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読書感想文「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」藤田和日郎・飯田一史・小学館2016年 を読んで

作者: Reckhen

読書感想文「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」藤田和日郎・飯田一史・小学館2016年 を読んで


雑誌「昭和50年男」の記事で見かけて、図書館で何の気なしに読みはじめたら、熱い言葉がビシビシと胸を打ちました。慌ててネットで本を買いました。

今の悩みを解消する方法のヒントをもらえたように感じましたので、アウトプットしておこうと思います。

いきなり結論から書いてみよう。お時間とらせたくないし。

順を追って説明しないと読み手の頭に入って行かないかもしれないけど、私個人のアウトプットのためなので、別に構わないのです。

文句があるなら、この「「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」藤田和日郎・飯田一史・小学館2016年」を各自で読めばいいじゃない。

このテーマの他にも、仕事をする上での心構えや漫画の哲学、編集者との付き合い方などが、熱い言葉で目白押しなので、全人類が買って読むべきだと思います。


結論1:「作品」と「自分」を切り離すことにより、「作品」への評価と「自分」への攻撃とを混同しなくなり、ダメージを受けなくなる


ラノベ新人賞で一次審査落選しても、否定されたのは投稿作の出来・レベルであり、俺自身が否定されたのじゃない。

「ナシのつぶて」を防御する方法を捜していました。あれはダメージがデカすぎるの。心が折れて創作の道を諦める若い人がいないか心配していた。

撃たれても耐えられるタフさを今から身につけるのではなく、最初から当たらない位置に自分を置いておけばいい。

「無敵のワナビ」にフォームチェンジしよう。これからの俺たちは、攻撃を受けても作品の改善に変換してパワーアップし続ける厄介なヤツさ。


結論2:「作品」の評価が「自分」の評価ではないと認識すると、「自分」を否定されるかもという恐怖が消え、「作品」に全力を注ぐことが可能となる


「明日から本気出す」「俺はまだ本気出してないだけ」みたいな状況から一歩進めることができます。

本気で作り込んだ作品が一次審査落選だったら、ダメージが大きすぎて立ち直れなくなるんじゃないか、みたいな恐れがあったのです。


泥団子で例えてみます。泥を団子にして磨いてピカピカにするやつ。

磨きかたが甘くて「この辺のピカピカが足りないね」と批評されても、それは自分自身への攻撃じゃない。

逆に、どれだけピカピカでも、自分自身が褒められるわけではない。泥団子がピカピカだという事実だけが評価されるのです。

そうであるからこそ、我らワナビは、安心して泥団子を磨くことができる。思う存分、気が済むまでピカピカにできる。

僕らってそういうの得意でしょう?


結論3:よい「作品」を作ることに集中するということは、「自分」が褒められることを諦めることである


メインで感じたのは結論1・2なんですけど、そこから発展させ、作る際の心構えも教えてもらおうと思いました。

要するに、自分が褒められたいために作るのはダメで、読者を楽しませることを出発点にしましょう、と。

スタート地点が違えば、ゴールも違ってくるし、道筋も当たり前ですが違ってきますね。

根本を見直すことになります。私事ですが、ずっと「なんか俺って根本が間違ってないかね」と薄々感じていました。年齢的にも根本からひっくり返すにはギリギリのタイミングです。もう遅いかも。

そんなタイミングで名著「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」と出会えた奇跡! ありがとう小学館!


結論4:読者を楽しませるためには、ありきたりなものではダメで、オリジナリティが必要。そのオリジナリティは自分の中にある


自分の中の「好き」こそが個性でありオリジナリティなんだと教えていただきました。

「好き」を突き詰めることが読者を楽しませることになる。自分を根本から見つめなおす。

作品と自分とを切り離す、というのと矛盾しているように感じます。やっていることは同じ「内省」なので、混同するのも無理はないです。

読者を楽しませる武器を探すための内省なのか、自分が褒められるための内省なのか、意識的でいる必要があります。

真新しさを感じさせるが、作者のエゴは感じさせない、という難しいミッションです。「悪い意味でオリジナリティあるね」と言われないようにしないと。


結論5:「自分」が褒められるのは結果的なもの。褒められる対象は、売上部数、経歴、社交性、プロデュース力であって作品は二の次


作家のモチベーションのため、また、志願者を広く募集するため、売れた作家は人格や才能を褒めるけど、あくまで売れた後の話で、一握り中の一握りなんじゃないか。

そして、自分が褒められたいというスタート地点が、根本が間違っているのではという感覚の発生源だったのでは。

陰キャを応援したいとか、社会を明るくしたいとか、自殺者を減らしたいとか、後付けで言ってもしょうがないので、無難に「読者を楽しませたい」にしておこうかな。


今まで失礼なものも送りつけてきたけど、根本から反省して生まれ変わりました、ってギャップで逆に好感度アップ(ヤンキー更生的な)を狙う。

「ようやく分かってもらえましたか、ノーヒントでよくここまで来れましたね。今まで散々わけわからないものや失礼極まりないものを送りつけてきて、ずいぶんかかりましたね」みたいな。

編集者サイドのメンツも保ちながらスムーズな和解しやすさに持っていきたい。

こっちが折れたみたいでシャクだけど、この「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」のおかげです、ってことにして。

僕の人生を救ってくれた素晴らしい本、それがたまたま小学館。


漫画でのネームとはラノベではプロットと言えるでしょう。

プロットを自分から切り離して叩く、より良いものにするため、自分で作家と編集者を演じ分ける。

決まったフォーマットで、前のを残しておいて変遷を辿れるようにしておいたら、後から見返して楽しいかも。

やってからアップしろって話ですが。


論拠

ここから「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」から引用していきたいと思います。

ためになる部分は大体書き写したのですが、山ほどあって切りがないので、先ほどの結論に関連した部分に絞ろうと思います。

他の部分は本を買って読めばいいと思います。


結論1:「作品」と「自分」を切り離すことにより、「作品」への評価と「自分」への攻撃とを混同しなくなり、ダメージを防ぐことができる


〇藤田和日郎(漫画家)

『映画にかぎらずなんだけど、作品を語るときには、その評価の「理由」を語ることが大事だ。

「こうこうこういう理由だから嫌いだ」というロジックを必ず伝えることにしている。誉めるときも、悪口を言うときにも、絶対に自分の理由がある。

感覚でものをしゃべっても、おもしろさをつくることはできるようにならない。自分で腑に落ちるように、そして他人にも伝えられるように、論理的にしゃべれるように訓練してほしいんだ。

注意してほしいんだけど、たとえばおれとキミの映画の趣味が違ったとするよね。自分が好きなものに対してほかのやつが点数を低くつけると怒るやつが、よくいるんだ。

でも、おれがキミの好きな作品を批判したとしても、キミ自身の人格を否定しているわけじゃないから。

たとえある作品についての評価が違っていても、おれとキミは敵ではない。そこが一番重要よ。


「うしおととら」の前身になった「神剣破壊」という作品のネームは、担当の武者さんに何回見せても全っ然通らなかったんだけども、

その間、おれは「武者さんはおれが嫌いだからネームに文句をつけている」と勘違いした。バカだ(笑)。だけど新人はみんなバカだから、そんなふうに捉えがちなんだ。

自分の作品をけなされると、全人格が否定されたような気持になる。でも、そんなわけないんですよ。』


自分が好きなものを他人にけなされたら腹は立ちますよ。

「罪を憎んで人を憎まず」とか「あなたのことは尊敬していますがそのご意見には違和感があります」みたいなのを目指したい。


『編集者は、新人の作品がもっとマシになるように意見を言う。でも新人はその前提を忘れて、作品について言われたことを自分自身に対する攻撃だと混同しちゃう。

それはわかるよ。だってキミの作った作品は、キミが自分の全人格を乗っけて描いたものだもの。

だけど、それを分けて考えられるようにしないと、いつまで経ってもキミは、キミの作品についての意見を受け入れて、直していくことができないんだよ。』


「分けて考える」のメリットより、「混同してしまう」のデメリットは計り知れない。突き詰めると暴力沙汰や戦争まで発展してしまいそう。


〇武者正昭(編集者)

『あくまで個人的な見かただけど、具体的には、何回でもトライする力がありそうか、僕が担当しなくてもなんとかなると思えるか、自分で学習する能力があるか、とかね。

編集者に1回打たれたら心が折れちゃうタイプとか、へそ曲げるようなやつはプロにはなれない。

スポーツでも漫画でも、最初からうまくやれるひとなんかいないし、1回アドバイスしてすぐできるようになるひともいない。

編集者から「ここはもっとこうして」って言われたら「こうですか?」「いや、そうじゃない」

「じゃあ、こういうことですか?」って何回もやりとりをくりかえしていくうちに、だんだん鍛えられていく。

キミも自分で実際に手を動かして、編集者と顔を突き合わせて何度も話をしていくなかで、行ったり来たりしながら、徐々に加減がわかっていくと思います。

こっちも1回言っただけで新人がなんでもできるようになると思ってないし、何回もやりとりに付き合う気で構えています。

なのに選手のほうが「練習がきつい」とか「コーチからダメ出しされたから」って根をあげちゃうようだったら、一人前のアスリートはできないでしょ?

しかもプロの作家になれたとして、その先、雑誌に描くたび、単行本を出すたび、毎回毎回読者のシビアな評価にさらされるんだから。

編集者はいちおう加減して言うけど、読者はもっと遠慮ないよ。


僕はよく「作家はナタみたいじゃないとダメだ」と言ってる。いくら切れ味がよくてもカッターとかカミソリの刃みたいにパキッて簡単に折れるようなやつだと長くやっていけない。

ナタなら重さもあって、押したら切れる。それくらいでいいんだよ。村上春樹は「ナタじゃなくて斧だ」と言っていたね。そのくらい神経が太くないとやっていけない。

他人に打たれたときの反応なんて、1回会って話しただけでだいたいわかる。

ひとこと言ったことがちゃんと響いていそうとか、「ここ、こうしたほうがいいじゃないの」って言ったときに

すぐムッとして傲慢に「いや、違うと思う」とかって言うやつは、僕はそもそも声をかけない。

だって、ひとによっては漫画家にするために田舎から上京させたりするわけだから。変なやつ、見込みが薄いやつに声かけたって、お互い時間のムダでしょう?

才能のないやつ、やっていけそうもない性格のやつに期待させるほうが残酷だよ。

ひとりの編集者が担当できる作家の数には限界があるし、ほかの仕事をしながらだと付き合える時間は限られている。才能あるのかないのかわかんないやつに、付き合ってるヒマはないんですよ。

「こいつはやる気あるな」とか精査してから声をかけるから、そのあと全然ダメ、芽が出ないっていう作家はほとんどいなかった。僕は最初の選別が厳しいほうかもしれない。

なんにしても、漫画家としてやっていけるかどうかは、現時点での技術よりも、メンタルのほうが大きい。

キミもそうだけど、新人賞に残ったってことは、あるていどの力量を複数のひとが認めているわけだから。

そこから伸びるかどうかは、編集者がその作家に愛があるか、誰に何を言われても、作家に自分を信じる力があるかなんじゃないかな。』


この本の前提として、「藤田氏の仕事場に、小学館新人コミック大賞に引っかかったばかりの新人漫画家志望がアシスタントとして入ってきた」という体があります。

一次審査落選している我らは相手にもしてもらえないんです。


『そうそう、大事なのは、作品から自分をひっぺがして吟味することだよね。1歩引いて。描き終わったら、いったん離れなきゃいけない。

もちろん実際はキャラクターに自分を投影していたりするから、なかなかそうはいかないけど。

自分を切り離して捉えるには、場数を踏むことも必要だと思う。編集者にわーわー言われることだって、何回かやっているうちに「そういうもの」って慣れていくんだよ。

最初に1回描き直しを要求されただけで折れちゃう人もいるけどね。

でも週刊漫画家になったら毎週毎週評価にさらされるわけだから、あるていど自分自身と作品を切り離して客観的に見る訓練を積んでないと、やってられないですよ。

なんで新人賞を獲った俺がこんなにダメ出しされなきゃいけないんだった、って思っているかもしれないけど、漫画の新人賞で賞を獲った作家は、あくまで「素材」だから。

もちろん、新人のなかでは賞を獲れる人間は相対的に優秀だよ。でも審査する側はあくまで「これから」のことを考えて選考している。

編集者も「伸びしろ」を買っているわけで、キミの今の状態がマックス、完成品だなんて誰も思っていない。これはどの業界の新人賞やオーディションでもそう。

クリエイターの才能のピークは20歳くらいだ、って言われたら、困るでしょ? そのあと何10年も活躍したいでしょう。

出版社だって、一発屋じゃなくて当然長くやってほしいわけですよ。』


ひっぺがしたことがないので、できるかどうか分からないのですが。


『僕は「キミだったら絶対できる」と思って接しますから。だから、そのつもりで編集者の言うことも受け止めてもらえると、お互いやりやすいと思う。

こっちは才能を伸ばしてもらいたくて、作品をよくしたくて言っているという前提を忘れちゃうと、話がこじれる。

そうは言っても、人間、なかなか自分のいる地点を客観的に把握できるわけじゃないから、不安なのはわかりますよ。あと何か月、何年言うこと聞いてやっていったら連載が取れるのか、見えないもんね。

暗闇のなかやっていくには、本当は信頼できるメンターや伴走者がいないと、作家は孤独すぎると思う。ふつうは編集者と作家は1対1の関係。

作家は全然先が見えないなかで耐えて、それでも自分を信じられるかどうか。』


編集者さんも、先に作家と前提を合わせておいたほうがいいんじゃないの。


『たとえば新人が2か月まるまるかけて描いた作品を持っていったのに全然誉められなかったりして呆然とするとかさ。しょっちゅうありますよ。

編集者は最終的なアウトプットでしか判断しません。だけど、それは読者も同じだから。

作家が何を考えてそうしたのとか、どのくらい時間をかけたのか、そんな途中経過は知ったこっちゃないんですよ。

編集者がそこで妥協したら、読者に「なんじゃこりゃ」って思うようなものを出すことになっちゃうわけでしょう。それはできない。

新人に対して簡単にドアを開けちゃう編集者はよくない編集者だと思う。結局、1回連載を取れたところで、あとからその新人は苦労する。

だから「壁」扱いされても「門番」扱いされて作家に嫌われても、厳しくしますよ、そりゃあね。』


さっきは人柄を重視するって言ってたのに、ここでは作品でしか評価しない、って。

などと混同してはいけませんね。最終的によい作品になるかどうか、いっしょに改稿していく上で人柄が重要ってことでしょう。



結論2:「作品」の評価が「自分」の評価ではないと認識すると、「自分」を否定されるかもしれないという恐怖が消え、「作品」に全力を注ぐことが可能となる


〇武者(編集者)

『……なんか前と全然違う方向性のネームになったね。

なるほど。いろいろ言われたことを全部やろうとすると、全部替えないといけないと思ったんだ。

たしかに編集者はみんな新人のネームに対してはいっぱい言いますよ。だけどさ、言われても実際そんな一気にできないでしょう?

「だったらたくさん言うな」って思うかもしれないけど、言わなきゃ言わないで「前は指摘しなかったじゃないですか」ってことになるわけだから、一応言っておかないとね。

人間、1週間や2週間でできることって限界があるから「少なくともこれだけはがんばる」ってかたちで絞って取り組んだほうがいいですよ。

10コ言われたら、1を取って9を捨てるくらいの気持ちでさ。そうやって1コずつできるようにしていったほうが、最終的には近道なんじゃないかな。

漫画には絵もあればキャラクターだとか物語だとか、いろんな要素が入っている。だから、同時にたくさんを気をつけて直すのは難しいと思う。

「せめてひとつをちゃんとやって、あとは順番にがんばります」と言ってもらえれば、こっちもそのつもりで見るからさ。

キミのこのネームはあっちこっちにちょっとずつ手を付けようとして、結局ひとつもまともに直ってないでしょう。

あれこれ言われたのがくやしいからってやっつけで「直しました!」みたいな投げやりなものを見せられても、困るんだよ。

毎回毎回言われるたびにキャラクターも舞台も何もかも違うのつくるって、大変ですよ。1回や2回だったらいいけど、つかれちゃうから。

藤田氏はね、はじめのうちは毎回違うものを描いてきたんだよ。でもいくら新人の原稿だからって、全部の要素がNGじゃない。こっちは「もっとここがこうならないか」と絞って言っているつもりだから。

藤田氏は過剰に考えて、直さなくていいところまで全部直してきちゃっていた。

だから「いや、もっと粘ってよ」と言って、

「たとえばほら、ここの隅っこに描いてるキャラクター、なんかよさそうだけど、なんでこんなちっちゃく描いてるの? こいつをもっとかっこよくしたら、いい話ができるんじゃない?」

って言って、そのサブキャラを深掘りしてもらったら出てきたのが「とら」。ただ、そこにはものすごいジャンプがあったけどね。

全部取っ替えていくことは、「とら」級のいいキャラになる可能性を持ってる種まで捨てちゃうことになるかもしれないということだから。

ヘンに執着されても困るんだけど、あっさり捨てすぎるのもどうかと思うよ。』


1回や2回じゃないぜえ。

一次審査落選した作品(というか駄文)は愛せなくなっちゃうよ。全人格が完全に完膚なきまでに否定された嫌な記憶だと認識しているから。

ぜも、全否定するより、よくできたところもあるんじゃないかって切り離して眺めることも必要かもしれない。


結論3:よい「作品」を作ることに集中するということは、「自分」が褒められることを諦めることである


〇藤田(漫画家)

『キミたち新人漫画家はね、びっくりするぐらい自分の普段の感覚をどっかに置いた状態で、漫画を描いちゃう。

「自分が読者だったら、これどう思う?」という問いを自分に差し向けることを忘れちゃう。

「キミ、こういうの嫌いじゃなかった?」とおれから改めて指摘されるとみんな「あっ……」って思うんだ。

一生懸命漫画を描いていると、自分自身がそのダメなことをやっちゃっていても、見えなくなる。』


読者を楽しませるための作品を書くぞ、ってスタートが違っているんじゃないか。

目的論的アプローチ、と呼んでみよう。

褒められる、認められる、売れて儲かる、偉い人をペコペコさせる、では良くないのかな、と。

それでぱっと見で「面白くない」=「才能ない」ってジャッジされちゃうんじゃないか。


『絵がうまいってどんなコトだろう? 「デッサンが整っていること」が目的なのか? 違うよな。目的をハッキリしようや。

キミの漫画は、どういう目的を持ってるのよ? かっこいい絵とかきれいな絵とか整った絵を一枚絵で伝えるのが目的じゃないだろ?

物語をおもしろがらせて、その物語に即した問題的をしたり、読者をスカッとさせたり、笑わせたり、泣かせたりすることだろう?』


読者を楽しませる、って漠然としているので、具体的にどう楽しませるのかまで考えないと。


『ひとの感情を動かしてカタルシスに持っていくことが目的なのであれば、それを伝える絵がいちばんいい絵なんだ。読者を揺さぶる、思ったとおりの読後感に持っていくものがいい絵なんだ。

丁寧にデッサンを取って、原稿用紙をウラから透かしてみて「上手でしょー」とかってやる前に、その絵が、自分がみんなを連れて行きたい場所に連れて行く情報量を持っているのかを考えな。

読者はデッサン表を観に来るわけじゃないだろ?

巧さよりも、泣いている顔が感動させるために必要だったら、デッサンを取って泣いている顔じゃなくて「本当に悲しいんだな、こいつは」ということが伝わったほうが漫画としてはいい絵なんだ。

「リアル」が正しいわけじゃない。

アダルトビデオに対して「文学性が足りないなあ」とか言ってるやつはバカだろ?(笑)アダルトビデオにはアダルトビデオの目的があって、それに合ったつくりかたをしている。漫画だって同じだよ。』


アダルトビデオの目的とは、と考えだすと時間が足りませんが、旧約聖書とかに書いてあるんじゃないでしょうか。


結論4:読者を楽しませるためには、ありきたりなものではダメで、オリジナリティが必要。そのオリジナリティは自分の中にある


〇藤田(漫画家)

『コミック大賞の審査員をやってるとわかるんだけど、新人が送ってくる読み切りの、ある種のパターンってあるんだよ。新人が陥りやすい闇、迷いがある。それがまさに、一般常識の無視だよね。

「漫画は、素直に考えな」

あるパッケージで始まったら、その通り進むのが重要だから。

新人は、しょっぱなから意外性を持ってきたがるんだ。漫画がこれだけ多くなってきているから、当たり前のことは「テンプレート」と言ってバカにされる。

だから新人は「そういうのは飽きられるんじゃないか。ありきたりだ」と思って、意外性から始めちゃう。

たとえば、村の掟でいけにえになるやつが必要なところに性格のワルい女の子と男の子がいて、いけにえになることから守る話なのに、男の子がいけにえにされて女の子が戦う。

しかも最後は助かってハッピーエンドじゃなくて、助けられない。……みたいなかたちにしたがる。

意外性を求めるあまり、エンターテインメントの逆にいっちゃう。こういう子たちにおれはいってやりたいんだよね。

「キミは自分の作品を読者に読んでもらって、どういう〈読後感〉を持ってもらいたいんだい?」ってな。

「スカッとして欲しい」「愉快な気持ちになって欲しい」「ちょっと寂しく思って欲しい」「泣いて欲しい」……。この作品の読後感は「もっさりモヤモヤ」かな?(笑)

そういう気持ちになって欲しかったのなら成功してるよな。だけどおそらく違うだろう。

その子たちのアタマの中にあったのは読者の〈読後感〉ではないわ。

「自分が読者に、もしくは編集者に、斬新な漫画を描いて漫画家としてホめられたい」だな。

たくさんプロの漫画を読んで来て、自分も漫画家になろうと思った新人なら、ほかの漫画家がやれない漫画を描こうとしたのはわかるわ。少しでも他人のやってない漫画を出して目立ちたいもんだ。

でもは、これは漫画家がやれないストーリーなのではなくて「やらない」ストーリーなんだよ。なんでか?

読後感から、読者がヤだなと思うストーリーだから。漫画家の「自分しか見てない感じ」。それを「漫画は素直に考えろ」とキミたちに言っている。

それから、これからも自分の漫画を読んで欲しいならさ、長くつき合って欲しいひとにはじめてあいさつする時に砂をぶつけるやつがいるか?

「快感」をくれたからまたその気持ち良さを求めて、読者はその漫画家を受け入れてくれるんだろうと思う。

エンターテインメントの漫画で「痛み」を与えて、その衝撃で印象に残ろうとするときも、どこかにその「痛み」が暗い「快感」に通じないとならんのさ。

だけど、どれは偶然ではなくて意識してつくるもんだ。ただ「ほかの漫画家かやっていないから」じゃ出てくるワケがない。』


この部分が私にとって一番のキモだったかも。

一次審査落選だと何のフィードバックもないから、ずっと気づかないままなんですよね。

評価が返ってきたとしても、ここまで的確に指摘していただけるか、その指摘を受け入れられるか分からないし。


『・主人公は普通のリアクションを取れていれば及第点。

残酷なことを見たら「うわあ! かわいそうに」とか、いいことがあったら「今日はいいことがあった」とか、困ってるひとがいたら「大丈夫?」とかね。

普通の心を描けていれば、かなりいい線いく。新人の原稿には、それが本当に少ないのよ。

つまり「ありきたり」を避けようとして、新人の作品の中で「ありきたり」になっちゃってるのよ。わかる? この恐怖(笑)。

意外性を高めていくことと、期待感を持たせていくことには、順番がある。常識から入って、次に意外性を用意して、期待感のとおり終わるのがベストなんだ。

なのに新人は意外性で始めたがったり、意外性で終わっちゃう。それじゃあ読者は喜ばない。「はあ?」って言うだけだ。

なんで新人はそんなことをしちゃうのか。ふだん期待感のとおりに終わってくれるようなものばっかり見ているから「おれは違うものができるよ」とアピールしたくなっちゃうんだろうなア。

で、アンハッピーエンドで終わったりする。そうじゃないんだよ。主人公たちを思いっきりピンチに陥れて、それを覆すことに一生懸命にならなきゃいけない。

「新人の新鮮な発想が~」とかみんな本当によく言うんだけど、あのさ、毎年毎年、新人って何人いると思ってんだ? デビューしました、連載しましたっていう次の年には、もう新人じゃないんだぜ?』


「「ありきたり」を避けようとして、新人の作品の中で「ありきたり」になっちゃってる」恐怖、わかります。言われて分かりました。

スタンダードに面白いものを目指したいですね。


〇武者(編集者)

『だいぶいいと思う。だけどこれ、本当にキミがやりたいことなの?

腹は据わったのかもしれないけど、焦りも見える。まだ手堅くまとまっているっていうのかな……どっかまだ、楽しんで描いてないような気がする。

こういうときだからこそ、好きなものを描いたほうがいいんじゃないか?

漫画に正解はないから。「これだ!」っていう、自分だけの武器をぶつけてきてよ。』


スタンダードすぎてもダメなんですかね。「スタンダードなめてんだろ!」って怒られるようなの自分で書きそうで今から心配に。


〇藤田(漫画家)

『来たね。「正解はない」!

いいか。そんな言葉には、惑わされるな。真に受けたら「正解はないはずなのに、なんで編集者は僕にダメ出しするの? これ、間違ってんですか?」って思っちゃうよな。

正解はあるんだよ。「たくさんのひとが読み進めたくなる漫画」。これだろ?

今までキミを話して来たのは全部コレを目指してたワケでしょ? 「ひとの心が変わる」とか「感動させる」とかも全てそれに行きつくでしょ。

編集者が言う「正解はない」と「好きなものを描け」は新人にとっては、迷いの森に誘う罠なんだわ(笑)。「好きなものを描け」と言われて、描いていったら文句を言われる。わけわかんないよな。

それはつまり、こういうことだよ。

「正解はない」のほうを通訳すると「ヒットするのを描いて欲しいけど、ヒットするのって編集者としてもよくわかんないから、具体的に、ハッキリとは言えないんだよ。言わせんなよ」(笑)。

「好きなものを描け」のほうは「好きなものじゃないとおもしろくなんないのはわかってるんだ。だから好きなものをおもしろく描いてきてよ。たのむよ。おもしろくだよ」(笑)。』


「編集者としてもよくわかんない」って衝撃的な記述です。


『「キミだけの武器を」も、そう。最後にみんなが悩むところが「キミだけのオリジナリティーを」だよ。編集者は必ず言う。「個性を」って。そこが最後の壁だよ。

「おれだけの」なんて言われても、自分のことはわかんないよな。キミの武器は、本当は他者が気づくんだけどね。でも編集者は親切にしてくれないから。「キミだけの個性」を明文化してくれない。

「好き」が個性だから。

おれは新人漫画賞の選考をやらせてもらっているけど、必ず評価表に点数を付けさせられる。いつも思うのは、「平均的にまんべんなくいい新人」が「少年サンデー」にほしいわけじゃないのさ。

絵がそこそこうまくて、そこそこいい話で、みたいなちっちゃくまとまっている話が新人の作品には多い。だけど、どこかひとつずば抜けて突き抜けているやつのほうがほしいんだよ。

ひとつだけでいいから狂気を感じさせるくらいとんがってるもの、「死ぬほど好き」「これさえ描けたら!」というものがあったほうが、編集者も読者も喜ぶよ。

どういう人間なのかが見えてくるものを描いてほしいんだ。「なんだこいつ? 一体どういうやつなんだ?」って知りたくさせるような、ひとの興味を引くものを目指しておくれ。

そういう個性、キミの「好き」から生まれてくるよ。

「好き」には、本人だけの「こうあるべき」が凝縮されているんだ。「おれ、〇〇が好きなんだ」というところには、他人からどう言われても動かないところだから。

そこが個性で、そこを伸ばさなきゃいけない。好きな漫画、好きな映画、好きな本は? ……って、ここに入ってきたとき聞いただろ? それこそが、個性なんだよ。

すまりキミの「オリジナリティー」そして「武器」。

キミは「キミだけの武器は?」「個性は?」と言われたときに、外に答えを探した。「オレは勉強していないからダメなんだ」「オレは新しいものを取り入れなきゃいけないんだって。なんでかわかるか?

ほかから持ってきたほうが、自分と向き合うよりラクだからだよ。自分の内面に「武器」がなかったらどうしようってね。

でも個性は、内側を見て、自分の過去を振り返らなきゃ見えてこないんだ。「おれ、何が好きだったっけ?」って。それが個性だから。そういう好きなものをうまーく出して、武器にするんだよ。

それを取り込んで、物語にしなきゃいけない。』


武器が欲しくて外を探す。やりがちっていうか、ずっとやり続けているというか。取材って大事なんでしょ?って

逆説的に言うと「本当に自分が好きなものじゃないと、武器として成り立つレベルの攻撃力が得られない」でしょうか。

すでに世にありふれている素材でも、本当に好きだったら、自分なりの切り口とか思い入れとかあるから、オリジナリティが出るんじゃないかな。出るといいな。


結論5:「自分」が褒められるのは結果的なもの。褒められる対象は、売上部数、経歴、社交性、プロデュース力であって作品は二の次


〇武者(編集者)

『藤田氏のところでは編集者からダメ出しされたらポイントを復唱して理由をちゃんと聞いてこい、って言ってるんでしょう? 

だけど現場の編集者はさ、何がいいとか悪いとか、分析している時間なんてないよ。

時間に追われるなかで感覚的、経験的に判断してるのが普通じゃないかな。だから理由を聞かれても、その場ではわからないこともある。申し訳ないけど。

ただ、直感的にいいか悪いか、引っかかるところがあるとかおもしろくないとかいったジャッジはできます。

作家もギリギリでやっているとは思うけど、編集部もけっこうギリギリでやってるからね。

なるべく〆切は守る、時間を守る作家になってもらいたいね。新人だったらとくに、1回でも原稿落とすと傷がつくよ。反対に「落としたことない」って作家は評価が上がる。

一流のひとは落としてないですよ。あ〇ち(充)さんだって高橋留〇子だって落としたことはないから。

そういうことなんで、忙しいせいでキミのネームを見るときに期限が悪いこともあるかもしれないけど、それはキミが悪いんじゃないから。

まあ、おもしろくなかったら腹立つかもしんないけどね。「あれ、これ先週も言ったじゃん」みたいになったら、ガクッて力が抜けちゃうかもしれない。』


受賞した後の話かな、とも思いましたが、編集者さんの気持ちも考えないといけませんね。


〇藤田(漫画家)

『漫画は、出版社の依頼があって受ける。依頼者があって成立する商売だよ。「アーティスト」だとか「クリエイター」という耳あたりのいい言葉で騙されないでほしい。

はっきり言っとくけど、漫画家は「商売人」だから。みんなの欲しがるものを売ったら、みんなが欲しいと言って買ってくれる。それが「商売」だとおれは理解している。

漫画家は自由にやってよくて、それにみんながわーって飛びついてお金儲けできる、なんてことにはならない。

「自由」とか「楽しい」という状態は、ヒットしたときに初めて手に入る。

おれが新人のころ小学館に持ち込みに行って「失礼しまーす」と言っても下を向いて顔も上げなかった編集者が「うしおととら」が売れたとたんに、

おれが帰るときにはえびす顔でエレベーターまで見送りに来て「おつかれさまでした!」って言ってくれるような、この手のひら返し。

そういうことなんだよ。おれたちは商売するために製品をつくっている。売れればいくらでも感謝される。それを叩き込まないといけないのが、今の時期なんだ。』


偉い人をペコペコさせるのが最終目標、じゃ寂しいような気はしているんです。


『新人はみんな漫画の世界を「自分を誉めてくれる場所」だと思って入ってくる。

ここで漫画を描いたら誉めてくれる、自分の心を折らずにプライドを保ってくれる場所だと勘違いしてやってくる。

そりゃあ、世間の大人気漫画家がちやほやされているのを見たら、そう思うよな。』


さらっと重いパンチを繰り出していらっしゃいます。


『だけどおれたちは、描いたものが売れなきゃクビになっちゃう人間だからね。

キミのネームを見て、よくなかったらよくない、わかんなかったらわかんないと言ってくれる武者さんみたいな編集者が、いい編集者なんだよ。

最近はみんな摩擦がイヤだから、ケンカを避けて、新人は「こういう萌え系みたいなの、流行ってるんでしょ?」って軸のない作品を持っていって、

若い編集者は「こいつ、何回も持ってきてるし、おれはよくわかんないけど通すか」とか言って、おもしろくないのになんとなく載せてしまうこともあるよ。』


わけわかんないものを何回も送り付けてごめんなさいね。


『おれ、キミにそんなふうになってほしくないんだよね。おれが武者さんから習った週刊少年漫画誌ってのは、常に広いところに打って出て、みんなが読んで楽しいものだってさ。

載ってる漫画が「あれ見た?」って友だち相手であろうと知らないひとだろうと気軽に言えないような作品じゃダメなのよ。少なくともおれは「みんな」に向かって描いてる。

それがメジャー誌の気概であり、務めだから。「どんなひとが読んでもおもしろいのが少年漫画誌だ」とおれは習ったから。

おれは、あだち先生、高橋先生クラスが「漫画家」だと思っている。あのレベルに近づけなければ漫画家じゃないと思っている。』


理想は高く持たないといけませんね。


〇武者(編集者)

『編集者も、いろんなやつがいる。

「うしおととら」だって連載が始まるときには、編集部の半分くらいは反対していた。僕も有名な作家とか、のちに有名になった作家とウマが合わなかったことがあるしね。

漫画家と編集者の関係がこじれるときには、どちらかの能力の問題もあれば、お互いの相性の問題もある。

いまヒットしている作家だって、最初は「雑誌のカラーに合わない」なんて言われて上から圧力かけられたりしていたこともある。

だけどそこで作家の側に立って戦ってくれる編集者が付いているかどうか。「こいつ、肝心なときに逃げそうだな」という編集者もいますから。

まあ、それも何年かこの仕事をやって、何人かと仕事してみないと、本当にダメなやつなのかどうかの見極めはつかないかもしれない。

そういう意味では新人は編集者をよく見つつも、ちゃんと言うこと聞いておいたほうが、のちのち編集者を見る目も育つんじゃないかな。

なかには自分ではアイディアも出さない、作家をののしるだけで励ましもしない、作品をもっとよくしていくことが目的なのに、ダメ出しすることが目的化している編集者もいるからね。

バカですよ。作家より上に立たないといけないと思って、力関係で命令するような編集者ね。

自分がおもしろいと思っているかどうかよりも「ああいう系が受けるからなんとか」って外側の話ばっかりする編集者もいる。

そんなやつの言うことは、真に受けなくていい。気の抜けた作品になっちゃうから。

腹を割って話せるやつじゃないと、描いているほうも必死になれないでしょう。だって、必死になったって雑誌のなかで一番人気になることだって、なかなかできないんだから。

クリエイターはリスクを取らないと進めない。流行っているものの後追いしたって、三番煎じになるのがせいぜいだから。

このくらい育ってくれたから言えるけど、編集者なんて、アテになんないですよ。だって、どんな作品だって、出してみないとわからないんだもの。

もちろん、作り手側が納得していないものを自信なさげに出したらダメだよ。そんなプロはほとんどいないけどね。

「どうだこれは!」と思ってやっても、たいがいはヒットするわけではないから。逆に箸休め回のほうが人気出ちゃうこともあるしね。

キミの才能を買っている編集者だとしても、こっちはこっちで、ハッパをかけるつもりでムチャなことを言うこともある。だけどできないと気に病んだり、勝手にあきらめる必要はないから。

それで消えていくひともいるから、言っておくけど。

単巻で何100万部も売れてる某有名漫画を立ち上げた他者の編集者と話したときに、彼が言ってたよ。「成功しないかぎり、作家と編集者は仲良くなれない」って。

打ち切りかどうかすれすれの状態で、ギスギスしないわけがないよね。漫画は人気がすべてで、目的はおもしろいものをつくることだから。

人気や売れ行きを最後に決めるのは読者だから。編集者の顔色を見てじゃなくてさ、読者に向けて球を投げてよ。』


「作家の側に立って戦ってくれる編集者」でも「出してみないとわからない」なら、売れなかったときどうするんだろうって余計な心配しちゃうよな。


〇藤田(漫画家)

『「読者に向けて描くんだから、編集者の話なんか聞かなくていい。編集者におもねるな」って武者さんに言われたって? それはそうなんだけどね。読者が第一のお客さんだからね。

でもな、顔色をうかがう……というよりも、顔がある人格もある編集者を見なくなって無視しはじめたら、そこからなんか漫画家はひととしてダメになっちゃうんじゃないか……と思ってさ。

「読者」がいかに大事でも、彼らとは会話できないからねえ……。顔立ちもわからない「読者」に投げかけるよりも、具体的なひとに投げかけるほうが、ずっと漫画は強くなるよ。』


一次審査落選でナシのつぶてだと、会話できませんもんね。


『「門番」としての編集者の気持ちをクリアするのが第一関門。その向こうに広がっているのが大読者。大読者は、編集者どころじゃなく厳しいよ。

すっっげーおもしろい漫画を描かないと、食いついてきてくれない。興味を示してもくれない。読んですらくれない。』


やはりナシのつぶてってダメージ大きいのじゃないか。一次審査落選って、最初のスライムなのにラスボス級の攻撃力みたいな。


『長年漫画家をやっていてわかったのは、連載ってガソリンが切れたクルマをムリヤリ押しているようなものなんだ。次の一歩を踏み出せるのは、誉めてもらったときだ。

メールだとかファンレターをもらったとき、編集者から「今回これ、ちょっとよかったね」って言われたときだよ。

おれは弱い人間だから、そういうものに背中を押してもらって、ようやく登っていける。』


一次審査落選ワナビはずっと無補給ですが、我々はよくがんばってきたと褒めたい。

最後の方で愚痴っぽくなっちゃったよ。


『世間での出版事情とか、色々しょっぱい状況も耳に入ってきてるんだろ? 新古書店や漫画喫茶のコトもあるしな。

でもな、『おもしろかったら読者は絶対見つけてくれるよ』。おれ達漫画家はこれを信じてないとやっていけないからな。

おれは、漫画に一生懸命なやつのことが好きなんだよ。応援してるよ。』


他の師匠(私淑)も仰っておられるような、ある程度まで行くと、若者を応援したくなるんでしょう。そして私もその年代になりつつあるので、こんな小論をアップしたくなったんでしょうね。


最後に、蛇足として、ライトノベル新人賞の募集要項に追加しておいてほしかった文言を考えました。

ラノベ新人賞もそろそろ考えないと。審査するのでも面白い作品が増えたほうが楽しいでしょう。ただでさえ少子高齢化で若者が減っていくんだから、このままじゃどんどん先細りしていきますよ。

・「読者ハ読ムナ(笑)-いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか-」藤田和日郎・飯田一史・小学館2016年の他、マストで読んでおくべき本リスト

・ビジネスパートナーを募集しています。一緒に働きやすい人、割り切った関係を望みます

・お前を褒めるための場じゃない、売れそうなの探してるだけだ。どんなのかは編集者にもわからない

・仮に一部が面白くても、商品として少しでもデメリットあるものは不可

・一次審査落選でナシのつぶては人格攻撃じゃない。逆恨みして滅多なことを考えるんじゃない

・自己アピールのオリジナリティは不要、独自性・真新しさは面白さに繋がるもののみ加点

・アンハッピーエンドなど、他と違うことして爪痕残そうとしない

・自信持って出せるまで作り込め。締め切りに追われて妥協したものを送ってくるな

・以上の事項から外れているものは、多少の面白さや才能を感じさせても、一次審査落選となる


評価する5つの基準(ガ〇ガチャンネルvol.124、1月12日配信より)も前もって教えてもらえたら、こちらも無駄な努力と時間を捨てなくて済みます

・キャラクター性:読者が共感し好感を持つようなキャラを作れ。正解はない

・構成力:読者が理解しやすく、かつ単調ではなく、かつ没入できる構成を考えろ。自分で

・文章力:読みやすい文章なのは言うまでもない。それなりの読み応えも考えろ。絵本じゃねえんだぞ

・ストーリー性:ハッピーエンドの王道で読者の感情面を満足させろ。

・オリジナリティ:お前の個性アピールとはき違えるな。読者を楽しませるための真新しさ、ありきたりじゃないもの、かつ王道と共存できるもの、そして自分がなによりも好きだというパワーを乗せたものをひねり出せ


オチとしては、この投稿もコメントは受け付けない設定でアップしてる、ってことでしょうか。

まだ作品と人格を切り離すって自分でやってないけど、簡単ではなさそうな。

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