五、エピローグ
「お父さん。 どうしたの。」
放心したように、あらぬ方へ眼をやり、ぼんやりしている姿は長い結婚生活のなかに度々あった。
歩いて居る時、風呂に入って居る時、憑かれたものの様に、放心している顔が有る。
良子は裕志が考え事をしていると思って、暫く時間を置くのであるが、余り長いと不安に感じ、声をかけるのであった。
裕志は声を掛けられ、「ハッ」と気付いた。
六十余年前の社会から、現在の社会に引き戻されたのである。
裕志は傷病兵の老人の示唆を受け、六十余年前の軍隊時代の生活に数十分戻って仕舞って居た。
余りに違いすぎる現代社会。
戦後の人々の脳裏から、あの悲惨な戦争体験は想像にも及ばないであろう。
東部八十五部隊の戦友会が、昭和十七年入隊の兵隊だった中楯勇三氏の戦友等が中心になって、毎年一回開く様になった。
昭和五十年、真間での戦友会に、全滅した、と伝えられていた沖縄へ出動した作井二十中隊の生き残り召集兵の、高橋喜久雄氏が出席した。彼は沖縄での無惨な状況を、具体的に話し、彼が自分の記憶と日記手帳を元にして、「作井二十中隊の最後」と云う、僅か四十ぺージのささやかな小冊子を、戦友の全員にプレゼントして呉れた。
裕志は冊子を読んで、沖縄での悲惨な状況が手に取るように判った。
彼等がどんな生活をし、どんな作業をしていたか判るが、重機一台、小銃だけで、歩兵部隊の援護が有ったにしろ、どんな戦い方をしたのか、銃剣で斬り込み、映画やテレビで見る様に、バタバタと倒れていったのではないか、彼等の遺骨はどうなっているのか。
壕の中で傷ついた躰に鞭打ち、小銃で必死に抵抗したのではないのか、そんな思いが冊子を読んだ折に、涙と口惜しさがほとばしり出た。
同じ時期、裕志等は酒田でのんびり作業し、旨い物を喰い楽な生活を送っていて、彼等に本当に申し訳ないと思った。
裕志と川名正夫は血書の志願までして、作井二十中隊に参加し、勇躍、二人は沖縄に向かう積りで居たのに、門司で伝染病が発生し、それが原因かどうか判らずに原隊復帰を命ぜられてしまった。
誰が、人事をしたのか、理由も全く判らない。
中隊は輸送船で沖縄へ、裕志等は列車で市川、国府台へ、右と左の別れであったが、其の結末はあまりにも違い過ぎた。
誰が人事担当だったのか。
作井二十中隊の生き残りは僅か六名、他は玉砕して皆戦死し全てが不明になって仕舞った。
裕志は神が、仏が、此の人事を決定したのだと思う様になった。
裕志に命運を与えて呉れたのは、神であり、仏である。
苦しい、戦後の生活であったが、喜びも悲しみも有った。
長生きしたもんだ。
二十代で終わろうとした人生が、六十余年長く生き延びた。
結婚し、子供が出来、子供が成長し、就職し結婚、孫も出来た。
息子が、あの敵国と云われた米国に住み、三人目の孫が生まれるので、水天宮に安産の祈願しに来るなど、夢にも思わなかった。
良子が支払して来るので、裕志は一足先に表の道路に出た。
広い道路は相変わらず、人影は薄く、車影のみが忙しく、騒音のみが聞こえて来た。
良子が支払を終えて、出て来た。
裕志は歩道を悠々と歩き出した。
平和と安らぎ、幸福感が裕志の手が、良子の手をしっかり握って居た。
大川に近いのか、さわやかな風が二人の頬をなぜた。
「老兵は死なず。唯、消え去るのみ。」
との、比喩が今の裕志に似合いの言葉であった。
完




