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時計館奇譚  作者: 京泉
フラワーショップ
2/16

前編

その場所はいつも瑞々しい花の香りに溢れていた。


その場所で彼女は幸せそうに花を生けていた。



沢木マリカ。

マリカが夢だったフラワーショップを開いたのは五年前。

市場調査と情報収集の末に決めた立地は高級クラブが軒を並べる、所謂夜の街と呼ばれる繁華街の端っこ。

オフィス街にも比較的近く、夜の街にも近い場所は決して安くはなかったが、昼間の需要と夜の需要を見込める場所だった。


マリカの店は一人一人に合わせたアレンジメントの評判が良く、見込み通り昼間はオフィスから、夜は高級クラブからの注文が入り、毎日が充実していた。


ある日、マリカは運命の出会いをした。


黒川ユウト。

清潔な身形と誠実そうな笑顔で印象は良かった。

オフィス街にある大手企業で若手ながら役職に付いていると言うのだから絵に描いたようなエリートだ。

マリカとユウトは彼が移動する同僚に花向けの花束を依頼して来たのが出会い。

それ以来、彼は仕事終わりに夜の街へ行く際に何度か花束を買って行くお客様の一人になった。


しばらくしてマリカはユウトから交際を申し込まれた。

マリカは自分とユウトは釣り合わないと断ったのだが、ユウトは諦めず一年、店へ通い、その間は夜の街へ持って行く花束の依頼は一度もなかった。

ユウトのその姿勢にマリカは絆されたのだろう。本当は出会った時に一目惚れをしていたのかも知れない。

ユウトはエリート、自分はただの花屋だと前置きして交際はスタートした。


──その頃までは店も交際も順調だった──


オープンから二年。顧客が増え、一人でやって行くのに無理が出てくると、マリカはアルバイトを雇う事にした。


若草ナミ。

彼女は元高級クラブのホステス。

ナミとマリカはクラブに花を届けた時に知り合い、同世代だと判明してから急速に親しくなったのだ。

ナミは元々ホステスの仕事にやる気があった訳でもなく、辞め時だと考えていた所にマリカがアルバイトを探していると聞きホステスを辞めた。


清楚なマリカと華やかなナミ。センスの違う二人で切り盛りするフラワーショップは益々繁盛した。


マリカは依頼者の一番好きな花、目立たせたい花をメインにしたアレンジメントが得意だった。

それがどんなに小さくて目立たない花だとしてもそれを囲む花々の中で一番に輝かせた。

一方、ナミは華やかなアレンジメントが得意だった。色使い、種類、構成。花の豪華さをより引き立たせるセンスが光っていた。


歯車が噛み合わなくなったのはオープンから三年、ナミが来て一年経った辺りからだ。


二人で仕事を始めて約一年、ナミは独立したいと言い出した。


「私もナミのアレンジは素敵だと思うわ。お店もナミのおかげで良くなったとも思っているの。けれど、経営はまだ⋯⋯」

「もうっマリカは保守的なのね。お願い! 小さくて良いから店を持ちたいの」


マリカはナミのセンスは認めている。いつかは自分の店を持ちたいと言い出すとも思っていた。けれど、まだその時ではない。そう宥めてもナミは可愛らしく「大丈夫よ」と笑う。


「前のお店のお客さんとか、私、売り込み先はたくさん有るのよ大丈夫だって。それに、パトロンになってくれるって人がいるの。お金の心配はないわ」

「パトロン⋯⋯て、貴女まだ前の仕事のお客さんにそんなお願いをしているの?」

「マリカに迷惑をかけないわ。ね? お願い」


少々不安は残りながらも熱意に折れたマリカは独立を認め、ナミは駅前に小さなフラワーショップを開いたが、噛み合わない歯車が回り続けられるわけがなく、ナミの店はすぐに多くの問題を抱え込む様になって行った。



ナミが独立して半年が立とうとしていた。


その日、仕事終わりに待ち合わせをしたマリカとユウトは食事を楽しんだ後のBARでカウンターに並び、折角のデートだと言うのに、ナミの話から会話を始めていた。


「マリカ、ナミさんのお店、あれはまずいよ」

「分かってる⋯⋯でも、聞いてくれないの」


ナミの店の評判が良くないのはマリカも知っていた。

華やかなアレンジメントのセンスは良いのにナミの「仕事への姿勢」が不評を買っている。


頼んだアレンジメントを期日に間に合わせない。

店頭では馴染み客とお喋りに興じて接客をしない。

客がいようが気分で店を閉めてしまう。

マリカの店には確かに迷惑はかかってはいないが、売り上げと信用は散々だ。

マリカの店にやって来たお客さんには「マリカさんの弟子なのにね」と苦笑される始末。


「それから⋯⋯良くない噂が」

「良くない噂?」

「ナミさん、借金を重ねているって。マリカの店も安くはないけど、駅前は家賃が高いだろう? ナミさん、店の改装だって言っては良くない所から借りているらしい」

「まさか! ⋯⋯パトロンが、いるって」


ユウトは溜息を吐き、首を横に振る。ナミとパトロンとは既に縁が切れていると言う。


「心配させたくないから話していなかったけど、俺にも⋯⋯金を貸してくれって。何度も⋯⋯会社の前に来られてる」

「そんな⋯⋯ゴメンナサイ」

「マリカが謝る事じゃない。なあ、マリカ。ナミさんの借金をちゃんと調べた方が良い。まさかとは思うけど君の実印や店の実印を確認した方が良いよ」


ユウトの心配は有り難いがナミが隠れてユウトに会いに行っている事の方がマリカの気持ちの奥深くに刺さる。


ナミは高級クラブに在籍できるほど魅力的な女性だ。クッキリとした二重の瞳は大きく、筋のよい鼻、豊満な胸とくびれた腰。表情は幼いのに時折見せる「女」の色気。

二人を引き合わせた時、マリカは不安のあまりユウトに「ユウトが惹かれるのなら私は身を引くわ」と言ってしまった。

あの時はユウトに怒られた。

「君は俺を馬鹿にしているのか!」と珍しく声を上げたユウトにマリカも珍しく声を上げて自分の劣等感の塊をユウトにぶつけた。

自分は地味で、綺麗でもない可愛くもない。生真面目で面白みのない女だと。

それをユウトは黙って聞いてくれ「そこが良いと俺は思ってる」そう言ってくれた。


「なあ⋯⋯マリカ、そろそろ返事もらえるかな」

「待たせてごめんなさい。ユウトを信じていない訳じゃないの。自分に、まだ自信が持てなくて」


マリカは少し前にプロポーズされ、その返事を待ってもらっている。ユウトを信じていない訳ではない。好きだからこそ、ユウトに迷惑をかけたくないマリカは今でもユウトが他の人を好きになれば身を引く心づもりをしている。


「ナミの問題が片付いたら、必ず良い返事をするわ」

「うん。もう少し待つよ。待てなくなったら強引にでも届けを出すからね?」

「もうっ! ユウトがそんな事できる訳ないじゃない」


やっと笑顔を見せたマリカにユウトはそっと左手を重ねる。「ありがとう」マリカは心から感謝し、その手を握り返した。




ユウトからナミの借金を聞いた翌日からマリカは忙しくなった。

言われた通りに自分の実印と店の実印を確認し、信用情報機関に自分が連帯保証人になっていないか問い合わせたり、やりたくはなかったがナミの行動を探偵に依頼した。

そして、二週間後。探偵から上がって来た報告書にマリカは頭を抱えたのだ。


「なんて、事⋯⋯」


ナミが出入りしていた金融会社は信用情報機関にも国にも登録されていない違法金融会社だった。

借りたいと言えば何の調査もなく誰でもお金を融資してくれる。その代わり高い利息率と取り立てがある。

そこからナミは一千万円の借金をしていた。

最初は五百万だったのが元々の利息率が高い所に支払いの遅れによる利息が積み重なって膨れ上がってしまっていた。


自分がこれを肩代わりしたとしてマリカが出せるのは元金の五百万だけ⋯⋯そんな考えが浮かびマリカは頭を振った。

これはナミ個人の借金だ。


救いだったのはマリカの店とマリカの名義で融資を受けていなかった事。

それもそうだ。店の実印とマリカの実印は店ではなく銀行の貸金庫に預けているのだから。

もし、ナミが実印を偽装したとしても確実に「偽物」だと言える。貸金庫の開け閉めは銀行の記録に残っているのだから。


ナミと自分は関係ない。


かと言って借金を理由に縁を切ると言ってしまえば逆上され兼ねない。

幸運と言って良いのかナミは独立している。借金元とマリカの店には一切関係が無いのだからこのまま知らないフリをすれば良い。

⋯⋯ふと、マリカは目を伏せた。

美人で話し上手なナミ。自分とは正反対の性格とセンスを羨ましいと憧れていた。あんなに仲良くしていたのに。お金のトラブルで縁を切る。自分はなんて薄情なのだろう。それでもこのままでは自分の店が危ない。ユウトにも迷惑になる。


自己嫌悪と不安を誤魔化してマリカはナミと決別するしかないのだと決断せざるを得ない状況に深い溜息を吐いた。



それからさらに半年。ナミが独立して一年だ。

何度も話しがしたいとマリカが言ってもナミはのらりくらりと逃げ、自宅に帰った形跡も無く、最近では店も開いておらず連絡も付かなくなってしまっていた。

そんな状態だったのにマリカはナミが助けを求めて来るのなら⋯⋯と甘い考えを持っていたのは否定できない。ほんの少し期待をしていた。

勝手に期待していただけなのだから裏切られたとは思わない。けれどもこんな形でナミとの別れがやって来るとは思わなかった。



しかし、本当の別れはこれ以上にない最低で最悪な形で迎える事になるのだった。


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