5分で読めるSS 「蟲」
三つのキーワードから生まれるショートショート。
キーワード
「寄生虫」「蠱毒」「斜陽」
※別名義Twitterに掲載したものの改稿版になります。
「常に、腹の中で何かが煮えたぎるような感覚がありました」
「まるで、傾く陽のように熱を帯びた胃液が、ぐらぐらと煮立っているのです」
「それを余人であれば怒りと呼ぶのでしょう。しかし、私の青い自尊心は、感情に名前をつけることを嫌いました」
「浅ましく思ったのでしょうね」
「言葉を呑み込むたびに増えていく、その蠢動に、私は痛みすら覚えていました」
「苦痛ではあったはずなのです」
「そして、嫌悪もしていました。腹の肉を一枚隔てた臓腑の間を、それが泳ぎ回るというのは、言いようもなく不快な感覚なのです」
「あなたは知りませんか? 線虫の手足を切り落としたのは誰なのか。彼らは私たちの内側より現れ、そして、繁殖していくのです」
「そうでしょう?」
「あなたは自分の怒りがどこから生まれたのかを知らないのですから」
「私たちの内に、元よりそんなものはなかったはずなのです」
「生きたい、と泣くことしかできない赤子でした。あなたも、私も」
「ならば、怒りの根源は羊水の中にはなく、産道にもなく、当然ですが、細胞の一つ一つを覗き込んでも見つからないでしょう」
「私は知っているのかって?」
「……知っていますよ。見つけたのです、己の臓腑の内側に」
「最初、腹を割いて見たときに、それは赤子の指のように見えました」
「あなたは三尸、という蟲をご存知でしょうか?」
「私たちの体に住まい、夜な夜な抜け出ては神に人間の罪を告げ口するというのです。私たちが永久に生きられないのは三尸のせいなのです」
「なので、すぐにピンときました。これは私の中に救う怒りの蟲なのだと」
「葉の代わりに腸壁を食み、朝露の代わりに胆汁を啜る。憤りは確かに私の中で、不完全な変態を遂げていたのです」
「それを見て、私は思いつきました」
「そうだ、怒りを育てよう。私の中に、幾百幾千の怒りを取り込み、激情のるつぼとしてしまえば、世に憚るのに苦しむこともないのだと」
「そう、間違えたのです」
「私は、それ以降、内腑にたくさんの怒りを集めました。目を凝らせばあちこちに潜んでいるもので、それで腹が満ち、飯を食わずに済む日もありました」
「ただ、予想と違ったことがあるとすれば、その蟲たちが毒を持っていたことでしょうか」
「一匹一匹が、人ひとりの憤りに相当する感情の塊なのですから。当然と言えば当然です」
「やがてそれらは、共喰いを始めました」
「互いに噛みつき、喰い破り。人間が時折そうするように、閨の中の男女のように、貪り合い、命を散らし始めたのです」
「私は焦りました。せっかく、たらふく溜め込んだ感情の数が減ってしまうと、焦燥に駆られるようにして、今までに増して蟲を集めました」
「蟲を見つけるのは難しくありませんが、取り出すのは一苦労なのです」
「皮と肉を裂かなきゃいけませんから」
「けれど、そうしていたある時、気が付いたのです」
「ああ、怒りは萎んでなどいない」
「むしろ、強くなっているのだと」
「私が今、腹に飼っているのは、そんな激情の蟲です。数多の怒りを喰らい、私の臓腑の陰で、丸々と太った芋虫です」
「きっと、苗床たる私の命が尽きようとも、こいつは死ぬことはないでしょう。私の腐肉から這い出して、次の宿主のもとに向かうと思います」
「例えば、床のスイッチを押した刑務官、なんてのは、格好の苗床になるでしょうね」
「不条理、罪悪感、それらは正当化と結びつき、内臓脂肪を蓄えますから。あなたたちの腸は、随分と美味そうに見えるものです」
「私?」
「ああ、私はただの容れ物ですから」
「気が付いたのです。私たちは、この蟲を生かすために鼓動する、肉の器なのだと」
「だから、楽しみでもあります」
「私を喰い荒らしたこいつが、いったいどれほどまでに大きく育つのか」
「親心というやつですかね」
「……そろそろ、時間ですか? 構いませんよ、行きましょう」
「ああ、教誨師さん。そんなに震えないでください」
「大丈夫ですよ、あなたの腹の蟲も、こいつが喰い千切ってくれますから」
――とある死刑囚の執行記録より――