前編
サイレンの音がけたたましく鳴り響き赤色灯が辺りを照らした。
先日直撃した台風で地盤が緩んでいたその山は土砂崩れを起こし、所有者である旅館の一部を飲み込んだ。
閑散期が幸して負傷者はおらず、旅館の従業員も無事だった。
女将は語った。
その日は朝から土の匂いが強く、湧き水が濁っていたと。
「それで、お客様も居ないことだし今日は従業員に臨時休業を申し付けました。私達家族は折角だからと家族で外食に出たのですが帰ってきて、これでしょう? ビックリしてしまいました。被害を受けたのが離れの旧館だったのは幸いです」
女将は恐怖と安堵を混ぜ合わせながら笑うが、すぐに頰に手を当て目を伏せて溜息を吐いた。
「でも、まさか⋯⋯あんな場所に⋯⋯。土砂崩れが起きなければあの方はずっとお一人でいらしたんでしょうね⋯⋯」
山崩れは旅館の名物だった崖をも崩した。
海へ迫り出すような形だった崖はポッキリと折れ、無惨にも絶壁となってしまった。
その剥き出しになった崖の下。波によって削られた空洞に一つの白骨化した遺体が発見されたのだった。
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椅子をギシリと鳴らして上林は天を仰いだ。
鑑識課と科捜研の報告から発見された白骨化した遺体は 経営していた花屋を破産させ、薬物に染まり事件を起こして行方不明になっていた若草ナミと判明した。
──生きてはいないと思っていたが⋯⋯。
「仏さん、大岩のリストに名前があったんだってな」
向かい側に同僚の山谷が座り気遣わし気にポリポリと頭を掻いた。
若草ナミ。上林が生活安全課にいた頃、当時高校生だった彼女を補導した事があった。
深夜徘徊、未成年飲酒程度であればまだ可愛気があったものの、窃盗、詐欺、暴行、売春⋯⋯犯罪に手を染めながらも全く罪の意識が無かった彼女はとうとう補導では済まなくなり、刑務所に入った。
数年経って刑務所を出た若草ナミはホステスを始め、上林は彼女が反省し変わろうとしているのだと胸を撫で下ろしていたのだが、ホステス時代も何度もトラブルを起こし、その現場で顔を何度も合わせるようになった。
「お前が気に掛けていた女性だろ?」
「嫌な縁でな⋯⋯花屋を始めたと聞いてやっと更生したと思っていたが⋯⋯どんな人間でも生き直せると言ってもそう簡単に人の根底は変わらないものだからな」
「おいおい、俺達がそれを言ったら駄目だろう」
山谷は苦笑してギシリと椅子を鳴らす。
「若草ナミの起こした事件と、薬物使用嫌疑は被疑者死亡で書類送検されて事件は終わりだ」
「大岩もこのまま責任能力がないとなれば無罪だろうなあ」
被疑者が死亡した場合、書類送検しか出来ない。これで若草ナミを捕まえる事も、彼女が罪を償う事も出来なくなった。
大岩マサシは心神喪失状態が演技でないとすればどんなに証拠が上がろうとも責任能力が問われて無罪だ。
「しかし、何でまた若草ナミはあんな所にいたんだか」
「一見事件性は無いが、裏社会に消された⋯⋯という事だろう? 良くある話だ。大岩の薬物ルートが分かりさえすれば手を下した奴にたどり着けるだろうが、大岩は明らかな心神喪失状態なのだから聞き出す事は現時点では無理だ」
こんな時、自分達が一体何の為に犯罪を追いかけているのか分からなくなる。ただ虚しさが広がるのを毎回誤魔化すばかりだ。
「もう少し大岩を追ってみるさ」
「あまり根を詰めるな。深みに嵌るなよ」
部屋にあった薬物、客リストは彼が売人だと証拠付けてくれるが入手ルートはまだ闇の中だ。
いつもたどり着けないルートの先。大岩が話せないのならせめて彼の足取りを追わなくてはならない。
それが自分達の仕事だ。
彼は何故、記憶を無くしたのか。
彼は何処で、記憶を無くしたのか。
彼は「時計」の店にどうやって辿り着いたのか。
「そうそう、息子が言っていたんだがお前が探している「時計」の店な。最近「行った」と言う話が増えているそうだ」
「本当か嘘か面白おかしくするのは掲示板の性質だが一度見てみろ」そう言って渡されたWEBアドレスを上林は躊躇なくタブレットへ入力する。
先日は雑多な書き込みの中の一つの話題だった「時計」の店。「行った」の書き込みから単独スレッドが立ち、そこそこの書き込みがあるようだ。
上林は最初から順を追って書き込みに目を通していった。
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38:後ろの名無しさん
最近見つけたって奴増えてね?
39:後ろの名無しさん
でも友達の友達がってのばかりなのはまさに嘘は嘘だと見抜けないのは〜だなw
40:後ろの名無しさん
嘘を嘘と楽しめるならそれで良い
41:後ろの名無しさん
こう考えるんだ自身が行ったとしても書き込みができない状況になったのだと
42:後ろの名無しさん
あるかもね見つけたって言っていたらしい友達の友達が連絡付かなくなったって友達が言ってた
43:後ろの名無しさん
友達のゲシュタルト崩壊
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73:後ろの名無しさん
私行ったよ何処でだったか忘れたけど急いでいた時に見つけたのなんかふわふわしてね気が付いたら大好きな人の側にずっと居るの
74:後ろの名無しさん
意味は通じるけどなんか変な文章だな
75:後ろの名無しさん
そう言う演出いらねーから
76:後ろの名無しさん
「時計館」は必要とすれば見つかるよ行けないのは必要じゃないからだよ必要とされていないから必要なんだよだから行けるんだよ
まってるね
77:後ろの名無しさん
おおう何⋯⋯だこれ
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──まってるね──
上林は身震いした。冷たい何かが背筋を這い上がって来る。
上林にとって、誰かに向かって言った訳でもないその書き込みが自分宛に思えた。
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カッチコッチカッチコッチ
チッチッチッチッチッチッ
コチコチコチコチコチコチ
無数の時計が時を刻む音が響く店内。
「ハンターです」
差し出されたカクテルに上林は「成程」とごちた。
噂通りの店だ。何も注文せずとも提供されるカクテル。所狭しと時計が飾られ時を刻む音がBGMの代わりになる時計の店「時計館」。
上林は漸く見つけることが出来た。
──見つけたとは⋯⋯違うな。
──まってるね──
その書き込みを見た後、確信があった。今夜「時計」の店へ行けると。
その確信の根拠は今でも全く浮かばない。漠然とした確信の導くまま街を歩きこの店へ辿り着いた。
上林の確信が導いたのか、はたまたあの書き込みのように必要としていたから導かれたのか。
──待たれていたからなのか、無くしたい「記憶」があるからか。
上林は出されたカクテル「ハンター」を一口含む。
ふわりと華やかな香りが鼻腔を通り、ウィスキーのコクとフルーツブランデーの一種、チェリーブランデーの甘さが広がった。
「マスター、この店は何故こんなにも時計ばかりなんだ?」
「気が付いたら増えてしまった⋯⋯いえ、この時計達がこの店を選んだのでしょう」
「ははっ、時計が選ぶ。ロマンチックな話ですね。と、言う事はこの時計も⋯⋯」
目に付いた時計に手を伸ばしかけて上林はその手を止めた。
それは青黒い本体に青い文字盤、振り子部分には西洋の悪魔がぶら下がっている禍々しい雰囲気の置き型振り子時計。
左右に揺れる悪魔がどこか大岩に似ている。
「い、色んな趣向の時計が、あるもんですね」
「そうですね。其々抱えているものが違うように時計も姿を変えるのです」
「姿を、変える⋯⋯?」
カッチコッチカッチコッチ
チッチッチッチッチッチッ
コチコチコチコチコチコチ
時を刻む音が大きくなった気がする。
今飲んでいる「ハンター」は確かに度数が高いカクテルだった。それにしてもまだひと口しか飲んでいないのに酔うには早すぎる。
「最近はありがたい事に当店を探されている方が増えまして、どんどん増えるんです」
「あ、ああ、都市伝説になっている、ようで、す」
おかしい。頭がぼうっとする。
「しかし⋯⋯貴方様には──が有りません。それなのに不思議です」
「は? 何が、無いって⋯⋯」
カッチコッチカッチコッチ
チッチッチッチッチッチッ
コチコチコチコチコチコチ
あれだけ大きく響く時を刻んでいた音が遠ざかる。上林はゴツンとカウンターに突っ伏した。
「ハンターのカクテル言葉は「予期せぬ出来事」だそうですよ。貴方が来店されたのは予期しなかった事です」
抑揚のないマスターの声が頭に響く。
──どう言う事だ。俺も大岩と同じ「記憶」を無くすのか?
必死の抵抗虚しく上林は意識の最深部へ落ちた。




