第19話
お久しぶりです
庭を案内した後、父はまだ打ち合わせをしたいからと私にダスティンの様子を見てくるように言った。伯爵からも、終わり次第夫人を迎えに行く旨を伝えてほしいと頼まれる。
日の当たる客間では、母とリックウッド伯爵夫人が並んで座っていた。目の前に眠るダスティンの姿がなければ、二人の和やかな様子はまるでお茶会のようだ。
「昨夜から、時々目を開けるの」
横たわるダスティンに夫人は寂しく微笑む。
「すぐに閉じてしまうのだけれど。お医者様によると、目覚める前兆なのですって」
ダスティンを見つめたまま、夫人は静かに話す。私がリックウッド邸に行く前とは別人のようだ。
「だから、これだけ部屋が明るければきっと早く目覚めるわ。呪いは祓われたのだから、もう起きるはずよ」
部屋には、夫人の震える声とダスティンの規則正しい寝息が響いていた。
「……ブロック伯爵家に疑念をかけたこと、申し訳なく思っています」
夫人がぽつりと謝った。私と母は驚いて答える。
「あれは呪いのせいよ。私達にもわかっているわ」
「ええ。お気になさらないでください」
リックウッド伯爵家は被害者だ。しかし母と私の言葉に、夫人は無言で頭を下げた。それ以上何を言えばよいのかわからず、私達はただ隣でダスティンを見つめた。
初めて見る若いダスティンの寝顔は、私の記憶よりも穏やかに見えた。前回の私達が寝室を共にしたのは私が十八の時。今のダスティンより六年先だ。苦労のわりに成果の乏しい領地経営により、新婚の頃以外は寝顔すら眉間の皺が消えなかった。それも死ぬ二年前からはめったに見なくなっていたけれど。
十年間も夫婦だったのに、知らないことばかり。
「貴女、少し休んだ方がいいわ。ずっと見守っていたのですもの。疲れているのよ」
そう言って母は夫人の肩に手を置いたが、夫人はゆるくかぶりを振った。
「いいえ。昨夜も早い時間はロージーが、更けてからはアイリスが交代で来てくれたわ。私は大丈夫。お願い、ダスティンについていたいの」
夫人の思いつめた声に、母が口を開きかけた時
「うう」
ダスティンの呻き声が聞こえて、ハッとした。ダスティンが目を開けている。部屋の空気が一変した。
「ダスティン、ダスティン!」
「お医者様を呼んでらっしゃい、早く!」
夫人が覆いかぶさるようにダスティンを覗き込んだ。母に急かされたメイドがすぐに部屋を出て行く。
「は、は上……」
「ええ、ダスティン!」
ダスティンの声に目を潤ませて答える夫人。その肩越しに私とダスティンの目が合った。
「ミリ……カ」
絞り出された声にこくこくと頷くと、ダスティンの目が和らいだ。それを見て私は心から安堵した。よかった。女神さま、心より感謝いたします。自然と目が潤んでしまう。
夫人は呻くダスティンの口元に耳を寄せた。
「……水? 水が欲しいのね?」
夫人の言葉にメイドが手早く吸飲みを用意する。まもなく医者がメイドに連れられて現れた。
ダスティンを念入りに診察した医者はひとまず大丈夫なこと、食事は薄いスープから、明日も診察すると告げていると、イエルがひょっこりと部屋に顔を見せた。
「お目覚めですか。なによりです。どれ、私にも診せていただけますか」
「どうぞ。そちらの方はお任せしますよ」
医者に会釈し、ベッドに近寄ったイエルは訝し気なダスティンに優しく微笑んだ。
「神、官さ、ま」
「はい。そのまま私の目を見ていてください。そう」
そのまま目を合わせていたが、ダスティンの目が次第に虚ろになる。イエルは微笑みを崩さず観察しているようだった。
「はい。ありがとうございました」
イエルの声に、ダスティンはぐったりと目を閉じた。イエルは戸惑う私たちににこにこと告げる。
「もう大丈夫ですよ。あとはお医者様の言うとおり静養なさってください。体力が回復した頃にまたお話に伺います。では」
イエルは一礼してするりと部屋を出て行った。来るのも去るのも唐突で唖然とする。入れ替わりにリックウッド伯爵が現れた。
「ダスティン」
伯爵の声にダスティンがゆっくりと目を開けて話そうとするが、伯爵は目で制した。
「また来る。今はゆっくり休むといい」
微かに頷くダスティンに頷き返した伯爵は夫人を促して部屋を出ていく。ちょうどダスティンの食事も届いたので、私と母も一緒に退室した。
伯爵夫妻は我が家に「ダスティンのことを頼む」と頭を下げ、自領に帰った。庭の守りを固める為、イエルとグレーナーも伴って。
屋敷内は突然静かになり、ダスティンが療養しやすい環境になった。私は振り回されたこの数日間があまりに濃く、まだ落ち着かない気持ちでいる。
◇
夕食も終わる頃、アイリス姉さまは私に問いかけた。
「ミリカ、っあの、リックウッド様が目覚めたのですってね」
私は飲みかけた菊茶を一口味わってから、アイリス姉さまに朗らかに答えた。
「ええ。スープを召し上がって、今は眠ってらっしゃるそうです」
アイリス姉さまのお土産の菊茶は屋敷の全員で飲むことにした。近日中にエクマン領からリナーリス茶を取り寄せるべく、明日は父があちらに赴く。
「よかったわね、ミリカ」
笑顔のアイリス姉さまに私も笑顔で頷く。
アイリス姉さまは私達を気遣い、心配してくれている。今までの習慣で「ダスティン様」と呼びそうになっただけ。それだけなのに。
家族で過ごす和やかな夕食の時間。菊茶の香りが部屋中に漂っていた。この香りで私の中のくだらない嫉妬もきれいに消えてしまえばいいのに。
お読みいただきありがとうございました