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命運  作者: 中西 裕
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二、軍 隊

(昭和十八年十弐月壱日、市川市、国府台東部八十五部隊に入隊すべし) 

       

父からの電話が丸ビルの工事会社に勤務している裕志に伝えられたのは、秋も深まった十月の末であった。


裕志自身は、自分に赤紙が来るとは思っても見なかった。


徴兵検査で貧弱な躰なので丙種を貰い徴兵官から「もっと躰を鍛えて来い。」と大声で怒鳴られた事を覚えていた。彼は之で兵役を逃れたと、其の時点で思っていたので父の伝言に驚いて仕舞っていた。


会社の人々から「お目出度う」と云われ、何となく照れ臭く、別に国に尽くす気持ち等、さらさら無かったが、之で皆と同じに一人前になったと思い、得意さを持たないでもなかった。会社を早退し家に帰り、召集令状を見ると、

(貴殿は丙種合格者であるがこの度第三乙種に編入、補充兵として左記部隊に入隊を命ず。)

と、記してあった。


「何だい、こりゃあー」


裕志は兵役の制度が、甲種、第一乙種、第二乙種、丙種、と分かれて居り、甲種は即入隊、第一乙、第二乙、は予備役として召集を待ち、それにより軍隊の人員構成がなされており、丙種は虚弱体質者、部分身体障害者、高齢者を入れて後備役とし、国内の治安の守りに当たる、と軍法に示されているのを知っていた。

処が、国は第三乙と云う徴兵基準を勝手に作り、丙種の人々を編入補充兵として召集、戦争に駆り出そうとしていたのである。


裕志は国家の勝手さに、無性に腹が立って仕方が無かった。


大家族の貧しい家庭の大黒柱の様な長男だと煽てられ、学校も小学校で終え、働きにだされ家計を支える為、給料は全部父母に差出し小遣いを貰うと云う生活を長く、六年間も続けて来た。幸いにも会社の好意で早大専門理工部工科の夜間部に通学・卒業させて貰い会社の正社員として採用され、之から会社の為、社会の一員として貢献し、自由な生活をし、結婚を考え、家庭の楽しさ、営みを考えて居たのに、軍隊に召集されるとは、御国の為とは云いながら、彼は暗澹たる心持にならざるを得なかった。


天皇か、国家か、権力者の非情な都合で戦争を起こし、兵役制度を改変し、体力の無い者、傷病者、高齢者まで動員し、国民の自由を抹殺する。

こんな世の中で良いものか、そしてこの先、国は、家庭は、己の家庭は如何なるのか。

又、召集された軍隊とはどの様なものなのか。

戦場で戦うのか。

どんな生活をするのか。

裕志は入隊する迄の間、不安と憤りで、夜もろくろく眠れぬ日が続いていた。


昭和十八年十二月一日、裕志にとって、人生の変換の日、指定された部隊の広場に行った。

色々な年齢、職業に携わっている人々、一見して仕事の判る服装をしている人、昔の軍服を着ている人等、多数の人員が召集を受け、集まって来ていた。


裕志はわざと学生服を着て行った。

この日、全国で学徒動員が行われる日で卒業したばかりの裕志には学生に対する憧れもあり、彼等の出陣式を見て、自分も彼等と同じだという云う、晴れがましさの見栄が走ったからであった。


部隊から係官が来て姓名を読み上げ、各々の中隊に配属した。

裕志は第一中隊第三班に配属された。

此の部隊は工兵隊であるが、普通の工兵隊と違い、特殊工兵部隊と云われ、第一、第二中隊は電気を主に使い、発電車を所有、鉄条網の敷設、其の線網に三千ボルトの電流を流し、敵前上陸、陣地攻撃を守備するを目的とし、又、陣地、宿営地に電力を供給する任務が負わされている。

第三中隊は鑿井車を所有、陣地、宿営地の飲料水を供給する任務を負わされ、民間の石油天然ガス、温泉の探査、資源開発援助等、別枠の任務も負わされている。

此の部隊の連隊名は独立工兵二十五連隊と云い、組織は大隊人員で東部軍管区に所属しているので、東部八十五部隊を名乗っている。


裕志等が召集された目的は、昭和十八年十月に同じ任務と規模を持つ中国満州牡丹江省に駐在している独立工兵二十七部隊の人員補強の為、新たな部隊が編制され、独工二十五部隊の殆んどの人員が組み込まれ、現地に出てしまい、部隊の管理運営が出来なくなった為、急遽召集をかけ管理要員を確保する目的であった。

故に戦闘要員ではなく、役務員であるので高齢でも虚弱でも、人で働ければ良かったのである。


年齢の開きの多い、年上で所帯持ちの川名や麿田、片目の潰れた身障者の谷下田や高野と戦友となったのは此の中隊に入って一緒に生活する様になってからだ。

日本の軍隊は不合理だらけである。と、云う噂は聞いては居たが、生活してみて裕志は全くその通りだと思った。

階級が壱階級の差があれば勿論の事、同じ階級でも、半年早く入隊していれば、それは先任者として、理由の如何に係らず絶対服従の縦型社会である。

其の論理により、絶えず私刑リンチが行われ、又、軍隊独特の仕来たりか、戦友殿と称して階級の上の古年次兵に必ず一人、初年兵がまるでお手伝いの様に身の回りの世話をしなければならないのである。


軍隊擦れした古年次兵は、

「貴様等は、壱銭五厘の葉書壱枚で幾らも集められるんだ。」

と、はっきり云い、まるで奴隷でも使う様な態度で初年兵に接して来た。

又、将校の中には、

「彼等を戦場と同じ極限状態に成る様訓練してやる。」

など、人間性を踏みにじる不遜な発言をする幹部も居たのである。


裕志は軍隊に入隊し、初めてこの様な非人間的な奴隷集団組織に巡り合った。

「天皇陛下の命により、・・・・・」

と、それが上級者の最後に出る言葉である。


裕志は天皇を恨んだ。

勿論、天皇直接の指示は無かったにしろ、天皇を利用した制度を憎んだ。


軍隊の起床は五時、冬は六時である。

初年兵の一日は忙しい。

一つの班で二十五名、初年兵は約十五名、残りは二、三年兵である。先任は兵長であった。

内務班長、班付き伍長、軍曹等の下士官は、兵とは別に下士官室で起居している。


営庭で朝の点呼があり、乾布摩擦一〇分、解散後各中隊から本部、事務室、衛兵所、面会所の清掃要員の募集があり、当番の中隊から約二、三名出さねば済まさぬ。又、所属の中隊の事務室、便所、兵舎前、舎後の清掃、所属中隊の将校当番と約十名がそこで消え内部に残った約五名の初年兵で、班二十五名の寝台の寝床の片付け、班内の清掃を行い、其の内食事当番集合の声がかかる。食事当番は各班から三名、残り二名の初年兵が未だ終わっていない班内の仕事を片付け、テーブルの上に戸棚より食器を出し、食事の準備をするのである。其の忙しい事、時間の少なさに働いて居るのに、古年次兵は寝台やらテーブルにに腰掛け、煙草をくゆらせ、雑談をしていて初年兵が働くのは当たり前と云わぬばかりに、手伝おうとしない。

                               

食事が来る。五人の兵は飯や汁、香の物を各々の食器に盛り分け、古年次兵の湯飲みはそれぞれ専用の湯飲みを持って居るので、階級によって順番に並べて置く。初年兵の物はアルミの古コップで、テーブルに積んで置く。


割り当てられた当番の兵達がぞくぞく帰って来てテーブルに着き、一応の人員が揃うと、先任兵長の声で食事を始める。飯は食器に盛り切り、一膳飯と云われる所以である。作業、演習等で重労働した場合は決して充分とは言えない量である。と云って空腹を満たすべく物品販売所へ行っても、入隊時から配給制になっていて食べ物は、何一つ売っていない。

皆、空き腹を抱えて、作業に、演習に着かなければ仕方ないのであった。


古年兵のいじめはひどいものであった。少しの不備でも難癖をつけ、リンチを加えた。

演習から帰って来て、整理棚を見ると片付てあった衣服、書物、備品等がまるで泥棒にでも入られた様に荒らされ、散らかされている。綺麗に整理しなければ、食事も出来ぬ。

夕食後の休憩時間もゆっくりと座ってもいられぬ心理状態になって仕舞っている。

落ち着きもなく、古年兵の一挙一動を見守り、おどおどした不安な心は、内務班に帰るのを躊躇しなければならない程にすさんでいた。


初年兵教育は三ヶ月間行われた。

やはり軍隊である。工兵隊と云えども、歩兵と同じ戦闘訓練を教育しなければと云う趣旨で、銃を持たされ、部隊より四キロ付近にある東練兵場に於いて、訓練。

それに部隊の目的とされる電気工事に関する訓練、電柱立て、配線工事、正に東電の見習いと同じ仕事を訓練されたのである。


二月の冬の雪の降った寒い日、練兵場に於いて、匍匐前進等の戦闘訓練は裕志の虚弱な躰には、実に身に応える辛さであった。疲れた躰をやっと支え、当番勤務も終え、内務班に帰り食事を済ませ、一休みと思って居る処へ班長より、「初年兵、北側集合」 の声がかかる。

なにをするのかと云うと、軍人勅諭、作戦要務令等のミニ本が支給され、勉強会が行われるのである。


前日勉強した部分を復唱、翌日迄に覚えて、暗証しなければならない。出来ないと罰を受ける。其の罰も教本に謝罪し、出来なかった者同士を互いに殴り、相手を傷つける卑劣な手段を取るのである。

小学校も満足に通わせて貰えなかった貧しい農家の手伝い人、木工、金工、裁縫、板前等の見習い等、漢字も満足に書けない召集兵等を無理に教育、早急に軍隊の要務員として仕上げようとしている部隊幹部の愚かしさ、其の方針の被害を受け、罰を受ける兵の惨めさ、裕志は実にむなしさを思わざるを得なかった。


演習の他に此の部隊が特殊、即ち電気を使用する電気関係の最低の知識は要務員には絶対に必要であった。それで演習の一部として、学科があった。

教師は理工科出身の将校、見習い士官であった。部隊常備の教本を中心として行われる。

兵等の殆んどは農家の出身が多い。電気は電燈の灯りだけしか判らず、其の名称、構造等は全く知らない者が大多数であった。


裕志等の教育係は横浜高等工業学校の学徒動員の予備士官であった。電気科出身ではなく、機械科か或いは建築科出身と思われた。

未だ若い教官は得意になり、黒板に数式等を書き表し兵等に自慢気に教えた。

兵等は若い教官の博学に殆んど敬意を表していた。

裕志は夜間部であるが、早大の専門部理工科を出ている。それに数学が得意で臨時ではあるが、工手学校の代理教師として教えた実績を持っていた。むしろ、裕志が教官より数学はレベルが上であった。初歩的な高等数学の数式を得意になって表し、説明する学科の講義に退屈で、眠気が出て仕舞うのである。


或る日、教官の教える事に矛盾が生じた。

裕志の知識頭脳がそれを許さなかった。彼は教官の書いた数式の矛盾を追及した。

教官は困って、「後で考えて置く。」と逃げを打った。裕志は其の答えを親友の川名に教えてやった。次の教育の日、川名が堂々と教官に問題の解答を返事した。


教官は未だ解答が出来なかった様で、川名の解答に満足し、兵の中には自分より高い知識を持って居る者も居る事を脅威の眼で発見したらしい。

「川名二等兵を手本として、勉強に励むように。」と、川名を褒め上げた。


その様な事があって、入隊してから半年目に裕志と川名は一等兵に進級した。

二人が中隊長に進級の報告にいった折、中隊長から話のついでに

「お前達の事は聞いている。班長から内務は駄目、演習は最低、それにしても学科が抜群に良かったと報告があったので進級させた。」

と聞いて、裕志は思い出して可笑しくなってしまった。


三ヶ月の初年兵教育期間が終わると兵隊達は、前歴、即ち、入隊前の職歴を参考とし、取得している資格を考慮し、兵達の仕事を定めた。


自動車兵、運転免許を所持して居る者。

自動車工手、機械の修理製造に携わった者。

電気工手、電気関係の仕事に付いて居た者。

鍛工、重鍛工、鍛冶屋及び機械部品関係の者。

縫工、衣料や繊維関係に従事した者。

装工、靴や鞄、革製品の仕事に従事した者。


この様に分けられ、其の他の者は一括して、電気兵と云われ、雑用に使われた。


朝の点呼が終わると、中隊副官から号令がかかり、自動車兵、自動車工手は車廠へ、鍛工、重鍛工は材料廠へ、縫工、装工は衣服、装具の修理工場へ、其の他の者は内務班で待機。

それで内務班で待機していると、班長又は班付きが仕事を持って来る。

本部事務室、中隊事務室、将校、下士官等の集会所、物品販売所、と任務として派遣され、各々の雑用をするのであった。


別に一ケ月交代で部隊の衛兵、三ヶ月に一回東部七十一部隊、即ち弾薬庫のある部隊へ、衛兵として派遣され、任務に就くのであった。真に現在のアルバイト人間と代わりがなかった。


それぞれの兵等の役務が一応定まると、暫く期間をおいて、部隊全部又は各中隊ごと、或いは電気中隊だけと云う種別は有るものの、必ず教育的出張演習と云うものがある。

名目は如何であろうと、之は真に電力会社の下請工事会社の仕事をさせられるのである。


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