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時計館奇譚  作者: 京泉
始まりの時計
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エピローグ

 長い、永い、永遠。

 今は過去に未来が今に。

 


「もうすぐだよ⋯⋯二葉」


 薄暗い店内に一つ、また一つと光が灯り始めると「時計館」の時間が動き出す。

 カチッ! カチカチカチカチ!!

 手の中の懐中時計は時を刻み始め、振り子時計、目覚まし時計、腕時計⋯⋯その音は次第に増えてゆく。

 

 そして、最後の一個が動き出すと店の奥から一人の男が姿を現した。

 男は黒いスーツに身を包み、赤いネクタイで襟元を飾る。


「輪廻転生。私達はその輪から外れた者。でも、やっと出会えた。私達の子供に」


 最後に動き出した振り子時計を抱きしめて愛おしく撫でるとそれはカッチコッチと返事をするのだ。

 カッチコッチカッチコッチ⋯⋯その声に男の頬を涙が流れ落ちた。


─────────────────────────

 

 春が過ぎ夏が過ぎ、秋が訪れ冬を越える。

 何十回と季節を巡り再び庭先に鶯がやって来た。


「正次郎」

「はい、ここに」


 門田家を護り続けた当主真一郎は穏やかに微笑んだ。


「辛い事を任せてしまったな」

「いいえ。兄さん。これは自分で選んだ道です」


 その姿は兄弟ではなく父と息子、祖父と孫のよう。

 真一郎は年老い、正次郎はあの日から全ての時が止まってしまったかのように若々しさを保っているのだ。


 それでも二人には兄弟の確かな絆があった。

 あの日、二葉が時計となってこの門田家へと帰ってきた日から二人は同じ時を生きられなくなったのだ。


「風花も嫁に行き、孫も元気です。これで良いのです」


 二葉と正次郎の娘、風花は今では二児の母親だ。


「そうだな。たまに⋯⋯会いに行ってやりなさい」

「はい。勿論ですとも」


 そんな会話をしていると玄関の方から元気の良い子供の声が聞こえてきた。


「ただいま~おじーちゃん!」


 元気いっぱいに飛び込んで来た男の子を見て真一郎の顔が綻ぶ。

 その隣で正次郎は懐かしそうに目を細めた。


 勝子と離縁した真一郎は後妻を迎えた。

 華やかな勝子とは正反対。極平凡なその女性は真一郎を支え、門田家を守る女主人の心得を持っていた。

 二番目の妻。そう呼ばれる事も少なくなかったが臆する事なく朗らかな笑みを浮かべる表情はどこか二葉に似ていると正次郎は感じたものだった。


「ほら、真、おばあちゃんと二葉さんにもただいましなさい」

「はーい」


 その二番目の妻シノも数年前に先に逝った。

 シノと二葉の前に並んで手を合わせる背中に微笑みを向け真一郎はふいっと空を見上げた。

 

「⋯⋯正次郎。私はどんな時計になるのだろうな」


 それはきっと「門田家の時計」を知る誰もが持つ疑問だったのだろう。

 シノは時計にはならなかったのだ。


 代々受け継いで行くことになった「時計に変える力」。それを受け継ぐとはどういうことなのか? 答えの無い問いは永遠に続く。

 だからこそ、それを背負う者が居る。

 そして、その者は自ら望んでその運命を受け入れた。


─── カッチコッチカッチコッチ──


 振り子時計の時を刻む音がする。

 

─── カッチコッチカッチコッチ──


「シノさんを時計にしなかったように、兄さんを時計にはしません」


 正次郎は微笑みながら真一郎のその手を取った。


「兄さんは、忘れたい記憶なんてないでしょう? 忘れたくない記憶ばかりのはずだ。僕は「忘れたい記憶」を集める事にしたのです。だから兄さんは時計にはなりません」


 そう言って笑う正次郎の手の中には懐中時計が握られている。


「二葉は僕の命を守る為、運命を変える為に禁忌を犯しました。本来の運命なら僕はここには居ない」


 正次郎は勝子にその命を奪われるはずだった。それを二葉は自らの時間を差し出し、時坂の力を使い運命を捻じ曲げた。その結果として正次郎の命を救ったのだ。


 しかし、本来あるべき歴史を歪めれば当然そこには歪みが生じる。

 だから、二葉は時計となり、正次郎は未来が変わった代償に時間が止まってしまった。


「兄さん。僕はいつまでも兄さんの弟です。二葉の夫です」


 運命を変える事ができたのだから道を違ってしまっていてもいつか交差する日が来るのかも知れない。

 真一郎は静かに目を閉じた。


 瞼の裏に浮かぶのは妻と息子の笑顔。二葉と正次郎の笑顔。

 愛しい人達。

 

 大切な人達の笑い合う姿を忘れたくない。それが真一郎の願い。


「ありがとう、正次郎」

「いいえ。これが僕達の選んだ道です」


「おじいちゃん、しゃぼん玉やってください」


 膝に乗った真がおねだりする頭を撫でて真一郎はふうっと吹き棒を吹く。

 虹色のしゃぼん玉がいくつも空へと舞う。その中を真は喜び、声を上げて笑い走り回った。



 それから一年後、真一郎は「また会える日まで暫く寝るよ」と正次郎に告げ、シノの元へと旅立った。

 正次郎は真一郎を見送り四十九日が過ぎた頃、その姿を消したのだった。


─────────────────────────


─── カッチコッチカッチコッチ──


「二葉⋯⋯もうすぐ僕達も兄さんの元へ行ける」


 この時代の時坂家にはもう力はない。門田家は大きな老舗会社となっている。自分達が生きる時代ではなくなってしまった。


 二葉の犯した禁忌の禊。

 それは人の時間を集める事だった。生の時間、思い出の時間、人の持つあらゆる時間を那由多に集める事。

 

 嫌な事を忘れたい。失敗を忘れたい。苦しさを忘れたい⋯⋯自分を忘れたい。人々は幾つもの忘れたい記憶を持っていた。

 

 正次郎はそれを集め続けた。

 

 そして、漸く巡り合った。


 自分達の子供に。真一郎の生まれ変わり、勝子の生まれ変わりに。


「風花の子供達はね、最愛の娘を手放してしまった親だったけれどその子供は強く生きている。兄さんはこの時代でも真面目な人だよ。奥さんを愛して娘さんを愛して⋯⋯辛い事でも忘れたくないって強く思っていた」


 風花の子孫達、真一郎の生まれ変わりの彼らはきっと大丈夫だと正次郎は思う。


「でも、勝子様は同じ過ちをしてしまったようだね」


 そう思うと憐れにも思う。

 生まれ変わった彼女は「勝子」ではないのに。

 最後に彼女が吐露した気持ちは勝子のものではなく「若草ナミ」のものだったのだろうから。


「運命を変えられたものは禊を行わなくてはならない」


 運命を変えた正次郎の禊は果たされる。

 次の禊は勝子が果たさなくてはならない。


「もうすぐです。漸く巡り合った⋯⋯勝子様と」


 カラン。


 入り口のベルが鳴った。


「お帰りなさいませ──勝子様」


 正次郎はニコリと笑顔を向ける。


 そこにはぼんやりとした表情の「マリカ」が佇んでいた。



─── カッチコッチカッチコッチ──


 振り子時計が揺れた。

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