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時計館奇譚  作者: 京泉
目撃者
7/16

後編

 来たくは無かった。


 旅館の前で芹沢は立ち竦み一歩を踏み出せずに建物を見上げた。


 一週間前、温泉を満喫し、食事を堪能してリフレッシュをしたはずだったのが「嫌なもの」を目撃してしまい二度と来るまいと密かに決意していたのに再び来てしまった。

 それもこれも自分の間抜けな忘れ物のせいだ。


「仕方ない⋯⋯すいません、芹沢と申します」


 芹沢は小さく気合を入れ、旅館の引き戸を開けると奥から「はーい」と聞こえてすぐに女将がひょっこり顔を出した。



「ご足労お掛けしまして。お送りしましたのに」

「いえ、自宅は仕事で受け取りできませんし、流石に会社にコレは⋯⋯」


 受け取った忘れ物を手に芹沢は苦笑する。

 好きなアイドルのLIVE DVDだ。

 食事の時、ゴロゴロしていた時ずっと再生していた。「嫌なもの」を見た事で再生機に入れたまますっかり忘れてしまっていた。


 DVDを手にして推しアイドルの笑顔に乾いた笑いが溢れる。

 コレを見ている時は幸せだったのに。戻せるのならば、時を戻したい。


「ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございます⋯⋯では──」

「いいえ、またご利用ください。あっそうそう!」


 腰を浮かせた芹沢を女将が呼び止めた。

 ギョッとした芹沢はそのまま屈んだ姿勢で時が止まった。


「この時間、すぐ裏の崖から見える海が綺麗なんですよ。先日、芹沢様は夜にお着きになって朝早くお帰りでしたでしょう? 宜しければ是非ご覧になっていってください。建物の脇から遊歩道が伸びておりますよ」


──裏の崖──


 ブワワっと芹沢に鳥肌がたった。

 一体何を言われたのか。崖を見ろ?いや、女将は崖から見える海と言っていた。

 女将は何か知っているのか。あの夜芹沢が「嫌なもの」を見たと知っていると、遠回しに言っているのだろうか。


 だから、崖に行けと言うのか。


 ギシギシとした動作で芹沢が顔を上げると女将はニッコリとした笑顔。そこに裏や含みは感じない。


 「はっ、ええ、それは是非観て帰らなければなりません、ね。た、のしみです」

 「ただ⋯⋯気を付けてくださいね。一応柵が有るのですけど、先日の嵐で一部壊れてしまって。ロープで応急処置してる箇所がありますから近付き過ぎませんように」



 カッチコッチカッチコッチ

 チッチッチッチッチッチッ

 コチコチコチコチコチコチ


「⋯⋯はあ」


 どうしてこうも自分は押しに弱いのだろうか。


 女将に薦められるがまま崖に向かい、後ろから突き飛ばされるのではないかとヒヤヒヤしながらも絶景を堪能した。

 当然の事ながらあの日、女がいた形跡も影がいた形跡も無く、ただただ素晴らしい景色だった。


 嵐だったのだからあの素晴らしい景色を女は見る事は出来なかったのだろう。

 何となく、哀しい気がする。


「いらっしゃいませ」


 フワリと甘い香りが芹沢の鼻腔を擽り、目の前に置かれたティーカップに驚いた。


 「えっ、あのまだ⋯⋯」

 「当店では最初にお出しするものは私のお勧めからなんです。勿論サービスです」


 帰りの電車まで時間があると適当に入った喫茶店。

 扉を開けた時に押し寄せた音とその異様な時計の数に驚いたがヘタに癒しのBGMだったり流行りの曲が流れているより今の芹沢には心地よく思えたのだ。


 カップを手に取ると立ち上がるラベンダーの香り。普段の自分ではこんな洒落た紅茶など口にする事は無い。


「ああ、ラベンダーはセラピーとかで使われますよね」


 他人からは芹沢が疲れている様に見えるのかと苦笑する。


 店主は何も言わずにカウンター内で紅茶のブレンドを始めた。


「あの、どうしてこんなに時計があるんですか?」

「気が付いたら増えてしまったのですよ」


 カッチコッチと煩い店内なのに店主の声はよく通った。

 

 カッチコッチカッチコッチ

 チッチッチッチッチッチッ

 コチコチコチコチコチコチ


 音の洪水に芹沢は飲まれて行く。

 こんなに時計があるのにあの日、あの時に戻れたら。どんなに願ってもどれ一つ芹沢を過去には戻してくれない。


 嵐の夜、裸の女、黒い陰。

 何もなかった崖、絶景。

 電話の音、黒川の声──黒川の笑顔。


 身震いが起きた。

 何故、黒川は笑顔だったのか。そして何故あんな事を言ったのか。


──終わったんだな──


 何故、黒川は自分に事件を話したのか。

 仲は悪くはなかった。友人として仕事の後任として話してくれたのだろうと芹沢は思っていた。


 なら何故「あんな店」で。


 普段の黒川の選ぶ店はどこも明るく嫌味なほどセンスが良かったのに。話があると飲みに誘われ連れて行かれた店は黒川らしくないアンダーグラウンドな雰囲気だった。

 アンダーグラウンドと言っても粗暴な意味ではなく、姿勢の良い店員とマナーの良い客も第一印象はハイソサエティなラウンジに見えた。けれど、誰もがどこかしら鋭かった。だらしのないガラの悪さではなくパリッとしたインテリなガラの悪さ。

 

 黒川はあの店に「誰か」が出入りしている事を知っていたのではないか?。

 その誰かに「話」を聞かせる為、芹沢を誘ったのか?。


 その誰かを芹沢が知る事は無いし、知る必要もない。

 そして、黒川も知る事はないし、知る必要もない。

 ただ、黒川は話し、芹沢は聞かされただけ。


「くそ⋯⋯やられた。ははっ」


 水分を取っているのに喉が渇いて行く。


 リフレッシュにこの地を選んだのは黒川の助言を受けてだった。


「酷い奴だ」


  芹沢が「事」の目撃者になってしまったのは予想外だったとしても、黒川は芹沢に「事が起きる地」に行かせ様子を見に来させた。


 確かに、彼女が誰かに狙われる様にし向けはしたが黒川は何もしていない。

 そして、芹沢はAさんの最期を運悪く見させられてしまった。


 黒川は何が起きたか見る事なく黒川にとっての欲しい結果を手に入れた。


 そう、何から何まで黒川は何もしていない。


「ふふふっははっ」


 人からよくお人好しだと言われる。

 それを黒川に使われた。

 そう、芹沢は人が良い。その分、強かだ。


──なら、自分は「何も見ていない」事にしても良いじゃないか──


 カッチコッチカッチコッチ

 チッチッチッチッチッチッ

 コチコチコチコチコチコチ


 ゴーンゴーン⋯⋯

 ピピピピ⋯⋯

 ジリリリ⋯⋯


 店内の時計が一斉に時刻を告げた。



「えっと、サービスだけで申し訳ないのですが⋯⋯」

「構いませんよ」


 電車の時間が迫っている。

 結局芹沢はサービスの一杯で店を後にする事になってしまった。


「次はちゃんと注文します」

「ええ、是非」


 カラン。

 ドアベルが軽快に鳴り扉がパタリと閉じられた。


「ラベンダーは癒し効果があるとされてますが、花言葉は「不信感」「疑惑」が含まれているらしいですね」


 店主は芹沢が座っていたカウンターから一つ時計を拾う。


 何処にでもある手のひらサイズの目覚まし時計。

 少し変わっているのはその文字盤。

 頂点には空白、それから1、2と進みまた空白。そして4、5⋯⋯。

 12、3、6、9の主要な数字が抜けたその文字盤は目覚まし時計に向かない様に思えて店主はクスリと笑った。


「御来店ありがとうございました」


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