根っこの神様
あなたの家から、木が見えませんか? 山が見えませんか? 森が見えませんか?
入口はどこでもない、あなたの近くにある森。その森に入り、山を越え谷を渡り、ボロボロの橋が見えたら、空を見上げてください。空には、不思議な形の虹が浮かんでいることでしょう――。
森の仲間でかくれんぼをしようという話になった時、必ず一番初めの鬼はキツネになります。それが必然というのか、当然というのか、誰もそのことに文句を言いません、キツネも含めて。
「かくれんぼするか」
「じゃあキツネさん、百数えて!」
と言う風に。
それに対してキツネは何も言いません。ただ、もともと細い目をより細めて、「ええ、分かったわ」と頷くのです。
「みんな、本当にかくれんぼが好きなのね。たまには、鬼ごっことかをしてもいいと思うのだけれど」
「かくれんぼが一番簡単で楽しいよ。アタシ、この間最高の隠れ家を見つけたからさ、そこに隠れるんだい!」
この中で一番小さいリスが、尻尾を振って跳ねる。リスはクマの頭に飛び乗ると、「さァ、クマ吉! アタシを隠れ家まで連れて行っておくれ」と、前を指して言いました。
「ええ、でも……、そこにボク、隠れることできるの?」
「何言ってるんだい、そこに隠れるのはアタシだけだよ。アンタは、別のところに隠れるんだよ」
リスの言葉に、クマは項垂れるしかありません。リスと二人で行動することができ、心細くはならないのですが、これではクマは召し使いです。
逆らうと恐ろしいお嬢様に、クマはビビッて何も言い返せません。仕方なく、リスが言う最高の隠れ家に向かうことにしました。
「キツネのお姉さん、キツネのお姉さん。前にしてくれた約束、覚えているかい?」
どこからか声がしました。キツネは首を左右に動かして、声の主を探します。誰かは分かっているのですが、その姿は見えません。
「ここだよ、お姉さん。上だよ、うーえ」
その言葉に反応し、見上げると、木の枝にヘビとコマドリが止まっていました。
「そんなところにいたの、早く隠れなくてもいいの?」
「いいんだい、コマドリくんがオラを運んでくれるからさ」
ね、とコマドリの方を見るヘビ。コマドリは、「こんにちは、お姉さん。今日も相変わらず美人だね」と、ヘビの言葉など無視してキツネに言いました。ありがとうと返事をすると、ヘビが言います。
「ねえキツネのお姉さん。この間、次に最後まで見つからなかったら、とっても美味しいものをご馳走してくれるって言ったの、忘れてはいないだろうね」
「もちろん。そのためにも、早く隠れた方が良いんじゃないかしら?」おちょくるように言います。「そう言えば、コマドリさんとも、いつか散歩に行く約束をしていたわね」
するとコマドリがヘビを咥えて、空へ飛び去って行きました。遠くから、「お姉さんとデートだぁ!」と、喜ぶ声が聞えました。それと同時に、ヘビの叫び声も。
キツネは全員がいなくなったことを確認してから、数を数えます。アライグマとは何も話さずに終わってしまいましたが、またいつものことをしているのだろうと、大体の見当はついています。
リスが指す方向へ、右へ左へと向きを変えて走るクマ。普段かあまり走ることのない彼からすれば、それはとても辛いのです。
「その木を右、左、んで三本目を右! 遅いねぇ、もっと早く走れないの? キツ姐が来ちまうだろう!」
そう言うなら自分で行けばいいじゃないか、と心の中では思うクマですが、それを口に出すことはできません。そう言えば彼女は、「何文句垂れているんだい! 口を動かす余裕があるなら、さっさと足を動かしな!」と、クマの頭の毛や耳を引っ張るでしょう。考えるだけで頭が痛くなります。
今はとりあえずの辛抱だ、と自分の心に鞭を打ちます。一人で隠れ場を探すことに比べれば、リスと一緒にいる方が案外マシだったりするのです。リスの隠れ家に向かいながら、自分が隠れる場所も探そうという考えは実行されそうにありませんが、最悪、木の上にでも身を潜めようと思います。
「ほぅら、見てみな!」頭上で声がします。「あれが、アタシの最高の隠れ家さ!」
あれから数分で、リスの隠れ家に着きました。そこには、とても隠れられる場所はないように見えます。
リスはクマの頭から降りると、木の根元に固まっている枯葉を退かしました。するとどうでしょう、そこにはリスがギリギリ入ることのできる穴があったのです。
「この穴の先は、根っこ広場に繋がっているのさ。きっとこの木の根の一部が、根っこ広場の根っこなんだろうね。クマ吉、アタシはこの中にいるから、枯葉を被せて穴を隠しておくれ」
それだけ言うと、リスは穴の中を進んでいきました。もうクマは用済みなのです。
一人になったクマは、急に寂しくなりました。リスと一緒にいると体も心もとても疲れます。ですが、リスがいなくなったらいなくなったで、リスが恋しくなるのです。
クマはリスに言われた通り、穴を枯葉で隠します。少しでも見えていたり、キツネに見つかったりすれば、クマが責められます。いくらリスが恋しいとは言え、怒られるようなことはしたくないですから。
クマは穴に背を向けると、来た道を戻ります。
彼の目的地は、リスの話を聞いて決まりました。根っこ広場です。
根っこ広場はこの場所から西の方向にあります。キツネがいる位置からは、真っ直ぐ西に向かった方が根っこ広場は近いです。ですが、リスの穴があるのは北です。きっと、こうすることでキツネを騙そうと考えているのでしょう。いたずら好きのリスが思いつきそうな、ずるい考えです。
リスがその穴から根っこ広場に行くにしろ行かないにしろ、「リスが根っこ広場に向かっている」という事実さえあれば、クマは根っこ広場に一人でいても、少しは寂しさが紛らわされるのではと感じています。それに、根っこ広場では小さいころからよく遊んでいたので、温かみを感じます。
「おいおい、そこのビビり! ちっと手を貸せよ!」
突然聞こえてきた声に、クマは思わず叫び声をあげてしまいました。
「うっせぇんだよ、この野郎! キツネに聞かれたらどうすんだよ、位置から隠れ家を見つけなきゃなんねえだろ!」
声の先にいたのは、黒い毛皮を身に着けたアライグマでした。キツネとはまた違う、細い目をしており、それで見られると体が強張ります。
クマは少し警戒しながら、
「どど、どうしたの?」
と近寄ります。
アライグマがいる付近には、多くの木材がありました。不思議そうにそれを見ていると、アライグマは言います。
「見てねぇでさっさと木材持ってこいよ! 完成した礼はしてやるよ」
「何かを作っているの?」
「そんなこと見れば分かんだろうがっ! 隠れ家を作るんだよ、んでそこに隠れる」
アライグマの言葉に、クマは驚きます。彼は、今から隠れ家を作ろうとしているのです。キツネは百を数え終えると探しに来ます。それまでに完成させることはきっと無理です。
「……別の場所を探した方がいいんじゃないかな」
「ビビりのクマがうるせぇ! 手伝わねぇのなら、さっさとどこかに行きやがれ!」
アライグマの圧に押され、クマは肩をすくめながら、その場を去っていきました。
さて。
口に咥えたヘビと言い合いをしながら飛び去って行ったコマドリを見てから、クマは友達に出会っていません。きっとキツネは既に百秒数え終えて、みんなを探していることでしょう。
ですがクマは、まだ隠れる場所を見つかっていません。このままでは、隠れるまでにキツネに見つかってしまいます。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
とりあえず根っこ広場に向かっていますが、そこに隠れる場所があるかは分かりません。リスのように体が小さければともかく、体の大きいクマの隠れられる場所は簡単に見つかるでしょうか。
根っこ広場はその名の通り、大きな根を持つ木があるだけです。その根は地面を進むことはなく、地上に出てきています。
「根と根の間に隠れようにも、そんな隙間ない……」
根は隙間を空けることなく、ぎゅっと固まっています。そういえば、根っこ広場で嘘をつくと根っこに捕まってしまうという話がありますが、目の前にある根っこは動きそうにありません。クマはそんなことよりも、隠れ場所がないことで頭がいっぱいで、そのことは眼中になかったのです。
「どうしよう……。リスさんがもしかしたらここに来るかもしれないって思ったからここに来たけれど、本当にここに来る保証なんてない……。ボク、一人だ、どうしよう」
クマの表情は、その厳つい顔からは想像できないほどに、泣きそうになっています。頬に手を当てて、あっちへこっちへ足を動かします。ですが、二三歩進んでその先へ行くことはありません。根っこ広場から出ることなく、あたりをうろちょろしているのです。
(どうしよう、どうしよう)
そうやって迷っている時、ふと彼は足に何かが触れた感覚を覚えました。固いそれに足を引っかけてしまったクマは、尻餅をついてしまいました。
いたたたた、と尻を撫でながら引っかかったそれに目を向けて、クマは驚きました。
それは、うねうねと動く木の根っこだったのです。
「なんで……根っこが動いて……」
クマは腰が抜けて、立ち上がれません。
根っこはうねうねと動きながら、クマの方へ向かっています。それはヘビの動きとは違い、恐怖を覚えます。動くはずのないものが動く、そしてそれが自分を狙っている――、そこでクマは思い出します、根っこ広場で嘘をつくと根っこに捕まる、という話を。きっとこの根っこは、クマが嘘をついたから捕まえようとしているのです。
「なんでっ……ボク、嘘なんてついてないよ……!」
クマは背後に気配を感じ、急いで振り返ります。
――そこには、木の根元には、うごめく根っこがあり、その全てが、クマを狙っていました。クマの目には涙が浮かび、その瞳には、クマを狙う根っこが写っています。
「――これで、後はクマさんだけね」
ヘビを咥えながら飛んでいた、へなへなになったコマドリを捕まえたキツネは、そう言って辺りを見回します。コマドリの口元でヘビがうねうねと動き、「こんなことでどうするんだい、コマドリくん」と、疲れ果てている彼に声をかけています。先に見つかったリスとアライグマは、「何してるんだい、アンタたち!」「だっせぇの!」と、彼らを慰めることはしません。ヘビとコマドリよりも先に見つかったのに、彼らは嫌に堂々としています。
「みんな私に見つかったんだから、そうやって言っても五十歩百歩よ?」
「やだねキツ姐、アタシは見つかったんじゃなくて、見つかってあげたんだよ。あんな泥臭いところ、キツ姐に探させるには申し訳ないかと思ったわけよ」
キツネはふっと微笑むと、「そうね、ありがとうリスさん」と、本当は土臭くて這い出てきたリスを見ていたことは言いませんでした。
「それにしても、クマ吉が最後まで見つからないっていうのは、今回が初めてなんじゃないかい?」
リスがそう言うと、他の動物たちも頷きます。
「確かに、その通りだよ。クマくん、彼はビビりだからいつも一番に見つかってさ。オラ、最後まで残るのが嫌だからわざと見つかっているんじゃないかと疑っていたのさ。どうやら、そんなことはないようだけれども」
「クマのやろうなら、根っこ広場の方向へ行くのを見たが」アライグマが言います。「根っこ広場は探したのか?」
「ええ、でも、そもそも根っこ広場にクマさんが隠れられる場所なんてないでしょう? 彼は大きな体を持っているから」
キツネがそう言うと、確かにそうか、とアライグマは納得しました。彼はキツネの前だとその凶暴さを大人しくさせます。
「クマ吉はビビりだから、一人じゃ何にもできない。そんなに遠くにはいないはずさ。案外、アタシたちの近くにいるかもしれないねえ」
リスがそう言うと、みんなきょろきょろと辺りを見回し始めました。しかし、それらしい姿を見つけることはできません。「ま、近くにいるんならさっさと声をかけてくるだろうけどね」リスはそう呟くと、木を登っていきます。
「リスさん、どこかへ行くの?」
「クマ吉を探しに行くのさ。キツ姐一人で探すよりも、みんなで探したほうが早いだろう? どうせ残り一人なんだ、鬼じゃないアタシが探しても優勝がクマ吉な事には変わりないさ」
吐き捨てるようにそう言うと、リスは持ち前の運動神経を生かして枝から枝へ、軽々と飛び移って、そのうち姿は見えなくなりました。
残された動物たちも、リスの言葉を聞いて動き出します。
「クマくんが隠れそうなところと言えば、どこだろう?」
「人目の少ないところにはいないかもしれないね、彼は寂しがり屋だからさ」
「ビビりの間違いじゃねぇのか? クマの野郎の考えることなんざ、考えなくとも分かるだろ」
くちぐちに物を言いながら、三人もクマを探しに行きます。
残されたキツネはどこへ行こうかと考えた末、少し離れたところにあるどんぐり池に行くことにしました。そこだけ、まだ探していないのです。
自分のうなり声で目を覚ましたことに気付いたのは、自分が今、どういう状況であるかを確認した後でした。クマはその状態に、今まで出したことのない声を上げて驚きました。
辺りは暗いです。真っ暗と言うほどではなく、所々から光が入ってきています。
「……ここは?」
暗闇でも、クマさんは案外驚きませんでした。それ以上に、頭が痛いのです。あの根っこに頭を叩かれたのか、奥がぐわんぐわんと揺れています。
(――そうだ、ボク、根っこに襲われて)
ぐっと腕を動かそうとしましたが、何かに縛られているようで動きません。それは、固いものでした。暗闇になれ、それが何なのか分かった時――クマは悲鳴をあげました。
熊を縛っていたのは、太い木の根っこです。きっと、熊を襲ったものと同じでしょう。
「根っこ……! 何で、ボク……、嘘なんてついていないのに!」
クマが根っこ広場の噂を知らないわけはありません。森一番の寂しがり屋でビビりのクマは、そのような話でからかわれてきたことは言うまでもないです。
根っこは腕だけでなく、足や首、胴にもまとわりつき、クマを離さまいとしています。図体の大きな熊でさえも、それは包み込んでいるようです。クマの方は、それに安心感を抱けるわけもありません。
何度も根っこから解放されようと体を動かしますが、根っこはびくともしません。緩んだと思っても、意思のある根っこは再びクマを縛り直します。
どうやらここは、根っこでいっぱいの木の中のようです。
クマの目には涙が浮かんでいます。
『知っているかい? 根っこ広場の噂。あそこで嘘をつくと根っこに捕まるんだ。クマ吉、捕まったあとがどうなるか聞いたことあるかい? 根っこに養分を吸収されて、皮と骨だけにされちまうのさ。あんたは栄養をたくさん蓄えてそうだから、狙われやすいんじゃないのかい?』
リスから聞いた言葉を思いだし、クマは一層慌てます。リスの話が本当なのかは分かりませんが、もし本当だったら、クマはこのまま養分を吸いとられて皮と骨だけにされてしまいます。
「嫌だ……そんなの嫌だ……! ボク、まだ死にたくないよ!」
クマの悲痛の叫びも、根っこには届きません。今もなお、根っこは無感情でクマを包んでいます。
「……ったく、クマ吉のやつ、一体どこに行っちまったんだい」
涙がこぼれる手前、どこからかそんな声が聞こえてきました。その声に、クマは聞き覚えがありました。
「リスさん……!」
クマは考える間もなく、叫んでいました。
「リスさん! リスさん! ボクはここだよ!」
ですが、リスからの返事はありません。クマの声はこの暗闇の中で反響します。まるで、木自体が声を反射させて、外に聞こえないようにしているようです。
「クマ吉の奴が一人で隠れるなんてことがあるわけないと思っていたんだけれど、どうやらそんなことはないようだね」
根っこ広場にきたリスは、辺りを見回しながらつぶやきます。太い根っこを持つ樹齢何百年にもなる大木の前に立ち、その大きな樹のてっぺんを見上げます。
「相変わらず大きな樹だねぇ」
――リスは、わざとクマに「この穴は根っこ広場に繋がっている」ということを伝えました。そうすれば、クマはきっと根っこ広場に隠れようとするだろうと思ったからです。ここにいるのではと考えて根っこ広場にやって来ましたが、どうやらその考えは外れていたようです。
クマにそういう考えが出てこなかったのか、隠れ場所を探す途中で他の動物を見つけたのでそちらへ行ったのか。クマが根っこ広場に隠れない理由はたくさんあります。
ですが、リスはそれが気に食いません。
「ったくアタシがわざわざ声に出して言ってやったのに、どうしてクマ吉はここにいないんだい。寂しがり屋のアイツなら、絶対ここに来ると思ったんだけどねぇ」
リスは軽く地団駄を踏んで、どこにいるか分からないクマに腹を立てています。
「リスさん! ボクはここだよ! 根っこに捕まっちゃったんだ!」
リスが木の前にいる間、クマはずっと叫び続けていました。ですが、何度叫んでも結果は同じ。リスには、クマの声が届きません。
あらかた探し終えたリスは、根っこ広場をあとにしました。
「……どうして、気付いてくれないんだろう」クマの瞳から、雫がぽたりと落ちました。「ボク、嘘なんて吐いていないのに。どうして? どうしてなの……?」
クマが何度そう言っても、根っこが彼を離すことはありません。それは既に息絶えてしまったかのように、冷たく、固まっています。
(ボク、このまま根っこに栄養を取られて、もう、みんなに会えなくなっちゃうのかな……)
どうすることもできないこの状況にクマの心は簡単に折れてしまい、ただ俯き零れ落ちる涙で地面を濡らすばかりです。
しばらくして、どこから足音が聞こえてきました。
(ああ……何か聞こえてくる……足音……?)
クマはゆっくりと、下に向けていた顔を上げました。隙間からぼんやりと見えたのは、二匹の動物の影――ヘビとコマドリです。ヘビは地面を這いながら、コマドリは跳ねるように歩いています。
「クマくんは一体どこに隠れたんだろうねえ、コマドリくん」ヘビは一度立ち止まり、根っこ広場を見回しながら言いました。「とりあえずアライグマくんが見たっていう根っこ広場に来てみたけれど、やっぱり、クマくんが隠れられそうな場所はないみたいだね」
「お姉さんが探しに来たけれど見つかっていないんだ、当然だろう」
コマドリは当たり前だという風に言ってのけます。キツネのお姉さんだって完璧じゃないのに、と思いながら、「確かにそうかもしれないねぇ、うんうん」と、適当に返事をしながら、今晩の夕食は何にしようかと視線を上にあげます。
冬に近づき、太陽が夕日へと変わるのが早くなってきたこの頃。日は既に傾き、西日が森全体を照らしています。葉は燃えるように赤く染まり、風に揺れる度に光を反射させます。
「日が暮れるのが随分と早くなったものだね、もう西日が差しているよ」
「いいか、ヘビくん。気になっている異性を落とすのなら、今のようにロマンチックな雰囲気の中で想いを告げた方が成功率が高くなるんだ」
自慢げに言い出したコマドリにヘビは、またかと思いながら顔を向けます。もう何度目か分からない、コマドリの恋愛話が始まろうとしているのです。
「それ、前にも言っていなかったかい?」
「ああ、言った。でも、ヘビくんは食べることにしか興味がないから、どうせすぐに忘れてしまうだろ」
「オラ覚えていたじゃないか」
「偶然だろう? 何か聞いたことある話だなと思ったから、そう言っただけ。そうしたら当たったのさ。違うかい?」
ヘビはうーんと首をかしげ、「それもそうかもしれないね」と微笑みました。運んでくれた恩もある、あまり口答えはしないでおこうと考えたのです。
「コマドリくん、クマくんが隠れそうな場所に心当たりはないのかい? もう日が暮れるし、早めに見つけて一緒にご飯でもどうだい」
「ほら、そうやって君はすぐに話を逸らす。君と食事をするなら、僕はお姉さんをディナーに誘うよ」
「じゃあ、コマドリくんは今晩一人だね。キツネのお姉さんは家族と外食をすると言っていたからさ」
ヘビは満面の笑みでコマドリにそう言いました。運んでくれた恩に感謝しているのか、仇で返そうとしているのか、コマドリには分かりません。
ヘビは、根っこ広場のシンボルと言える、太く大きな根っこを持つ樹を見上げます。
「……さてはクマくん、根っこに捕まってしまったんじゃないだろうねぇ?」
その言葉に、クマは大きく反応しました。
いつもは食べることばかり考えているヘビが、こんなに的確にものを言い当てるなんて。勘の良いリスが気付かなかったのであまり期待していなかったクマですが、これには声をあげずにはいられません。
「ヘビさん! コマドリさん! ボクはここだよ!」
声は届かないと分かっていても、クマは声をあげます。ですが、やはり声は届いていないようです。
「……なーんてね。そんなの、噂話に決まっているさ。コマドリくんもそう思うだろう?」
そんな声が、向こうから聞こえてきました。
「噂、か。どうせなら、僕とお姉さんのイケない噂が欲しいものだよ」
「そんなの誰も欲しくないんじゃないのかい」
ヘビの突っ込みを聞いてから、彼らの声は遠退いて行きます。
クマは再び項垂れました。ボクの声は誰にも届かない、その事実に、彼は瞼を下ろしました。とても、体が冷たく感じます。
そこは、明かりのない、闇に包まれた場所でした。太陽の光も、月の淡い明かりも、何もありません。
その場所で、クマは一人の人物に出会いました。
闇の向こうから、光があるわけでもないのに、その人はからだの線をはっきりと浮き立たせてやって来ました。
――嘘は、違う。
その人物は男性の声で、そう言いました。
――違うは、嘘。
次は、女性の声で。
――自負しすぎるのは良くない。だからといって否定しすぎるのが良いことだとは言えない。
それは、老婆の声。
「……何が、言いたいの?」
クマがそう問いかけても、返事はありません。
――悲劇を演じても、辛いだけだよ?
子供の声でした。無垢で、穢れたものなんて知らないような、そんな声。
「演じてなんか、ないよ。ボクは寂しがり屋だから、みんなに迷惑を掛けちゃうんだ」
――迷惑だと感じているのは、ボクだけかもしれないよ?
とても、聞き覚えのある声――。
瞼を開けると同時に、鼓膜が音を感じとりました。それは怒鳴っている様子で、突き刺すような声です。
「おい、ビビりグマがぁ! さっさと出てこいやぁ!」
その声に、思わず体がびくりと反応します。すぐに分かります、彼がアライグマであることは。
アライグマは大股で歩きながら、クマがいる樹に近付いてきます。すると彼は、思いもよらない行動に出ました。
「テメェがそこにいることは分かってんだよ! さっさと何とかして、出てこいやぁ!」
――そう、アライグマは、クマがいる樹に向かって言ったのです。
「え、アライグマさん……?」クマは驚きを隠せません。「ボクがここにいること、気付いているの……?」
「気づいていないと話しかけねぇだろ」
当たり前のアライグマの言葉に、クマは目頭を熱くさせました。良かった、これでここから出られる――……。
「ありがとう、アライグマさん。アライグマさんのおかげで、ここから出られるよ」
「……何言ってんだ、俺には助けられねぇよ」
アライグマは言いました。
『テメェが根っこに捕まったのは、嘘をついたからだ。どんな嘘をついたのか、そして嘘に対して考えや思いを改めること、それが、そこから出る方法だ』――。
「俺には、テメェがどんな嘘をついたのか、そんなの分かるわけ無ぇ。だから、俺が直接手を貸すことはできない。ま、精々頑張れよ」
それだけ言うと、アライグマは根っこ広場から立ち去ろうとしました。ちょっと待ってよ、とクマは慌ててアライグマを呼び止めます。アライグマは面倒くさそうに振り向きます。
「何だよ」
「い、一緒に考えてくれないの……?」
彼の威圧に怯えながら問います。するとアライグマは大きなため息をつき、あのなぁ、と言ってから続けます。
「これは言わば、試練なんだよ。テメェが吐いた嘘を知り、それを踏まえてこれからどう生きていくかっていうな。それに俺が手を貸したら、意味無ぇだろ」
「でもボク、嘘なんか吐いてないよ。分からないんだ」
「それを考えるんだよ! その頭に脳ミソはあんのかぁ?」
アライグマは再び背中を向けると、根っこ広場から去ってしまいました。クマがいくら問いかけても、もう返事はありません。まるで、声が届いていないようで――。
(どうしてアライグマさんは、そんなことを知っているのかな……)
そんなことを思いながら、クマはアライグマに言われた通り、自分が吐いた嘘について考えることにしました。
(ここへ来たボクは、一体何を言っただろう……?)
クマは自分の言葉を思い出します。そういえば、嘘なんてついていないと言いながら、自分の言葉を振り返ることはしていませんでした。
根と根の間に隠れようにも、そんな隙間ない……。
どうしよう……。
リスさんがもしかしたらここに来るかもしれないって思ったからここに来たけれど、本当にここに来る保証なんてない……。
ボク、一人だ、どうしよう。
同じ言葉が、ぐるぐると頭の中を巡ります。ですが、クマはどれが嘘なのか、嘘となってしまっているのか、よく分かりません。
――そう言えば。
と、クマはある言葉を思い出しました。それは、まだここへ来たところを見ていないキツネの言葉だったように思います。
『キツネさんが隠れるところは見つかっても、ボクの隠れるところは見つからないかもしれない。そうしたら、ボク、一人になっちゃう』
これは、キツネと一緒に隠れられる場所を探しているとき、クマが言った言葉です。相変わらず寂しがり屋で一人が好きじゃないクマは、そんな心配をしていました。するとキツネは優しく微笑んで言いました。
『大丈夫よ。二人一緒に隠れられる場所を探しましょう。それに、クマさんは一人じゃないわ』
その時は、ただクマを寂しがらせないために言ったのだと思っていました。けれど今になって、そうじゃなかったのではと思い始めます。
(ボク、キツネさんに一人じゃないって言ってもらえたのに、また一人だって思っちゃっていたんだ。あのときは嬉しかったけれど、キツネさんが鬼の今じゃその言葉で安心はできないや……)
ふと、クマはあることを思いつきました。もしかしたら、根っこは、一人じゃないのに一人だと言ったことを、嘘だと認識しているのではないだろうかと。
「ボクは一人じゃない、でも、今ボクは一人じゃないか……」
……でも、みんな探してくれているじゃろう。
どこからか声が聞こえてきました。それは、脳内に直接送り込まれています。
「誰!」
……今、君は一人だ。でも、みんな君を懸命に探しておるじゃろ。
「でもそれは、かくれんぼだから」
……日が暮れないと、分からないのか。
「どういうこと?」
……暗くなっても君が出て来ず、森中のみんなで君を探しださないと、分からないのか。
「……え?」
クマは首をかしげます。すると突然、辺り一体が白に包まれました。眩しすぎる光を全身に受け、クマは目を強く瞑ります。それでも、瞼を通り越してつんざくような光が瞳を刺激します。
多少光が和らぎ、クマはゆっくりと瞼を開けました。
そこには、一人の男性のように見える人物が立っていました。彼は白い服で身を包み、クマを見つめています。近くにいるはずなのに、その表情を読み取ることはできません。
「君は、一人じゃない。でも、どうやら一人の気持ちが分かるようだ。それを生かすべきだ」
「生かす……でも、一体どうやって」
「それを考えるのは君だ。君には、それができるはずだ」
彼はそれだけ告げると、徐々にクマから離れていきます。
「待って! 貴方は誰なの……!」
クマの言葉に返事することはありません。
光はより一層強くなり、クマは再び強く目を閉じます。
今日も森のみんなで、かくれんぼをすることになった動物たち。新しく仲間に加わったウサギも含めてのかくれんぼです。
「この森に来てまだ短いから、どこに何があるか分からへんのよなぁ」
そう呟くウサギの元へ、クマが寄ってきます。
「ウサギさん、良かったらボクと一緒に隠れない?」
「そうしてもらえると助かるわぁ」
「いいんだよ。ボク、一人じゃ心細いからね」
クマは今でも寂しがり屋です。
でも、心優しいクマでも、ありましたとさ。