其の6話目
ひたすらに真っ白な空間に、ぼとりぼとりと上から降ってくる黒い何か。
白と黒のコントラストが綺麗だ。まるで希望を塗りつぶす、絶望のようで。
「あ、ここは地獄ですか。やだなー、間違えて入っちゃったよー。じゃあ、失礼して」
そう言って、今入ってきた扉から出ようとしたが、すでに跡形もなく消え去っていた。
「…………」
「――ちょっと、ルトさんや! いつまで襟掴んでんのさぁ! 早く! 早く離してぇ!」
ぎゃあぎゃあ煩ぇなとクレードを見下ろせば、その足の先まで黒い何かが広がっていた。
なにこれ、まじで絶望的なんですけど。
とりあえずクレードの言う通り手を離してあげて、黒いぶよぶよの澱みから距離をおくことにした。
「これ、どうすんの?」
「そりゃあ、術者? 倒すしかないでしょー」
この白い空間がどこまで広いのか分からないが、空間である以上、どこかで壁に当たるだろう。もし、この黒いやつが部屋全体覆いつくし、炎がついたら……。
死にたくないし、この空間を突破するしか最深部に行くには、やはり――――あの白い大蛇と対峙するしかないようだ。
黒い炎の向こう側、この空間の白色に同化しつつも、それを擬態として姿をカモフラージュする気もなく、ただじっと、紫水晶の瞳がこちらを見据えている。それはまるで、この炎に巻かれて弱っていく俺たちを眺め、良い焼け具合になったら食べてやろうと思っているようだ。
「………クレードは、あと何発くらい魔法使えんの」
「あの蛇の魔法を防ぐにしても、倒すために戦うにしても、大技使わないとどうしようもないからねぇ。……大技だけなら3発が限度かなぁ」
大技で、3発、か。
最初に大蛇と邂逅したとき、クレードの魔法はことごとく敗れてる。それ以上のランクの魔法で、ようやく対等に戦えるくらいか。それも、たった3発しか使えない。
「つーか、オレ、いまだにルトのやった、魔法? がよく分かんないけどぉ、それは今回使えないわけぇ」
「んー、」考える。クレードの言ってる魔法というのは、エナの力でもある物質変換魔法のことだろう。それを利用した、変身能力と、クレードの魔法を変換した能力。確かに、変換能力を使えば、クレードの魔法自体を強化することは出来るが。
「あのとき蛇の魔法を防いだ能力なら、クレードの魔法を強化は出来る。……ただ、二つ、この能力にはリスクがあるんだよ」
普通の魔法とは異なる俺の魔法は、正直使い勝手が悪い。そう言って、右手の人差し指を立てる。
「一つ目、魔法の属性を打ち消す」
今度は中指を立てる。
「二つ目、術者の支配権の消滅」
これで分かったか、と視線を向けるも、おバカなクレードは首を傾げて「つまり、どういうこと?」と抜かしやがった。おかしいな、偏差値の高い、魔法養成學校の学生のはずなんだが。
「俺も魔法のことは詳しくないけど、ある人から説明された話だと、魔法の属性がなくなるということは、それによる有利性がなくなるということ。そんで、支配権がなくなるということは、追跡系の魔法なら制御を失ったり、タイミングが悪いと魔法が変な方向に放たれるということ、らしいよ」
あの通路の出入り口での壁強化は、それこそタイミングも場所的にも最適だった。
ちなみに、ある人とはリアシェテのことである。
「聞けば聞くほど、聞いたこともない魔法だよなぁ。………でも、属性、有利性、支配権、タイミング………。なんか引っかかるなー。こういう戦術みたいなのは、いつもキートが考えてくれてたからなぁ」
クレードがうんうん唸る間にも、黒い澱みも、黒い炎も、どんどん広がっていく。つーか、これだと大蛇に近づくのも大変そうだ。……この炎、ちょっと触るだけでも熱いのかな。
恐る恐る炎に指を近づけ――――あれ? と気付く。それからふと、クレードを見る。いまだになんか考えているその額や首筋には、うっすらテカる汗が。
だけど、それがおかしい。だって俺はこの空間を「暑い」とは感じてない。しかも炎に触れた指も、熱さを一切感じていない。
そこで俺は、ようやくこの炎が、普通のものではないことに気付く。
大蛇が使っているのは、ただの炎系の魔法じゃない!
「く、クレード! お前、なんか今自分の体に異常とか、ない?」
「え?……んー、暑いくらい?」顔の前をうちわ替わりに手で仰ぐクレードは、不意によろめいた。
「あれ」
「お、おいっ、大丈夫かよ!」
そのまま倒れることはないにせよ、クレードは普通に立っていることすら辛そうだ。
「……ルト。今、気付いた。オレ、魔力が減ってる、かもぉ?」
そ、そういうことか!
「クレード、聞け。この黒い炎は、たぶん魔力を奪う能力がある。現に、俺がこの炎を触っても何も感じなかったんだよ!」
魔力無しの俺に、奪える魔力はないから。
「あの蛇、そーとー腹黒いぜ。炎に囲まれた俺たちの魔力がなくなって動けなくなるのを、あそこでジッと待ってんだ……………」
だからこそ、黒い炎の魔法だけ使って、動こうとしない。
「なるほどねぇ。……時間が経つほど、こっちが不利になるのかぁ。ただでさえ絶体絶命の状況なのに、更に追い込むあたり、確かに鬼畜の極みだよぉ」
だとするならば、早く決着をつけなければいけない。
でも、どうやって…………?
あの蛇は、今のところ、この黒い炎の魔法しか使ってないけど、もし別の魔法が使えたら? それも、魔力を奪うもので、クレードの魔力が尽きたら? 俺の魔法はあくまで補助系のようなものだ。クレードが動けなくなれば、大蛇の餌になるしかなくなる。
「――――――あ、」
不意に、思った。………逆、ならどうなんだろう、と。
俺は黒い炎に手を突っ込み、それに驚くクレードと大蛇を無視して言い放つ。
《エナ、力を貸して。―――我、汝と約束を結ぶ者。
黒い炎よ、我らが通れる道となれ!》
その瞬間、俺を中心にして炎が揺らめき、そして消えていく。大蛇が愕然としているのが見えた。へっ、ざまあみろ!
「そうかぁ、逆かぁ……オレが引っかかってたのは、それかぁ!」謎が解けて喜ぶ子供のようにはしゃぐクレード。こいつ、俺がリスクを言ったときに引っかかるって呟いてたもんな。もしかすると、頭は弱いけど、勘が良いのかもしれない。
そう、俺がやったのは、俺があのとき説明したリスクを、丸々相手の魔法に使っただけだ。魔法の属性である、魔力を奪う効果を打ち消し、再び炎が出ないよう黒い澱み自体を『道』に物質変換して、誰のモノでもない、ただの『黒い道』が出来た。
「よし、クレード! こっからが俺たちの逆転劇だぁぁあああああ!」
自分の能力を生かして、相手の魔法を無力化した俺は意気揚々と言い放ち、
《我、契約に基づき水の使者ネルヅの力を行使する。
氷の牙よ、完膚なきまでその存在を破壊し、塵芥すら残さず凍てつく息吹で消滅するがいい―――――連撃・氷牙滅烈波‼‼》
床に両手を押し付けるようにして、クレードが氷の魔法を放つ!
それはクレードの手元から、床から伸びた氷の槍のような牙が生え、ガガガガガガガガッ‼‼ と騒音を奏でながら一直線に大蛇の方まで牙の山脈が築き上げられる。当然、蛇は避けようと長い図体を器用に動かして移動する。しかし、なんとこの魔法、追跡魔法だった! 移動した蛇へ向けて、まっすぐ伸びていた山脈が、弧を描くようにカーブし、蛇を追いかける!
「す、すげぇ!」と感心しつつも、もちろん俺だって、ただ観戦してるだけじゃない。
山脈から伸びる、俺でも折れそうな細い氷の牙を数本頂戴し、物質変換魔法をかける。氷の牙は形を変え、ボウガンと、数本の矢になった。
それを走り回りながら、蛇の目を狙って打ちまくる。
《煩わしい……!》
相変わらず、謎の言語を使う蛇だが、今のは態度見れば分かる。うざったそうだ!
「アハハハハハッ! どうだどうだ蛇畜生! 今度はテメェが狩られる番だぞ!」
形勢逆転。高笑いが止まらぬ! フハハハハハハッ!
《………。良かろう、本気で相手しよう》
またなんか蛇が言った。負け犬の遠吠えかな。ぷふふー。
「ちょ、ルト、なんか嫌な予感すんだけどぉ! 挑発とか止めてくれるぅ!?」
「気が小せぇな、クレード! 怒りは己の思考力を奪う、いわば戦術の一つなのだよ!」
「それって相手によるんじゃないのぉ!? つーか、これってフラグになってんじゃないのぉ!? 大丈夫!?」
「気が小せぇ上に心配症だな、クレード。もっと自信持てよ! 俺たちはあの蛇より強い! 俺たちのコンビはマジで最高だぜヒャッハーッ!」
「ルトさーん!? 最初に会ったときも言ったけど、本当に言動が三下っぽいんだけどぉ!? めちゃくちゃフラグ立ってるんだけどぉ!?」
俺たちが蛇そっちのけで、そんなコントをしてた頃。逃げることを止めた蛇に、氷の牙山脈が襲い掛かる!
ガガガガガッ‼‼
衝撃と、そして沸き立つ白い煙。これは冷気か、離れたとこにいるこっちまで寒い。
でも、これだけの大技まともにくらったんだ。死んでなくとも、致命傷は避けられないはず。
《―――――我が【略奪】の力をもって、その魔法、返してやろう》
「―――っ!《堅牢な檻、隔ての壁よ―――隔絶氷壁‼‼》」
何が起きたのか、正直、状況を理解するのに時間がかかった。
蛇は死んでなかった。ほぼ無傷と言っても良い。氷の牙山脈の、尖った部分を上手く避けながら、平然と、悠然と移動し、ゆっくりとこちらに向かってきていた。だけど、俺は腰が抜けて動けなかった。
視線だけ動かす。俺の目の前には、クレードがとっさに発動させた氷の壁。ただし、こちらも無傷だ。そして視線を横に、かなり離れたところで転がる血まみれのクレードを見て、何かがこみ上げてきそうになって口元を抑えた。
なんだ。なんだ、これ。
どうしてこうなった。
そうだ、蛇に直撃したと思ったクレードの魔法が、何故か俺目掛けてやってきて。そんで異変にいち早く気付いたクレードが、俺を守るために壁をつくってくれた。でも、氷の牙山脈は、壁に当たる寸前で向きを変えて、発動したはずの本人に戻っていったんだ。
さすがに、クレードもそれには反応できなくて、直撃した。
「な、なんで……」言いながら、気付いた。あの蛇が使っていた黒い炎の能力は、魔力を奪うものだった。もし、この蛇の魔法が、俺の、エナの物質変換魔法と同質のものであるならば。この蛇の、本質的な能力は、『奪う』ものだったんじゃないのか。
「俺の、せいで」
クレードが。
死んだかもしれない。
俺のせいで。
「っ、くそ! くそ! くそ‼」
俺がクレードの言う通り、良い気になって挑発しなければ。
俺が油断なんかせず、もっと蛇の様子をうかがっていれば。
俺がはやく、蛇の本当の能力に気付いていれば。
後悔しても後悔しても、時は戻らない。
どんなに考えても思っても、結論は変わらない。
「くそがぁぁあああああああああああああああああああああああっ‼‼‼」
クレードが残した氷の壁に触れる。
《エナ、力を貸してくれ! あいつを倒すために!》
壁は光をまとい、やがて長くて細い棒になった。
《人間、お主……》
紫水晶の瞳が細くなった。また攻撃する気か。その前にこの棒で撲殺してやる!