禍根
「こんにちは」
通りを歩いていると
そう声を掛けられた。
声の方へ向くと
見覚えの有りそうな
女性がいる。
しかもその女性の額には
印が付けられていた。
誰だったっけ。
訝しがりながらも
にっこりと微笑んで通り過ぎると
その途端
突然背中に激痛が走る。
余りにも突然の事で
美沙は何も分からずにいた。
振り返ると
その女性の手には
返り血で真っ赤になった刃物が
握られている。
美沙の鮮血だった。
その刃物を固く握ったまま
更にこちらに向かって来る。
何とかかわせた。
美沙は気付く。
会社の受付をしていた女性だ。
あの女性が、何故・・・。
自分の背中からは
まだまだ鮮血が滴り落ちている。
抜かった! 気付けた筈だった。
美沙はそう思った。
額の印は
自分が付けた
自分にしか見えないマーキング。
標的の証し。
確実に殺すための目印。
それが彼女には付けて有る。
だから、注意して当然の相手だった。
例え目を瞑っていたとしても
何時でも何処ででも殺せる
死出への刻印を
押しているのだから。
でもこの人の多い状況下では
自分は手を下す事が出来ない。
更に血は滴り落ちて行く。
このままでは
自分の命すら危うい。
でも、この状況下において
どうすべきか
その答えを見つけられないでいる。
その女性は
刃物を両手で腰に構えると
今度は正面から体当たりで向かって来る。
それをかろうじて
身を捩る様にかわすと
徐々に意識が薄れて行くのが分かった。
あの女性が何故・・・
誰かの血縁者だったっけ?
その目は憎しみに満ちている。
気を失いそうになるのを
何とか踏みとどまると
周りが騒がしくなっているのを感じた。
誰かが止めに入ってくれたらしい。
ボーっとして
それすらも認識出来ないでいた。
膝から崩れ落ち
倒れそうになった瞬間
周りが突然真っ暗になった。
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「キャー」
その悲鳴を聞いて
恭一は走り出した。
直ぐに何かの事件だと察知したからだ。
声をした方に駆け寄ると
血飛沫を浴びた女性が
数人の男たちによって
取り押さえられている。
地面には
血塗れの刃物が落ちていた。
その女性の周りには
おびただしい鮮血が
広がっている。
被害者は
かなり出血している筈だ。
恭一は手錠を取り出すと
取り押さえられた女性を
後ろ手にして
手錠を掛ける。
前手錠では、暴れられると判断したからだ。
直ぐに応援を呼ぶと
周りを見回す。
「被害者はどうしました?」
その問いに、誰も応えようとしない。
みなきょろきょろと周りを見渡すばかりである。
その中の一人が、答えた。
「女性が背中を刺されたんですが
今見たら、いないんですよ」
「いないって、何処かへ逃げたんですか?」
「あの傷だから
そう遠くへは行けないと思うんですけど・・・」
誰もが周りを見渡しているのだが
その女性は見つからない。
被害者無き傷害事件。
むしろ殺人未遂事件と言うべきか。
そんな言葉が、恭一の頭を過ぎる。
事件は間違い無く起こっている。
そのカギを握るのは
犯人と思われる目の前の女性だった。
恭一はてきぱきと状況を判断しながら
指示を出し
犯人の女性を連行させると
被害者を見つける為に警官に周囲を探索させ
事の全貌を整理し始めた。
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「御免下さい」
恭一が、被害者と思われる女性宅を訪ねる。
もし被害者が、犯人の証言通りだとしたら
ここに住む女子高生が
被害者と言う事になる。
誰も出て来れないはずだ。
一人暮らしと聞いている。
そう思っていたのだが
その意に反して
「はーい、どなたですか?」
中から返事が返って来た。
思っても見ない、意外な展開だった。
「警察ですが、お話を伺っても宜しいですか?」
ドアが開くと
中から少女が出て来る。
5年前のあの事件の生き残り。
もし本当に
今度の事件の被害者なら
かなりの重傷の筈である。
しかしその少女は
まるで何事も無かったかの様に
姿を現した。
「こんにちは。どんな御用でしょうか?」
「美沙さんですか? 単刀直入に聞きますが
昨日、女性に襲われませんでしたか?」
その言葉に驚いた様子で
「何もなかったですけど・・・。
どうしてそんな話しになったんでしょうか?」
「犯人がそう供述しているからとしか言えないんですが・・・」
その少女は、少し思案気な顔をすると
「そうなんですか。でも人違いですよ。きっと」
「人違い、ねぇ? 人違いか・・・」
美沙の全身を見回すと
「ちょっと背中を見せて貰ってもいいですか?」
そう言葉を繋げる。
「それは構いませんけど」
そう言って、その少女は背中を向けた。
背中を向けたその瞬間
恭一は思いっきり平手で背中を叩く。
突然の事に、美沙は驚いた様で
「イタッ! 何するんですか一体。ホントに警察ですか?」
大声を上げた。
恭一の手の感触は、無傷の人の肌の感触そのままだった。
出血している様子も無い。
ガーゼや包帯を巻かれた感じも無かった。
むしろ服の下は、素肌に近い感じもある。
恭一は慌てて
「ゴメンゴメン、何か背中を見たら
元気かって感じで、パンッてしたくなって。
少し学生時代を思い出したりしてさぁ・・・」
思いっ切り、とぼけて見せる。
恭一は、少し真顔になると
単刀直入に聞いた。
殺人事件の現場、家族を殺された家に
一人暮らし。
普通の感覚では、有り得ない話だ。
しかも少女の一人暮らし。
たとえ自分でも
そんな事が出来る気分に成れないに
違いない。
「怖くは無いのか? この家で一人暮らしって」
その問いに笑顔で
「みんな同じ事を聞いてきますよね。
でも大丈夫ですよ。自分の家ですから・・・」
「だったらイイけど。相談出来る人とかはどうなの?」
「います。それは大丈夫です」
その言葉を聞いて
恭一はその家を後にした。
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その刑事が帰った後
美沙は事件の事を思い出していた。
記憶が薄れた後
自分がどうなったかは
小父さまが説明してくれた。
私が瀕死の状態になると
無条件で小父さまを呼び出す設定が
出来ているらしい。
小父さまとは
そう言う繋がりに成っていた。
事件現場に呼び出された瞬間
瀕死の私を抱きかかえると
瞬時に転移したらしい。
誰にも気取られる事無く。
場所は温泉である。
その湯船の中に
気を失っている私を突っ込んで
しばらく放置。
回復薬の魔湯。
猛獣や魔獣、神獣までもが
あらゆる傷を治す為に入りに来る
秘湯である。
自分の傷口が完全に塞がるまで
そう時間は掛からなかった。
その後傷口に修正を加え
小父さまは元の肌へと戻してくれた。
ただし
昔の銃撃の傷は消さないように
残したままで。
その後、小父さまの自宅に転移すると
出血による疲労も酷かったのだけれど
それにも増して
お腹がすごく空いていて
その後はとにかく
睡魔と闘いながらの食事である。
小母さまの手料理を
貪る様に食べた。
とにかく血にしなきゃ。
体力を付けなきゃ。
これが事件から
僅か数時間の出来事だった。
食事を続けていると
「何が起きたか、整理は付いているか?」
そう質問される。
「はい、おじさま。私が甘かったんです。
完全に忘れていました。
彼女の事を、普通の女性だと見縊っていました。
確か社長の娘さんだったはず・・・
判ってた事だったんですが
勝手に大丈夫だと無視していました。
禍根を残していました」
「判ってればイイ。
今後に支障をきたさないように
上手く片を付けなさい。
禍根を残さないように。
今後の邪魔に成りそうなことは
全て排除しておきなさい。
まだまだ先は長い」
「大丈夫です。きちんとします」
そう言うと人心地付いて
体力が戻っているのを確認すると
一眠りさせてもらってから
美沙は自宅への帰途に就いた。
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「なんかすごい現状だな」
恭一が、現場にいた刑事に向かって
声を掛ける。
「どういう状況だったんだ?」
「マシンガンを連射して
ショックでおっ死んだ。そんなトコだろう」
「なんでマシンガンなんか連射する?
ショック死だって?外傷は無いのか? 殺されたとか・・・」
「綺麗なもんだったぞ。
釈放されそのままここに帰って来て、
何故かマシンガン乱射で大騒ぎして、ポックリ死亡。
やっている事は意味不明だが、そうとしか考えられん。
短時間で、よくもまあここまでやったものだ」
傷害事件の犯人と思われた女性は
先日ここで殺されていた
社長のムスメだった。
社長殺しの犯人は不明。
だが間違い無く腕の良い殺しだった。
眉間に一発の銃創。
弾は見つかっておらず、犯行場所もここでは無かった。
殺害後に運ばれてきたようだ。
犯行の目的は不明。
社長のムスメは
傷害事件を起こしたとして
連行された時
最初は興奮した様子で
父親の仇を討ったとか言って
騒いでいたらしいのだが
しかし後日、刺したと思った相手が
ピンピンしている話しを聞いて
気が変わったらしい。
前言を撤回した。
自分は誰も傷つけていない、と。
犯行の証言は有っても
実際被害者が見つからなければ
警察としても身動きが取れない。
実は芝居だったと、言い逃れも出来た。
容疑は銃刀法違反で初犯。
誰にも危害を加えていないと
主張され
弁護士の腕が良くて
いったん仮釈放とするしか
無かったのである。
会社に戻ってすぐの出来事だったらしい。
彼女には尾行を付けて有った。
マシンガンの音を聞いて
あわてて中に入ったら、この有様という。
謎だらけの結末である。
会社の中には、何人か社員がいたらしいのだが
その誰もが眠っていたと言い張った。
御昼寝って何だよ一体?
社長令嬢が帰って来た事も
知らなかったと言う。
マシンガンの音で、ようやく目覚めたとも・・・。
何とも呑気な、丸暴社員もいた物だ。
そんな話し通用しねえぞ、普通は。
恭一の脳裏には
一人の少女の事が蘇っていた。
間違い無く少女を刺したと言った
骸になっている社長令嬢。
しかし実際には
その少女は刺されていないし
刺された痕跡も無い。
だったら被害者は誰だ。
事件の有無はともかく
狙われていた事に、間違いは無い。
美沙と言う少女は、標的なのだ。
暴力団に狙われる程の。
一家最後の生き残りが
今でもその命を狙われている。
その理由は判らない。
五年前の事件と、やはり関係が有るのか?
恭一はその事実を噛み締めていた。