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時計館奇譚  作者: 京泉
始まりの時計
15/16

後編

 カッチコッチカッチコッチ

 

 何処からか一定の間隔で音が聞こえる。ああ、そうだこれは「時計」の音。


 真一郎が目を覚ましたのは真っ白な壁に囲まれたまっさらなシーツの上だった。


「お目覚めになりましたか。あ、ゆっくり起き上がってください。まだ薬が切れておりませんから」

「勝子は⋯⋯」

「真一郎様がお連れになった警察に連れてゆかれました⋯⋯良かったです。伝言に気付いていただけて」


 二葉が真一郎の口元へ吸飲みをあてがい、白湯を与える。


「正次郎は⋯⋯」

「お屋敷で事情を聞かれています。と、言ってもしょうちゃんは何も知りませんけど」


 ふふっと笑いならながらお茶を淹れる二葉の影が揺れた。


「真一郎様は私に聞きたい事がありますでしょう? どうぞ今ならお答えします」


 二葉は「答えられるものは」と、二人分のお茶を置いて真一郎の言葉を待ってくれる。

 穏やかに、静かに待つ二葉はどこか浮世離れて見え、その微笑から真一郎は視線を外した。


「⋯⋯何故、勝子の妊娠と大麻を知っていたんだい? 何故、私に言葉ではなく伝言の形で知らせたんだい?」


 二葉は真一郎の問いかけに「時坂家の事からお話します」と鈴のような声で語りはじめた。



 時坂家の女には「時を見る力」が有ると噂がある。そう、それは「噂」ではなく「真実」だ。

 ただし、全員がその力に目覚めるのではなく、「変革」が起きる時代に子供を産める年齢になる女だけが目覚めるのだと言う。

 この時代は二葉が力に目覚めた。

 恐らく時代が変わるのでしょうね。と二葉は明確な表現を避け湯呑みを口にする。それに倣い真一郎も口にして苦味の強い緑茶を飲み込む。


 昔は時代を先導する者が時坂の力を頼り、その都度時坂は彼らに協力して来た。

 それは江戸が終わると共に自然と忘れられ、時代の影だった時坂家は静かに下野国へ戻ったのだ。


「下野国が栃木県となってから時坂家の力はただの「噂」話になりました」


 真一郎はただ黙って湯呑みを見つめる。

 時坂家の娘の力は本物だ。しかし、何故二葉はそれを隠していたのか。


「隠してなんかいませんよ。私が時を見たのはしょうちゃんが門田家へ帰る事になった十歳の時です」


 別れの日。二葉は正次郎と夫婦になる未来が見えたのだと言う。それは二葉にとって嬉しい未来。しかし、少女が女性に変わる頃、その未来に暗雲が見えた。

 

 黒く淀んだ雲は正次郎が勝子に殺される未来を映した。


「その時は誰だか分からなかったのですが、結納の場で勝子さんと会って私は絶対に⋯⋯しょうちゃんを守ると決意したのです」


 二葉は門田家に来てからは出来るだけ影を薄くし、勝子を立てるように徹した。そうすれば勝子は射幸心を二葉で満たすために側に置くと分かっていたから。


 二葉は「時を見る力」で見た未来が変えられない事は幼い頃から教えられて来たが、どうしても未来を変えたかったのだと言った。


「勝子さんが目立てば私は「よく出来た次男の妻」と周りは見てくださいます。私の価値が上がるんです⋯⋯浅ましい女ですよね」


 勝子が二葉を利用するのなら二葉も勝子を利用する。

 門田家の嫁同士互いが監視し合い、牽制し合った。そしてその勝敗は二葉に軍配が上がった。


「勝子さんが立てた計画はしょうちゃんと関係を持ってお腹の子がしょうちゃんの子だと言う計画だったのです。

けれど、私が常にそばに居たのでそれは叶わず、勝子さんは真一郎様を襲う計画に変えました」

「それを⋯⋯いつ知ったんだい?」

「半月ほど前、デパートの帰りにパーラーへ寄った時です。勝子さんはそこの給仕と「子供ができた」と話していました。真一郎様と閨事がない事。これでは離縁されてしまうと焦っておいでで、「ならば襲うしかない」と」


 大体の事は分かった。なんと短直で浅はかな考えだと息を吐き出し、乾いた口にお茶を含む真一郎を満足気に眺めた二葉は静かに微笑んだ。

 二葉は勝子の計画を真一郎に伝えたくとも常に人の目があり、個人的に話をする事が叶わなかったのだ。やっと伝えられる機会を得たのは計画が実行された日の朝。


 そう思い起こせば今朝の見送りは二葉だけだったと真一郎は納得する。出勤する正次郎と真一郎のコートを手にしていたのは二葉だった。


「口で伝えられなかったので伝言を忍ばせました」

「⋯⋯それで、未来は変わったのかい?」


 勝子の計画はお粗末な結末を迎えた。ならば正次郎が死ぬ未来は変わったのではないか。

 しかし、二葉は形の良い眉を顰め「いいえ」と零した。


「まだ変わっていません──ですので私は禁忌を犯すことにしました」

「何を⋯⋯」


 真一郎を急な眠気が襲う。

 「ご安心ください。お医者様がくださった睡眠薬です」二葉の声が遠くなる。

 「お茶か」真一郎がそう口を動かせば二葉はニッコリと笑い、静かに掛け布団を真一郎にかけ直した。


「もうしばらくお休みください。真一郎様⋯⋯私をしょうちゃんのお嫁さんに選んでくださってありがとうございました──この子をお願いします」


 真一郎の意識が途切れる直前。そう二葉が囁いた気がした。


────────────────────


 二葉が姿を消したのは勝子が捕まり、真一郎が退院した数日後だった。

 その日、事件の後始末に奔走する正次郎と真一郎を普段通りに送り出した二葉は門田家からその姿を消してしまった。

 

 正次郎は二葉の痕跡を求めて実家の足利を始めあちこち足を運び探したが見つからず一年が過ぎたある日。

 

 門田家の門戸が叩かれた。


 それは二葉の兄だった。彼の腕には幼児が抱かれ、正次郎はそれが二葉と自分との子供だと直ぐに分かったと言う。

 幼児の名前は二葉が女の子なら名付けたいと言っていた「風花」だと彼は言った。


「お義兄さん、二葉の行方を知っていらしたのですか?」


 何故二葉は自分から逃げたのか。知っていて隠していたのか。正次郎は苛立ちを向ける。


「隠していたのではないよ⋯⋯いや、隠していたのか⋯⋯どこから説明をすれば良いだろうか。正次郎くん、君は我が時坂家の「噂」を知っているかい? その「噂」は本当だと。ああ、真一郎様はご存知ですよね」

「兄さん!? 何の事ですか? そりゃ⋯⋯時坂家の女には「時を見る」力があると⋯⋯でも二葉は⋯⋯」

「正次郎、二葉さんには「時を見る」力があったのだよ」


 頷く真一郎に正次郎は言葉を失った。

 まさか。そんなはずはない。そんな片鱗は二葉にはなかった。

 否定。そればかりが正次郎の頭を埋め尽くす。


「二葉は⋯⋯正次郎くんが真一郎様の奥様⋯⋯いえ、離縁されたので元奥様、勝子様に殺される「時」を見たと言っていました。先の事件で勝子様は罪に問われ⋯⋯先日、お子さんを出産後、獄中でお亡くなりになったと、お聞きしていますが」

「ええ、お腹にいた子供は若草家が引き取り、遠縁の養子に入ったと。勝子は大麻だけではなく⋯⋯阿片の常習だったと若草家より詫びと共に聞きました」

「そうらしいですね。恐らく中毒による錯乱から勝子様に正次郎くんが害される「時」を二葉は見たのでしょう」


 正次郎は二葉の面影と自分の面影を持つ風花を見つめながらぼうっとする頭を押さえた。

 兄達は一体何の話をしているのだろうか。

 二葉が見た「時」。それは正次郎の死。それがどうして二葉の失踪に繋がるのか。


 勝子はもう、この世には居ない。正次郎の死は免れたのだから二葉は安心して戻ってくれば良いのに。

 そうだ。もしかしたら連れてきているのかも知れない。恥ずかしくて、申し訳なくて出て来れないのかも知れない。勝子が怖いのなら大丈夫。ねっとりとした視線と弧を描く真っ赤な唇のあの女ははもう居ない。二葉を蔑む視線はもうない。帰って来るだけ。それだけで良いのだ。

 

「でも、もう、いない。だからっ二葉は帰って⋯⋯」

「ええ、ですからこうして連れてきたのです」


 すっと差し出された小さな包み。その小ささに正次郎は息苦しさを感じて口に手を当てた。

 彼は何を言っているのだ。正次郎には「連れてきた」と言う言葉の意味が分からなかった。

 胃液が込み上げる。信じたくはない。その小さな包みに二葉が入るわけがないだろう。溢れる涙と漏れる声は正次郎が認めたくない現実を拒む最後の抵抗。


「信じられ、ません。信じたくありませんっ」

「さあ二葉、正次郎くんと真一郎様だよ」


 「やめてくれ」叫ぶ正次郎を「しっかり見るんだ」と肩を掴み抱えた真一郎が静かに窘める。

 ゆっくりと、丁寧に広げられる包み。さらりと流れた布が四方に広がり「二葉」と呼ばれたそれが姿を現した。


 カッチコッチカッチコッチ


 規則的に刻まれる時の音。それは両手に収まる小さな振り子時計。

 その時計は控えめでいて品が良く左右に揺れる振り子は優雅に揺れている。


──ああ⋯⋯これは二葉だ。


「ふた、ば⋯⋯ああ、二葉。お帰り、お帰り二葉⋯⋯」


──ただいま。しょうちゃん──


 振り子時計が微笑んだ気がする。正次郎は手を伸ばし振り子時計を抱きしめ嗚咽する。

 

 お帰り、お帰り。

 カッチコッチカッチコッチ

──ただいま、ただいま──


 何故こんな姿になったのか。分からない。分からないのにの時計が二葉だと分かる。

 正次郎が声を掛ければ二葉はカッチコッチと返事をする。

 


 二葉は正次郎の為に時計になったのだ。



 カッチコッチカッチコッチ


 規則的に時を刻む時計。それは両手で持ち上げられる小さな振り子時計。


「ふえっふえっ⋯⋯ふぇえええん」

「風花、ほら、お母さんの時計だよ」


 鳴き声を上げた風花にその時計を見せると不思議なことにピタリと泣き止み、その小さな手の平を辿々しく伸ばした。

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