第15話
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2/29 加筆改稿いたしました
思いもよらない問いかけに私は考え込んでしまった。なぜと言われても、とっさにしたことに理由なんてない。
「わかりません。なんとなく……かしら?」
困る私を、イエルは首を傾げてじっと見つめる。その視線は探られているようでどうも落ち着かない。
「ご令嬢は呪いに触れて、自然に最も生き残る行動を取ったのです。頭で考えるより先に体が動いたのでしょう。だから、反対側の入口扉へは進まずに奥へと」
イエルに言われて、あの時の自分を思い返してみる。反射的に奥に逃げて、クローゼットの扉から新鮮な風を感じた。それで気分がよくなったのは、風の涼やかさとごく微かな香り、あれは……。
それに気づいた私は、イエルが持ったままの文箱に目が吸い寄せられる。イエルはニヤリと笑うと、文箱から一通を手に取ってひらひらと振って見せた。
「クローゼットに封印されたアイリス嬢の手紙、そこからの護りの気配に無意識に引き寄せられたのです」
私は手紙からふわりと漂う香りで思い出した。
◇
あの頃、アイリス姉さまはよく手紙を書いていた。私は構ってほしくて、話しかけたり抱きついたり邪魔をして、「仕方がないわね」と根負けした姉さまと薬草茶を飲む間だけ相手をしてもらう、そんな日常のやり取り。
「お茶を飲み終わるまで、ミリカの話を聞くわ。一緒に飲みましょう」
「お茶の匂いがスース―するのがイヤです。甘いのがいい」
「あら、ならこの花と茎を足して甘い香りにするわ」
「香りだけ?」
「少しだけはちみつもね。内緒よ?」
はちみつをほんの少し入れたお茶は、いつもより甘くて爽やかな味がした。足してくれた花は、庭で大切に育てていたあの花は、手紙から優しく香る花と同じもの。
◇
「マトリカリア」
私の呟きに、イエルは手紙にちらりと目を向ける。
「へえ、手紙の香りづけにマトリカリアを使ったのですか。ブロック邸のお庭のものでしょう。慣れ親しんだ香りが救ってくれたのですね」
私は胸がいっぱいで、泣きたいのか笑いたいのかわからなかった。
イエルは文箱に手紙を戻しながら言った。
「ということで、ブロック伯爵。呪いの媒介はミリカ嬢が特定し、浄化をアイリス嬢のお手紙に担っていただきました。私は文箱の忌々しい封印を解いただけ。ブロック伯爵家のお力、お見事です! 今回の役目は楽でよかった!」
「ウオッホン」
上機嫌で語るイエルを、わざとらしい咳払いでグレーナーが窘める。止めるのが少し遅すぎやしないか。イエルはグレーナーを横目で見てから続けた。
「えー、ご令嬢の様子から疑わしいのは、ジャン・カルド、ニクラス・アザリーの両名です。ただ関与は間違いないのですが、主犯かはわからないですね。私からは以上です」
「ここからは私がお話ししましょう」
イエルの後を、苦々しい顔のグレーナーが引き継ぐ。
「結論から申します。現時点では我々が両名を捕らえることはできません」
全員が耳を疑い、いち早くリックウッド伯爵が声を上げた。
「どういうことだ。我が家は、ダスティンだってあのようなっ」
「アーサー」
父がリックウッド伯爵の肩を掴んで、目で制した。
「申し訳ございません。カルド家、アザリー家の捜査は管轄が違い、こちらの地方保安警備隊では扱えないのです。すぐにカルド家のある中央北地方と、アザリー家の西地方に協力要請いたします」
どちらの地方もここからは遠い。地方治安警備隊にも縄張り意識はあるだろうし、神殿騎士が向かったとしても難航しそうだ。
頭を下げたグレーナーに、リックウッド伯爵は深いため息とともに零す。
「それまで呪いなどという得体のしれぬもの、どのように防げというのだ」
「それなら私によい案が」
イエルがすかさず提案する。
「こちらのお庭に、ブロック邸のマトリカリアを株分けしてもらうとよいかと。胡乱なものも寄せ付けません。ブロック伯爵、いかがでしょう?」
イエルの言葉に父は力強く頷き、リックウッド伯爵は頭を下げた。
「頼む、キース。この借りは必ず返す」
「アーサー、すぐに手配しよう。これは私たち共通の問題だ。そうだろう」
目を見て熱く頷きあう二人に、イエルは遠慮なく割って入った。
「リックウッド伯爵、お庭に植える効果的な配置のご相談にも乗りますよ。守りは固い方がよろしいでしょう?」
イエルはとても悪い笑顔で問う。『効果的な配置』とは神殿の秘術かもしれない。含みのある表情にリックウッド伯爵は呆れたように答えた。
「……相談料という形で寄進を上乗せすればよいか?」
「ありがとうございます! 神殿だけでなく、領地の教会の方にもお願いいたします」
この上なくいい笑顔でイエルが催促した。どうみても聖職者よりやり手の商人だ。きっとこの場の全員が同じことを思っていた。
「では、神殿の三割ほどの額を教会に寄進しよう」
「今回は、通常神殿にされるのと同額を、教会へお願いいたします」
貴族の常識的な振る舞いをみせるリックウッド伯爵へ、イエルはさらに図太く要求した。さすがに伯爵も眉を顰めるが、イエルは怯まなかった。
「こちらの領のために必要です。前回伺った際、私は街の神殿といくつかの教会を視察しました。神殿の祭壇は寂れ、教会の孤児院もかつかつの状態で、街の空気も荒んでおりましたよ」
「それは、呪いの影響だろう?」
「そうです。今、浄化しましたが、これはその場しのぎにすぎません。誰でも食に事欠けば判断力が落ち、簡単に悪しきへ流れます。貧民や余裕のない平民は、呪いの格好の餌食なのです」
そう主張するイエルは紛れもなく聖職者だった。私は彼のことを誤解していたようだ。
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