第10話
お久しぶりです
グレーナーはダスティンの目覚めという朗報を持ってきた。
しかしイエルを先頭に向かった客間で、私たちの安堵は粉々に打ち砕かれる。
ベッドではダスティンが断末魔の叫びを上げていた。身体を布で厳重にくるまれた上、縄で胸元と腰と足を縛られてもがいている。目を見開き、喉を枯らして叫ぶ姿はあまりに常軌を逸していた。
私が思わず後ずさると、眉根を寄せた父に肩を抱かれた。父の片手はアイリス姉さまの背を抑え、安心させようと軽く叩いている。ロージー姉さまと母はお互いの手を握り締め、前を見ていた。
蒼白になったリックウッド伯爵夫人は、耐えるリックウッド伯爵に支えられてようやく立っている。
ダスティンはしばらく獣のように叫び続けていたが、次第にただ低く呻くだけになっていった。
イエルはすたすたとベッドに近づくと、虚ろな目のダスティンに優しく声をかける。
「うん。よく目覚めました。頑張りましたね」
イエルがダスティンの額にそっと手を当てた途端、
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
ダスティンは体を強張らせて絶叫した。
イエルはそのまま手を当てて呟いている。ダスティンが必死に身を捩り苦痛の叫びを上げても、イエルは少しも怯まない。
私たちはただ息をのみ、それでも二人から目を離せなかった。
その状態が続いた後、ダスティンの声から力が抜けていく。
「あ゛あ゛、あああ、あ……ああ」
「……き処へ」
イエルが呟き終わると同時に、ダスティンの目が閉じた。
「「ダスティン!」」
「大丈夫。また眠っただけです。お医者様を呼んでください」
思わず声を合わせたリックウッド伯爵夫妻に、イエルは冷静に答えた。母が即座に部屋を出て、使用人を向かわせる。やがてお医者様が慌しく現れ、診察を始めた。
父に優しく肩を叩かれ、私は自分が強く手を握り締めていたと気づいた。父を見上げると、小さく頷いてくれた。それだけで少し安心する。
「もう長期間眠り続ける危険はないでしょう。とはいえ、極度の疲労状態です。とにかく安静にしてください」
「ありがとうございます……っ」
一通り診察を終えたお医者様が言い、リックウッド伯爵夫人が安堵で涙声になる。周りもほっとして、労わりあうリックウッド伯爵夫妻を眺めていたが。
「そーいうことなんで、リックウッド伯爵とご夫人、昨日お伝えしたようにご子息を連れ帰ると最悪の結果になります。こちらでゆっくりとなさってください」
イエルが物騒なことをさらりと告げ、周りが凍り付く。
「体力が戻ればよいと思うが」
「だめです」
お医者様の発言もイエルは秒で却下した。
「身体は大丈夫でも、魂が危険です。私はご子息から呪いの残滓を全て取り除きましたが、魂につける薬はなく、時間をかけて癒していくしかないのです。それにはこのブロック家の聖地に近い環境が最も適切でしょう。どうぞお忘れなきよう」
「……わかりました」
リックウッド伯爵夫妻はイエルの言葉に力なく頷いた。
イエルはグレーナーと目をあわせて頷き、急に私へと向き直った。
「では、行きましょうか」
笑顔のイエルに声をかけられ、私はキョトンとした。
「お手伝いしていただけるのでしょう?」
「今からですの?」
驚く私にイエルは笑顔で言う。
「はい。これから馬車で移動します。さあ」
「わかりました。今、支度をいたしますわ。エマ、お願い」
エマと下がろうとすると、イエルが慌てた。
「えっ、そんな悠長な! 今すぐ出ましょう。さあさあ」
イエルは戸惑う私を追い立てるように手を伸ばした。あまりにも遠慮なく来られ、怖くなった私は身を引いた。
「っ、お待ちください。私、そのようにすぐには出られませんわ!」
怯む私にイエルは心底驚いた顔をした時、
「イエル、このバカ!」
グレーナーが慌ててイエルを乱暴に押しのけ、そのまま跪いて私に頭を下げた。
「申し訳ございません! これは神殿育ちで世の常識に疎いのです。ただ職務に懸命で、ご令嬢に無礼を働くつもりでは決して! 捜査が一刻を争う事態なのです。どうかご容赦を!」
束の間、私はグレーナーの流れるような謝罪に呆気にとられてしまった。……これは慣れ過ぎている。初犯ではなさそう。拗ねた顔で腕をさするイエルを見て、私はため息を吐いた。
「許します。急いで支度をいたしますわ。どちらへ向かいますの?」
「ありがとうございます! リックウッド伯爵邸へ。証があります!」
イエルが全く悪びれずに元気よく答えた。グレーナーが苦虫を噛み潰したような顔になり、我が家は困惑し、リックウッド伯爵夫妻は呆然としていた。しかしイエルはそんな私たちを不思議そうに見ているだけだ。
「あなたは、私たちが息子を痛めつけたと、言いたいのか」
リックウッド伯爵の恐ろしく低い声が響いた。怒りを滲ませる伯爵に、イエルは平然と答えた。
「いいえ? 先程、私はご子息から取り出した呪いの残滓を返しました。この弱さでは元凶へは返りませんが、呪いの媒介には届くでしょう。それを見つけに行くのです。あ、リックウッド伯爵も同行いただけます?」
リックウッド伯爵はイエルを睨みつけたまま頷いた。
「助かります!」
なぜ、ここで、イエルは満面の笑みで答えられるのか。神経を疑う。
「私も同行する」
「お父様?!」
突然の父の申し出に、私は驚いて声を上げてしまう。
「嫁入り前の娘に保護者が付き添うのは当然だろう」
「ふむ。貴族のご令嬢だとそうなのですね。では、そのように」
イエルはあっさりと受け入れ、私は更なる厄介事の予感に乾いた笑みを貼り付けるしかなかった。
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