉さまの刺繍があり、集中していた姿を思い出す。私はまた鼻の奥がツンとして、涙をぐっと堪えた。


 行こう。


 差し出された大きな手、亜麻色の髪が陽に透けて優しい翠の瞳が笑う。


 すぐに手をとれなかったのは見惚れていたから。


 意地を張るように見せて、私はゆっくりと手を取った。わざと拗ねているふりで、ゆっくり歩いた。腫れた目の私がやっとその人に笑えたのは、送ってもらった自室の前に来た時。


「ありがとう。ダスティン義兄さま」


 若き日のダスティンは私を見下ろし、柔らかく微笑んだ。


 アイリス姉さまのお相手が優しい人でよかった。その時の私は心から思ったのだ。



 そんな昔の夢を見て、私は十二才に戻ってきた。


 目覚めた時に淡桃色の壁紙に驚き(昔の部屋だった)、辞めた侍女や使用人の若さに驚き、自分の小ささにも驚き(背が伸びたのは数年後)、今日がアイリス姉さまの一時帰国の日と知った。


 で、今は先回りの結果、扉の前で少し早めに盗み聞きしている。


 今、アイリス姉さまは両親に婚約解消を訴えている。留学生ながら隣国の薬師への道が掴めそうなこと、その場合の我が伯爵家への恩恵を熱心に説いていた。


 話を聞き、アイリス姉さまは早々に隣国での基盤を築いていたと分かった。留学した時点で戻らないつもりだったのか。


 政略での縁でも、二人の仲はずっと良好にみえた。わからないものだ。


 とにかく、機を見て部屋に突入しなければ。私はもう一度ダスティン・リックウッドと婚約して、今度は円満に結婚生活をやり直すのだから。


 やり直す。そう思ったときに、私はあのダスティンの目を思い出した。

 

 冷たい目。私を妻はおろか人とも思っていない、既に切り捨てたものへの視線。最期に見た表情は妻の死を悲しむふりで、目の奥には確実に昏い喜びがあった。


 私は、あの男と、また夫婦として暮らしていくの?


 身体中の血が一気に引く感覚がした。手足が冷たくなり、体が震えだす。


 怖い。このままやり過ごせば、私は殺されずに済むのでは。


 恐ろしさに私が踵を返そうとした時、ロージー姉さまの声がした。


「私は」


 やっと絞り出した掠れた声。いつもはきはきと話すロージー姉さまとは別人で。


 私は中を窺い、ハッとした。


 ロージー姉さまの顔はひどく青ざめており、両親とアイリス姉さまはたじろぎながら張り詰めた空気に飲まれていた。


 そして、ダスティンはロージー姉さまの言葉を静かに待っていた。


 あの表情を知っている。ダスティンはああやって、私が泣き止むのを待ってくれた。


 あそこにいるのは私を殺したあの夫ではない。泣く私に優しかったダスティン義兄さまだ。私が、傍にいたいと願った人。


 今、私が動かないと、優しいこの人も、家族も、多くの人々を道連れに永久に失われてしまう。


「私は……」


 苦しそうなロージー姉さまの声にかぶせるように、私は勢いよく扉を開けて声を張った。


「私ではいけませんの?! 私、ダスティン義兄さまにこのまま我が家にいてほしいですわ!」


 空気を読まない闖入者に全員が固まった。


 間に合った。ロージー姉さまに告白させずに済んだ。


 私はどや顔で登場しつつ、皆のぽかんとした顔を心底愛おしく思っていた。

お読みいただきありがとうございました。ブックマーク、ありがとうございます。励みになります。

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