第2話 ジェントルマン・ミーツ・ピーチ
その『桃』はまぎれもなく。
人間のおしりであった―
「この川、深いぃ…!! 助けてくだっ…ボボッ!?」
少女の声で話す『桃』に彼はしばし呆気にとられていたが、すぐに状況が予断を許さない事に気付いた。
「すぐに助けるからな!」
彼は溺れる『桃』へと手を伸ばし、それを引き上げようと力を込めた。
だが、その寸前。
『桃』からまばゆい光が漏れ出し、当たりは真っ白に染まった。
目が覚めると、彼は自分が花畑のような場所にいる事に気付いた。
「私は…、死んだのか…?」
立ち上がろうと身体に力を込めるが、まるで身体が動かない。
「暴れちゃいけませんよー。」
声の方に目をやると、少女が正座しているのが見えた。
「あっ…!」
彼を少し見下ろす形で正座していた少女は、何かに気付いたように数秒凍りついた後、大きな声でまくし立て始めた。
「ちがっ…!違うんです、これは!そんなんじゃないですよ!? 全部ぜーんぶユニ○ロが悪いんですからっ!!」
少女は、パンツを履いていなかった。
「あなたの奥さんが変なコト言い出すから!! 私だって、ホントはパンツも何もかもちゃーんとあったんです!!!」
尚もまくし立てる少女であったが、彼はそれよりも少女の発した一言に気を取られていた。
「私の…妻?」
「ユ○クロ死すべ…、…え?」
少女は彼の言葉に少し驚いた様子を見せたが、すぐに彼の方へ向き直って話し始めた。
「あ…、はい。私は貴方の奥様の依頼で、地上にやってきました。」
「地上に…やってきた…?」
「ああ、そうですね。まずはそこから話さないといけませんね。」
少女は軽く微笑み、説明を始めた。
「私は天使で、名をミカンといいます。」
「モモ…では無いのか…?」
「桃?なんですかそれ…?」
少女は呆れたように肩をすくめて、可哀想な生き物を眺めるように彼の方へと目を向けた。
「いや…、気にしないでくれ。それよりも、君は本当に天使なのか?にわかには信じ難いが…。」
今知りたいのは妻の事だ。果実の話など、彼にとってはどうでも良い事であった。
「ええ。私は天国で見習い天使として働いていました。天使というのは、天国にやって来た尊い人々が生活しやすいように、サポートするのがお仕事なんです。貴方の世界で言うところの、公務員みたいなものですね。」
「私の妻は、天国へと行けたのか…?それはよかった。よかった…!」
少し涙ぐむ彼の背中を、少女は優しくさすりながら続けた。
「貴方の奥様は、天国で楽しく暮らしていますよ。ただ…。」
「…ただ?」
「ただ、貴方の事はずっと心配していたようでした。」
「そうか…。」
彼の表情が、みるみるうちに曇った。
やはり、妻には心配を掛けていたのだ…。
「そんなに落ち込まないで。この話にはまだ続きがあるのよ。ある日奥様がね、『この手紙を、彼に渡してきてあげて』って。ホントは地上の人に会いに行くのはダメっていう決まりなんだけど、私も奥様には随分良くしてもらってるし…。…ま、まあそれはいいの!それでこの手紙を持ってきたんだけど…。……ああっ!?」
話しながらカバンをゴソゴソし始めた少女であったが、突然その血相が変わった。
「ない…!」
「ない…?」
「無いの!手紙がっ! ど、どうしよう…!!」
忙しくキョロキョロと辺りを見回す彼女。しかし、周りにそれらしき物は落ちていない。
「私も探そう!」
彼は急いで身体を起こそうとするが、どうにも身体が起き上がらない。
「すまないな。私も少し、年らしい。…起こすのを手伝ってもらえないかな?」
「え…?」
苦笑しつつ助けを求めた彼に、少女は不思議そうに首を傾げる。
「えっと、私ももう初老だからね…。その、身体のあちこちにガタが来ているんだ。今も少し、上手く立ち上がれなくてね…。恥ずかしい事だが、起こすのを手伝ってもらえないかい?」
恥ずかしそうに少し小声で説明する彼に、少女は耳を疑うような言葉を掛けた。
「あなたは今、杖になっているでしょう?」
「えっ…?」
「見てみる?」
少女はカバンの中から手鏡を取り出して、彼の方へと向けた。
そこに映っていたのは、紛れも無い、少し年季の入った木製の杖であった。
「私が…杖……?」
思わず呆けた声が出る。
「私TUEEE!?」
初老の男の(意味不明な)叫び声が、空にこだました。