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時計館奇譚  作者: 京泉
目撃者
6/16

前編

 カタカタとキーボードを打つ音、パラリと紙を捲る音。

 何処かで携帯の着信音が鳴っている。ピロリンピロリンと耳障りだ。誰の携帯だろうか。早く出ろ。

 「はい、芹沢の携帯です」「部長、判子お願いします」「少々お待ちください」「これメール添付して」「ええ、今代わります。芹沢」ざわざわとした声を男はぼーっと思考の外側で聞いていた。


「おい! 芹沢!」

「へ? は? ああ、黒川。なんだ?」

「何だ? じゃない」


 ずいっと携帯電話を突き出され、漸く仕事中だったと芹沢と呼ばれた男は気が付いた。


「はい。お電話代わりました。芹沢です」

「芹沢様でしょうか。私、叶旅館の叶と申します」


 背中がゾクリとした。


「ええ、はい。あっそうです。申し訳ありません。はい。え⋯⋯、では⋯⋯今度の土曜日に、はい。よろしくお願いします」


 努めて冷静に芹沢は応対し、電話を切った。

 冷や汗を垂らしながら青ざめる芹沢を訝しげに見ていた同僚の黒川は「芹沢、少し良いか?」と彼を連れ出し、会議室の一つに入ると、設置されている自販機から珈琲を手にして芹沢と黒川は同時に深い溜息を吐いた。


「何でお前まで溜息吐いてんだよ」

「俺の仕事を引き継ぐお前の様子がおかしいから、どうしたもんかと思ったんだよ」

「⋯⋯悪かったな。エースの後釜が俺で」


 「そんな事はないさ」と笑うのは黒川ユウト。

同僚の中で若い内から頭角を表し出世街道を突き進んでいたエースだった。

 だった。のは、少し前、黒川は事件に巻き込まれ、社内だけではなく世間を賑わせた事で出世コースを外れる事になってしまったからだ。


 その事件とは、黒川が薬物を使われ、黒川の婚約者が友人女性に刺されたと言う殺人未遂事件。

 運良く婚約者は命を取り留め、薬物反応が出た黒川は薬物使用の疑いをかけられたが、所持も痕跡も見つかるわけもなく疑いは晴れている。


 それでも会社は黒川に非は無くとも世間の噂が一人歩きしている事を危惧し、仕事に支障が出るからと地方への異動辞令が出されたのだ。


「お前が悪いわけじゃないのに地方へ異動だなんて」

「いや、願ったり。だよ。彼女もこの街は辛いだろうし」

「⋯⋯そう、だな」

「だから結構ありがたいんだ異動は。それにお前が引き継いでくれるなら任せられる」


 黒川のこういう所が時々、芹沢は気に入らない。

 同じ男なのにこうも自分が言えない様な事をさらりと言ってのける黒川に嫉妬してしまう。


 とは言え、そんな黒川に信頼されるのは悪い気はしない。


「まだ、見つからないのか?」

「ああ。何が心配かと言ったらそれが一番の心配事だ」


 事件後、黒川にしては珍しく、あまりガラが良いとは言えない客が出入りしているアンダーグラウンドな雰囲気の飲み屋で芹沢にだけ事件を語った。


 友人女性、Aさん。彼女は黒川の婚約者の店から独立した人だった。ただ、経営が上手くいかず危ない所から借金を重ね黒川にも何度か借金の申し入れがあったようだったが断っていたという。やがて、Aさんは裏社会との関係を深めとうとう薬物に手を染めた。

 そして事件が起きた。

 黒川はAさんに襲われ、婚約者が刺された。Aさんはそれから行方を眩ましてしまった。

 警察は殺人未遂と薬物使用、その入手ルート解明の為にAさんを追っていると言う。

 

 遠目だったが、芹沢は何度か社のエントランスで「あれがAさん」と思われる女性と黒川が話をしているのを見たことがあった。

 スタイルが良い美人。少し派手な印象だった。


「早く見つかるといいな」


 裏社会と繋がり、人を襲える女。

 この街にそんな女が彷徨いているのかも知れないと考えた芹沢は寒気を感じて身を震わせた。


「それで? お前、何かあったのか?」


 黒川の問いかけに芹沢は「ああ」と声を漏らし、黒川になら話しても良いだろうか、黒川になら相談できるだろうかと先日見た光景をポツリポツリと話し始めた。


「それで⋯⋯そのまま崖から⋯⋯テレビ、新聞、ネットニュースを見てもそんな事件が起きたとは何処にもないし⋯⋯ 夢なのかも知れない。夢であって欲しい。でも覚えてるんだ。見たんだ」


 両手で抱えたコーヒーカップが小刻みに揺れる。

 話せば話すほど鮮明に思い出される丑三つ時、雷雨の中を裸で走る女と黒い影。


「俺、怖くってさ。女もだけど、あの黒い影、俺に気付いていたんじゃないか? 気付かれていたらって」

「──終わったんだな」

「えっ⋯⋯」


 芹沢は黒川を見た。

 俯き、影になった黒川の表情はよく見えないが微かに口元が上がっている。


──笑っている⋯⋯?


「黒、川?」


 何故か黒川が怖い。

 恐る恐る声を掛け、顔を上げた黒川はやはり笑っていた。


「芹沢、怖がる事はないさ。奴らはお前に気が付いてなんか居ないよ」

「なんでそんな断言出来るんだよっ。それに女が。飛んだんだぞ。なのに何にもないなんて⋯⋯おかしいだろ」

「騒ぎになっていないのなら何も無かったんだよ。お前がそれを誰にも言わなければ誰にもお前が見たなんて分からない」


 グイッと残りを飲み干して黒川が立ち上がった。

 

「もしかしたら、撮影だったんじゃないか? 映画かドラマの撮影」

「あ⋯⋯」


 確かに。そう言う撮影もあるだろう。

 芹沢が弱々しく眉尻を下げた。


──いや、でも、しかし。


 そんな単純な事で良いのだろうか。


「そんなに気になるなら、もう一度行ってみたらどうだ? さっきの電話、旅館からだろ? 何か忘れ物したんじゃないか?」

「ああ、そうだった。今度の土曜日に⋯⋯」

「何も無かったって分かれば気が済むさ。それで忘れろ」


 「戻ろう」と芹沢は仕事へ戻る事を促されながら黒川の後に付いた。


 先程の黒川の笑顔。ゾクリとした。

 

 楽しくて笑ったのではない。芹沢を馬鹿にした笑顔でもない。

 それは、肩の荷が下りたような清々しい笑顔だった。

 

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