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「レニ、レニ! どうしたんだ、その有様は」


 肩を揺すられて、目が覚める。


「師匠、大丈夫なんですか!」


 レニはがばっと身を起こす。昨日の様子が嘘みたいに、ルシアンは落ち着きを取り戻していた。まだ軽い咳をしているが、危険な事態は脱したみたいだ。


「良かった。良かったーっ」


 安心のあまり泣きだしたレニを、ルシアンは戸惑いを込めて見ている。


「薬を飲ませてくれたみたいだな。ありがとう。だがお前、これはいったい……。手が傷だらけではないか」

「町に行って、お薬を買ってきました」

「何? しかしお前、飛行の魔法は教えていないのに」


 どういうふうに崖を登ったかを教えると、ルシアンは信じられないと眉をひそめた。


「何故だ」

「え?」

「どうしてそのまま立ち去らなかった。私は弱っていた。金を盗んで逃げたとしても追えなかったのに。飛べないのを良いことに、お前をここに引きとめているような卑怯な私を、どうして助ける?」


 黒曜石のような鋭い目が、レニをまっすぐに見つめる。

 真剣に問うルシアンに、レニはぽかんと口を開く。


「それ……本気で訊いてます?」

「ああ」

「分からないんですか?」

「……まったく」


 その返事に、レニは呆れてしまった。

 ルシアンは感情表現が下手だとは思っていたが、こんなところも不器用だとは。

 ――ああ、やっぱり愛おしい。

 なんて可愛い人だろう。ルシアンは寂しがりなのに、理由がなければレニを傍に置いておけないのだ。そして、いつかレニが傍から去るのだと思っている。

 レニは両手を伸ばし、ルシアンの右手をやんわりと包んだ。


「好きだからです」

「好き……?」

「私は、ルシアンが好きです」


 豆鉄砲でもくらったみたいに、ルシアンが面食らう。その頬が、熱だけではない赤に染まった。


「だが、私はヘビだぞ?」

「そんなことを言ったら、私はカラスですよ」

「しかしな……」


 ルシアンの戸惑いは深いようだ。

 ――ヘビだから。

 それだけで、ルシアンは誰からも嫌われると思い込んでいる。種族がどうしたというんだろう。そんなこと、ルシアン自身を知れば、些末なことなのに。


「寂しがりで、優しいルシアンが好きです。私、カラスですけど、お傍にいてもいいですか?」


 レニが問いかけると、ルシアンの表情が歪む。泣き出す直前のような顔をして、レニの腕を引っ張った。


「ぶっ」


 ルシアンの胸に飛び込む形になり、レニは顔をぶつける。


「……寂しがりは余計だ」


 ルシアンは悪態を返したが、レニを強く抱きしめた。


「物好きめ。……傍にいてくれ」


 レニは笑いをこぼす。

 こわれたことが、とてもうれしい。


「はい……! ありがとうございます」

「それはこちらの台詞だ。まったく」


 ああ、うれしい。

 うれしくて、頭に血が昇って。なんだかふらふらする。


「……ん? レニ、おい、レニ!」


 焦った声で、ルシアンがレニを呼ぶ。

 雨の中、崖登りをした無茶のせいで、レニは寝込んだ。




「ごめんなさい、ルシアン。そちらも体調が悪いのに……」

「私はもう治ったから、気に病むな」


 三日も寝込み、トイレ以外ではベッドから出られないでいるレニを、ルシアンが看病してくれて申し訳なくて涙が出てくる。

 ぐすんと鼻をすするレニの頭を、ルシアンが優しく撫でる。


「私のせいで無茶をしたのだから、私が世話をするのは道理だろう」

「あなたの役に立ちたいのに」

「そんなものは求めん。傍にいてくれるだけでいい」


 レニの目からほろほろと涙が落ちて、ルシアンは目を丸くした。


「どうした、何故泣くのだ」

「……うれしくて」


 そう呟くと、ルシアンはふっと微笑んだ。目を細める仕草。レニはこの顔が大好きだ。

 ルシアンは軟膏を手に取ると、レニの傷だらけの指に塗る。


「まったく。お前が回復したら、飛行魔法を教えよう」

「いいんですか……?」

「私に何かあるたびに、こんな無茶をされては、私の心臓がいくつあっても足りぬからな」


 ルシアンの悪態が、レニの心を震わせる。

 飛ぶ手段を奪わなくても、レニがどこかに行くことはないと信用してくれた。


「おい、どうして泣くんだ」

「ルシアン、大好きです」


 レニが思いのままに呟くと、ルシアンは息を飲み、そろりと目をそらす。


「静かに寝ていないと、食ってしまうぞ!」


 照れているだけなのは、耳まで赤くなった顔を見ればひと目で分かる。レニの生ぬるい眼差しに気付いたのか、ルシアンはたらいを手に立ち上がった。


「水をかえてくる」

「ふふ」


 ついさっき、新しい水を持ってきたばかりなのに。 

 ルシアンの誤魔化しかたが面白くて、レニは笑みを零した。




 それからレニは更に二日寝ていたが、三日目にしてようやくベッドを出られた。

 朝はゆっくり起きて台所仕事を再開すると、物音を聞きつけたルシアンが小部屋から顔を出す。


「無理はしなくていい。後で、町で何か惣菜(そうざい)やパンを買ってくるからな」

「はい。では、スープだけ。温かいものを食べたくて」

「食べたいならしかたがないな」


 ちょっと不服そうにしたが、ルシアンは頷いた。

 レニの体調が落ち着いてから、ルシアンは小部屋にこもりがちだった。なんでも仕事の納期に間に合わせないといけないらしい。

 物に魔法の模様を刻み込み、守りや癒しの効果を持たせる。そんな道具を作るのが、ルシアンの得意なことらしい。たまに複雑な魔法の仕掛けが施された呪物(じゅぶつ)を持ち帰り、解呪に打ち込んでいることもある。

 魔法使いにも色々いて、魔法を攻撃や防御の手段として戦いに使う者もいれば、ルシアンのように道具を扱う者もいる。悪い魔法使いは呪物をばらまくが、ルシアンは人を守るような物しか作らないそうだ。だが、手段として呪物の作り方も知っているので、それを解くこともできる。

 ヘビ族が嫌われているのは、呪術に精通しているからだという。だからルシアンはあまり呪物に関わりたくないらしいが、解呪は報酬が高いので、生活資金のために引き受けているらしい。よく領主に依頼されるそうだ。

 ルシアンは木箱に呪物を放り込みながら、ぶつぶつと文句を言う。


「まったく、アドルは恨みを買いすぎだ。レニ、これはな、奥方が流産するようにというのろいの品だ」


 アドルとは、峡谷の向こうにある町を含んだ一帯を統べている領主のことだ。ルシアンの師が領主家で世話になっていたつながりで、ルシアンは今の領主と友人関係にある。奥方とは、領主夫人のことだ。


「ええっ、大丈夫なんですか?」

「対象から遠く引き離したから、効果はほとんどない。だが、気味が悪いから、解除しておいたほうがいいだろう? 面倒な仕事だった。意味の無い言葉を織り交ぜて、解除しにくいように本質を隠している。そんなものに、私の目はごまかされぬがな」


 至極当然と呟くルシアンに、レニは拍手を送る。


「師匠、すごいです!」

「……まあな」


 眉を寄せて呟くわりに、満更でもないのは分かっている。こういうところが可愛いと思うのだ。


「少し出かけてくるが、大丈夫か?」


 レニの様子を慎重に観察しながら、ルシアンは問う。


「はい」

「滋養に良いものでも買ってこよう。卵や鳥肉が良いだろうな。それから薬に、蜂蜜も欲しいところだな」

「蜂蜜だなんて、高価ですから」

「病み上がりの者に食べさせるくらいの蓄えはある。心配するな」


 ルシアンは気軽に返して、部屋を見回す。


「お前の調子が良くなったら、部屋を増やすかな。私はあまり(まぶ)しい光が好きではないが、お前はもう少し光を浴びたほうがいい。窓のある部屋がいいな」

「私の部屋を作ってくれるんですか?」

「ああ。大地の魔法を使えば、造作もない。少し時間はかかるがな。ここは元々、少しくぼんだ洞窟だったのを、私が改造したんだ。誰も――獣も近づけなくて静かで防犯にも良く、川が増水しても届かぬ高さであるし、家賃もとられない」


 にやりとルシアンは笑みを浮かべた。

 打算的なことをわざわざ言うのは、照れによるのだろうか。ルシアンは悪態をつくことで、良いことをしようとする気恥ずかしさを誤魔化そうとするところがある。


「でも、私、ここも居心地は良いですよ。私は色素欠乏のせいで、強い光は視力を弱める原因になるので……」

「分かった。窓にカーテンはとりつけよう。日射しが弱い日は、窓辺にいればいい。私と違って、カラスは昼の種族だろう。太陽を浴びないのも良くない」

「ありがとうございます」


 レニはお礼を言った。本当にずっと傍に置いてくれるのだと、ルシアンの態度で分かったからだ。


「それでは行ってくる」

「はい。ルシアン、気を付けて」


 露台まで見送ってから、レニはスープ作りを再開した。


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