第18話
お久しぶりです
翌朝、一泊したリックウッド邸からの帰りは、行きの苦痛が嘘のように快適だった。
「あれは乗り物酔いではなく、呪いに反応していたのだね」
馬車からの景色を楽しむ私に、父はしみじみと呟いた。
「そのようです」
私が苦笑まじりに言うと、父は溜息をついた。
「まさか、ここまで神殿の助力に頼るとは」
「本当に予想もしませんでしたわ」
「何をのんきな。ミリカ、もっと警戒しなさい」
「大丈夫です、お父様。私は役立たずなのですって。神殿騎士様にはっきり言われてしまいました」
くすくす笑う私に、父は苦い顔のままだった。
「言葉通りに受け取ってはいけないよ。あの神官騎士は有能だが、得体が知れない。神殿の考え方や常識はこちらと違うようだ」
それは私も感じていた。イエルの独特な振る舞いは個性か職業柄か悩むところだ。
「とにかく、まだ気を緩めずに。この後、庭を案内するのだからね」
強く念を押され、私は静かに頷いた。
後続の馬車には、馭者と並んでリックウッド邸の庭師も乗せている。我が家の庭師にマトリカリアの株分けと育て方を学ぶためだ。なぜかグレーナーとイエルも付き添い、一通り教わった後は苗とともにリックウッド邸に引き返すという。一刻も早く守りを固めたいリックウッド伯爵の希望だった。
それにしても。私は隣をちらりと見る。
エマが完全に気配を消している。馬車に乗って私の身なりを整えた後、一言も話さずきっちりと控えている。いや、侍女として完璧で素晴らしいことではあるが。
これはイエルに無作法を咎められたのが原因だろう。今のエマは真剣過ぎて少し引く。もう少し肩の力を抜いてほしいけれど、今伝えるのは逆効果かも。折を見て気にしないように言おうと、私は無表情なエマを見て考えていた。
馬車は順調に進んでいき、すんなりと我が家に帰り着いた。
◇
「……で風通しに気を付け」
「おや! あちらの花もマトリカリアですね」
「え、ええ。仰る通りで」
庭師の説明を遮って、イエルは好きな方に進んでいく。
まただ。私は苛立ちを顔に出さないよう耐えた。さっきからイエルはろくに説明を聞かず、興味の赴くまま動いていた。それに我が家とリックウッド家の庭師は振り回されている。リックウッド伯爵は呆れているようだ。
「神殿騎士殿、そう勝手に動かれては困りますね。我が家の警備の隙でも探しておられるのかな?」
父が片眉を上げて笑顔で牽制すると、グレーナーは先手を打って頭を下げた。
「滅相もございません! 無作法をお詫びいたします。この男に問題があるのは明白ですが、己の職務を真っ当に果たしております。どうぞご容赦を!」
勢いのある謝罪に一同が呆気にとられる。が、二度目ともなれば私でも気づいた。グレーナーはイエルを止めるのが一歩遅いわりには、謝罪が素早く手慣れている。これが彼らの手口なのだろう。
「私、この上なく忠実に励んでおりますよ。酷くないですか?」
そう言ったイエルは不服そうに頬をぷくっと膨らます。
いや、ガタイの良い成人男性にあざとさを強調されても。思わず、イエル以外の全員が虚無の表情になった。
「私は今、このお庭で最も護りの強いマトリカリアを探して、リックウッド邸の守りを固めるべく尽力しております。でも」
はあ、とわざとらしいため息をついてイエルが続ける。
「強い護りの力をお庭以外から感じるのです。でも、気軽に立ち入るわけには、ねえ?」
イエルが時々こちらを窺うのがなんとも鬱陶しい。
「つまり、庭以外で花のある場所に案内しろと?」
「ご理解いただきありがとうございます!」
父ににっこりと笑うイエル。父はそのまま庭師を見た。
「なら、こちらへ」
庭師が慌てて進み出ると、イエルがウキウキとついていく。心なしか、続く父の背中に疲れが見えた。
「あら、ここは」
案内されたのが思いがけない場所だったので、私は思わず呟いてしまった。
「さようで。奥様の『初めの花壇』です」
庭師が言う『初めの花壇』とは、母がブロック家に嫁いで最初に植えたマトリカリアの咲く花壇のことだ。
なんでも結婚当初の父は今よりも仕事に追われており、心配した母が少しでも安らぐようにと、香りのよいマトリカリアを父の執務室に近いここに植えたと言う。自らも花の世話をする母の心遣いに惚れ直したと、父が酔う度に語られる話でもある。
「素晴らしい!」
突然、花壇を眺めていたイエルが大声をあげた。
「わかりますか? この花に満ちた真摯に人を思う心! とても純粋な思いやりが、花にここまでの聖なる護りを与えているのです! 実に! 実に素晴らしい!」
花壇を見つめ感極まり捲し立てるイエルに、皆引いていた。私達の視線に気づいた彼は、軽く咳ばらいをしてやっとこちらに向き直る。
「はあ、失礼。私としたことが興奮してしまいました。マトリカリアでなくとも、思いのこもった花にはこれほどの力が宿るのですね。良い発見ができました」
「え? マトリカリアではない?」
意外な言葉に、私はつい声が出てしまった。
「おや、ご存知なかった? これは近縁種のカマエメルムですよ。ね」
イエルに問いかけられ、庭師が焦りながら私に答える。
「え、ええ。神官様の仰る通りで」
「知らなかったわ」
呟いた私に、庭師はバツが悪そうにしていた。残念ながら私には違いがよくわからない。
「次の場所をお願いします。多分、この反対側にもう一つありますよね?」
当然のように他の花壇を言い当てるイエルに、父と私はうすら寒い心地になる。この男は力のある神官騎士なのだと、改めて思い知らされた。
「ええ、ではこちらへ」
庭師の案内で、全員がその場所に近づいていく。まさか、そんな。私はそちらへ進むにつれて嫌な予感が強くなった。
どうか、どうか外れてほしいと、私は一歩毎に祈らずにはいられなかった。
そこに着いてすぐ、庭師がイエルに尋ねる。
「ここには手前に小さな花壇と奥の広い花壇二つがありまして、手前は三人のお嬢様方で植えられたマトリカリア、奥はアイリスお嬢様の薬草茶用の花で、マトリカリアもありますが」
「奥の花壇です。間違いない」
イエルがきっぱりと言い切り、私の願いは虚しく潰えた。
「ここから最も強く、護りの要として屋敷全体に聖域の効果が表れています。この花壇がある限りはブロック伯爵家、いや領地全域が安泰でしょう」
晴れやかに語るイエルに父は誇らしげに笑い、安堵でリックウッド伯爵と庭師たちが笑顔になる。
彼らを見ながら私は令嬢らしい笑みを浮かべて、一人で絶望していた。
あの奥の花壇を、前回の私は結婚後すぐに潰した。
姉の影に恐れ、自分こそが伯爵家の後継だと示したくて。
『あなた、自分は悪くないと思ってる? 少しも自分に非がなかった?』
女神さまのお言葉が、正しく私の罪を曝け出す。
前回の私が、家族に、領民に、国中に、不幸を招き入れた張本人だ。
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