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時計館奇譚  作者: 京泉
始まりの時計
13/16

プロローグ

 大正時代。


 この時代はたった15年の間に様々な変化が起きた時代だった。


 民主主義思想が進み国民の政治参加である普通選挙が行われ、自由と平等を掲げた自由主義が芽生えた。


 人々の暮らしも変化し、女性達は袴に編み上げブーツを合わせたりアッパッパと呼ばれるゆったりとしたワンピースを身にまとい、男性はインバネスコートと腰に手ぬぐいを引っ掛けた蛮カラスタイルを始めた。

 そんな彼らはモダンガール、モダンボーイと呼ばれた。


 街に街灯が家には電球が灯り、家屋に洋室が取り入れられ食卓には今まで一般家庭に馴染みのなかったカレーやコロッケが並ぶようになり生活様式は和洋折衷化して行ったのだ。


 服装の変化、思想の変化、新しい風、新しい習慣、新しい思潮が広まった時代、それが大正時代。

 

 そして、第一次世界大戦が起きたのもこの大正時代だ。



 門田正次郎。

 彼はその名の通り門田家の次男として生まれた。

 門田家は明治時代に起こした鉄鋼業でひと財産を成した成り上がりだった。

 門田家の古い風習で長男は跡取りとして大事に育てられ正次郎は冷遇までは行かなくとも明らかに差をつけられた待遇で育った。

 ただ、そんな事は正次郎には当たり前で当然の事だと受け入れそれに対して不満も不平も感じていなかった。

 長男を守る。それが次男の役割であり存在意義なのだと。

 

 そう遠くない一昔前はそう言う時代だったのだ。

 

 そして⋯⋯正次郎が18才になる頃戦争が始まった。


 遠い地で起きたその戦争は軍需用によってこの国に好況を与え、大戦景気に沸いたのだった。


 門田家は鉄砲の玉、砲弾の玉、あらゆる武器を製造し、武器や資材の輸出で門田の家は「武器職人」「武器商人」そう呼ばれる地位を確実なものにして行った。

 


 戦争が終わったのは正次郎22才の時。

 戦争によって巨額の財を成した門田家の長男、真一郎に嫁入りが決まった。相手は同じ大戦景気で財を成した家の令嬢。


 彼女の名前は「勝子」。


 長い黒髪は艶やかで豊満な体躯と意志の強い切長の瞳の美人だ。おまけに「勝子」の名の通りとても勝気で自信家の女性だった。


 眉目秀麗な真一郎と絶世の美女勝子。

 二人が並ぶと誰もがため息をつく程似合いだった。


「正次郎」


 その声は凛として。


「正次郎」


 その声は熱が籠っている。


 門田家の女主人となった勝子は事ある毎に正次郎を呼び、事ある毎に連れ出した。

 


「正次郎、最近は勝子と良く街へ出ているらしいな」


 今や門田家の全てを手にした家長であり、稼業の元締となった兄真一郎の声は呆れを含んでいた。


 真一郎は愚かな人物ではない。

 兄と弟。同じ門田家の兄弟でも期待され、大切にされた自分と使用人の様に扱われた弟。

 自分の立場が恵まれたものだと自覚はあっても兄弟間の待遇の差を良しとは思っていなかった。

 兄弟の溝。これを浅くするには自分が門田家の全てを手にする事が近道だと努力してきた。

 正次郎はそんな兄を尊敬しているのだった。


「勝子の我儘に付き合わせてすまない」

「いえ、当主のためになるなら⋯⋯」

「兄さんだ、正次郎。私と正次郎は兄弟だ」


 聡明な兄。両親が隠居し、門田家の権限を手にした真一郎は使用人の様に使われていた正次郎を真っ先に自分の側近へと引き上げた。

 稼業では帳簿から人事。家の事では当主代理として。それらを正次郎に把握させ「門田家」に必要なのだと彼に自信を持たせた。

 当主とその弟。二人で力を合わせる姿に従業員達はいつしか正次郎を馬鹿にすることをやめた。


 兄として当主としていつも守ってくれる真一郎。自分の行動が尊敬する真一郎を困らせている。

 正次郎は不甲斐無さに拳を握った。


「勝子は気が多い女だからな。他の男ならともかく正次郎が勝子に振り回されるのは私が許せない」

「そんなっ、兄さん! 僕と奥様には何も!」

「分かっている。だが、人の目、その口は塞げない」


  真一郎のそばにいると言うこと、それは勝子とも近くなる。勝子が正次郎に粉をかけている。

 そんな噂が立つのは当然だった。

 


「私は勝子がこれからどうなるかは彼女自身の応報だと思っているよ。だがね、正次郎が彼女の応報に巻き込まれるのは御免なんだ」


 両親から受けることの無かった愛情を真一郎は惜しみなく正次郎に向けてくれる。

 正次郎はその愛情が時々恐ろしい。

 

 「兄弟」としての愛情。それ以外の「何か」を彼が抱えていると感じているからだ。


「それでね、正次郎、君に縁談がある。仕事では私のそばにいて貰うが正次郎に家族を持ってもらいたい」


 真一郎がそう言って開いた身上書には柔らかい笑みの女性の姿。


「覚えているか遠縁にあたる足利の時坂家。そこの二葉さんだ」

「二葉さん、綺麗になりましたね⋯⋯」


 正次郎の嫁になる娘だと言うのに他人事のような素っ頓狂な反応を見せた正次郎に真一郎は声を上げて笑い出した。  

 

 正次郎と二葉は乳姉弟。

 門田家が長男真一郎にかまけている間、同じ時期に子供が居た時坂家に正次郎を任せていたのだ。

 その子供が二葉だ。


 正次郎と二葉は十歳まで一緒に育った。

 あれから十二年。本当に二葉は綺麗になっていた。


「一つ、確認がある」


 二葉に見入る正次郎に真一郎は静かな問い掛けを投げた。


「正次郎は勝子をどう思っている? 勝子と私は離縁は出来ないが正次郎が勝子を好いているのなら私は認めよう。そして時坂家には断りを入れる」

「兄さんっ! 誓って僕は奥様に邪な感情はありません!」

「落ち着きなさい。分かっている。ただ、勝子が正次郎に色目を使っているのは確かだ。私は正次郎に苦しんで欲しくはないのだ」

「兄さん⋯⋯は、奥様を愛して、いるんですか?」


 真一郎はすっと目を細め日本酒をあおった。

 

「愛しているよ。だから自由にさせている。今は若さ故その美貌を持て余しているがいずれ勝子は私の元へ戻らざるを得なくなる。誰しも年をとるものだ。だが、私にとって勝子より大切なもの⋯⋯それは正次郎だ」


 正次郎の背中に冷や汗が流れた。

 そう、真一郎は勝子に向ける愛よりも正次郎に向ける愛情が強い。

 

 正次郎も「そういう」癖を持つものがいる事は知っている。だからこそ正次郎は気付いて見て見ぬ振りをしていた。真一郎は自分を愛しているのだと。

 真一郎は聡明な兄だ。

 愛するものを守る為にその幸せを守る為に正次郎に二葉と言う妻を持たせようとしているのだ。


「兄さん、は、それで⋯⋯良いのですか」


 自分を愛してくれているのなら他の人に渡すような事をしないのではないか。

 真一郎が正次郎を望むのなら──。


「他の人の愛の示し方は知らないが、私は正次郎を愛しているよ。だからこそ私の目の届く所で幸せになって欲しい」


 これが兄、真一郎の愛の示し方。


「僕の幸せが、兄さんの幸せなら⋯⋯。兄さん、このお話、謹んでお受けします」


 正次郎もまた、真一郎を愛している。

 真一郎の愛とは種類が違う「愛」ではあるが。


「うん。それでは早速時坂家に電報を打って話を進めよう。忙しないが祝言は半年後だ」



 真一郎が時坂家へ縁談がまとまったと一報を入れた三ヶ月後。


 門田家次男正次郎と時坂家次女二葉の結納式が行われた。


「しょうちゃん、立派になって⋯⋯」

「ふーちゃんも⋯⋯綺麗になったね」


 乳姉弟の二人は十二年ぶりに再会し、夫婦となる。

 昔の呼び名で懐かしさと恥ずかしさを誤魔化しながら二人は並べられた結納品の前で微笑みを交わした。


「二葉さんて⋯⋯素朴な方なのね」

「幼馴染でもある二人だ。仲良くやれるだろう」


 「ふうん」と勝子は気のない返事をしながら二葉を睨んだ。

 別に正次郎が好きなわけではないが自分の物だったのに人の物になる。しかも素朴なんて表現をしたが地味な女に。


 気に入らない。勝子はニヤリと口角を上げた。


「私も仲良くやれると思うわ」


 良い引き立て役が転がり込んで来たものだ。

 地味な二葉を隣に置けば勝子の魅力がより一層引き立つというもの。

 

 真一郎も楽し気な勝子を横目で見て口角を上げた。


 やはり勝子は美しい。

 そして愚かだ。


 真一郎は勝子を愛している。ただ、その愛は純粋に勝子を愛する愛ではない。

 愛していると思い込む事、それもある意味「愛」なのだと。


 

 さらに三ヶ月後。

 桜が舞う季節に正次郎と二葉の祝言が挙げられた。


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