其の5話目
《周囲を凍て尽くせ、―――絶対氷土‼‼》
ふわふわと白い雪のようなものが舞い、それが床や魔物に触れた瞬間、一気に氷漬けになる。
うわー、10体くらいいた魔物たちが、みんな固まってるー、すごー。
本棚の裏から様子を窺っていた俺は、クレードのあまりにも凄すぎる魔法に、最初の方は「すげーすげー!」と興奮したものだが、正直今はそれほど喜べない。
ハァハァ、と荒い息をあげながら、首筋を伝う汗を拭い払うクレード。
ここにくるまで、これでも戦闘は避けてきたつもりだったけど、いかんせん魔物の数が多すぎる。
「……先に魔物をどうにかするしかない、か」
最深部を目指すにしても、魔物は邪魔だ。クレードから離れて、また雷牙帝にでも出くわしたら確実に死ぬ自信あるし。それに、こうも魔物が多いってことは、召喚魔法を使っている可能性が強い。術者をなんとかすれば、もっとスムーズに奥へ進める。
―――とは言っても、そんな簡単に術者に会えることなんて………。
「ロトさん、大丈夫っすかぁ?」
ようやく息を整えたであろうクレードが、俺の安否を気にして振り返る。
そのとき、何故か俺は隠れてた場所から出ると、唐突に走り出し、クレードにタックルをかました。
《見境なき破滅の炎よ。
血よりも深い死を匂わせる黒き絶望よ。
我が【略奪】の力をもって、彼らに降り注げ――――平等なる制裁》
ぼとり、
ぼとり、
―――――――と。
天井から、黒く澱んだぶよぶよの何かが、床にたくさん落ちてきて染みをつくる。粘度のある泥のようなソレは、ねっとりと床を覆うように広がり、クレードが凍てつかせた床や魔物すらも真っ黒にしていく。
「痛っ………な、なんだぁ?」
ロトと一緒に床を転がり、慌てて本棚の上に二人して退避したクレードは、その光景を見て絶句した。
燃えていた。
黒い染みは床全面に広がると、唐突に黒い炎を立ち昇らせたのだ。
「ク、クレード! クレード! あ、あああああれ!」
もうロトとしてのキャラ設定など忘れて、ルトは震える指を向けた。
二人と同じように、本棚の上にいる影は、足元の黒い炎とは対極の――――白。太く長いそれは、艶めかしく本棚に絡みつき、やけに赤い舌がちろりと口元を舐めずる。瞳孔のない瞳は、純度の高い紫水晶のようで、黒い炎の向かい側にいるルトとクレードを見ていた。
「…………」
そのとき、ルトもクレードも、なんの合図も指示もなく、同時に立ち上がった。きっと二人の脳みそは、そのときばかりは同じ答えを導いたらしかった。
――――あんなの勝てるわけねぇよ。逃げよう。
唐突に走り出し、本棚から本棚へ移り跳ぶ二人は、どこまでも息が合った。逃げる方向も、逃げる速度も、そして、
「ちょっ、クレード! なんでテメェまで逃げてんだよ! さっきみたいに戦えよ! 一般市民である俺を守って、あの魔物(?)と戦えよ!」
「冗談きつくないっすかぁ、司書さん! つーか、あんた魔力無しでしょ? 能ナシでしょ? こういうときに活躍しないと、生まれ変わっても魔力与えられないんじゃなぁい⁈」
不毛なクズ発言の応酬すらも。
「お、おまっ! 能ナシとか! 言って良いことと悪いことあるんだよ!?」
「事実でしょー! さっきまで守りながら戦ったせいで、こっちは魔力が底尽きかけてんのー!」
「傷ついたー、俺はとっても傷ついたー」
「うっぜぇな、この人ぉ! 助けなきゃ良かったぁ‼」
《見境なき破滅の炎よ――――――――、》
「「ぎゃぁぁああああああああああああああああああああああっ‼‼⁇」」
また、さっきと同じ、呪文らしき意味分からん言葉が聞こえ、ルトとクレードは叫びながら足を速めた。そのとき、不意にクレードは本棚と本棚の間で視界の揺らぎを見つけ、とっさにルトの襟首を掴むとそこへ放り投げ、それから使役精霊と接続しながら自分もそこへ向かう。
《堅牢な檻、隔ての壁よ―――隔絶氷壁‼‼》
揺らぎの先へ飛び込み、瞬時に魔法を発動。何もない床から分厚い氷が立ち塞がり、通路の出入り口に氷の壁を作る。
―――だが、
「っ!」
氷の壁に、いくつもの黒い斑点が現れたと思うと、それはじわじわ広がり、黒い炎が溶かしてゆく。残り少ない魔力で、なるべく強固な障壁魔法を使ったにも関わらず、謎の魔法で呆気なく崩されていく。その様に、クレードは恐怖した。
何それ、無理だよ。駄目だ、逃げ切れる気がしない。ここで、死ぬ。
絶望が、心を侵していくのを感じる。
不意に、尻餅ついて、ぼんやりと己の魔法が消えていくのを見守っていたクレードの横を、変身が解けて、元の姿に戻ったルトが通り過ぎる。そして、ルトはクレードの、黒い炎に溶かされている氷の壁に、右手で触れた。
《エナ、力を貸して。―――ありとあらゆる全てを隔絶する壁になれ!》
氷の壁に、光が灯る。
それは黒い炎すら呑み込み、抑えつけ、小さくしていき、溶けてしまったはずの氷の部分を修復していく。
まるで、ルトの命令に従うかのように。
「……お前、黒死蝶、だったの」
ぽかんと口を開けて呆然とするクレードに、ルトは振り向いて「いんや」と否定した。
「俺は黒死蝶ってやつじゃねーよ。……あるときは小動物や虫になって人目を欺き、あるときは国立図書館の司書になりすます。その正体は――――魔力無しの能ナシ、ルト・フェルディラ様だぞ、こら!」
キャラがぶれぶれの上に、ネタ明かししつつ能ナシ発言を根に持ってるアピールの、斬新な自己紹介だった。
「…………」
「…………………」
これにはさすがに、クレードもどう返していいか分からず、ルト自身も言って後悔しながら、謎の沈黙の間があった。
ガァンッ! ガァンッ!
そのとき、壁になにかが立て続けにぶつかる音を聞き、二人は同時に肩を跳ねさせた。
「と、とりあえず、奥行かね?」
「そ、そうだねぇ!」
まだ完全に恐怖の対象から逃れきれていないことを思い出し、そそくさと踵を返して、通路の奥へ進む。
通路はほぼ一本道で、緩やかな下り道になっていた。幅も、ルトとクレードが並んで歩くのにやっとというくらいには、狭い。そして窓も電気がないのに、何らかの魔法が使われているのか明るかった。
「なぁ、ルト・フェルディラって言ったよねぇ。もしかしなくても、フェルディラ家の人間ってことだよねぇ?」
「うん、今は違うけどね。……ちょっと家の話は込み入ってるんで、世間話するなら別の話題にしてくれませんかね」
「あれ、地雷だった感じぃ? まぁ、あの曰く付き貴族の生まれで、魔力無しじゃあねぇ………」
「おいこら、喧嘩売ってんのか? ん?」
「というか、どこまで続いてるんだろうねぇ、これ」
青筋立ててメンチ切ってるルトを無視して、クレードは遠い目をして、終わりの見えない通路の先を見据える。
本棚が並んでた閲覧室から、視界の揺らぎで気付いた、幻術魔法で隠されていたこの通路。明らかに閲覧室と雰囲気違うし、とてつもなく嫌な予感しかしない。
ただし、ルトはこの先がもしかして最深部ではないかと疑っており、クレードとは反対に進む足が軽やかだった。
「むふふっ、クレードくんは怖がりですなぁ」
「……。そぉいえばルトくん、てめぇはなんで、この国立図書館にいるんだろう? 今日は図書館自体危険だから閉鎖したはずなんだけどなぁ」
「あ、そういや、クレードくんって反生徒会? に所属してるんだっけ。それって、生徒会と対立してるから、そういう名前なの? 治安悪い学校なんだね」
「細かい仕事内容は言えないけど、生徒会とは対立してないよぉ。むしろ協力関係? そのおかげか、今期の三大会長のおかげか、逆に昔よりはだいぶ治安は良くなったよぉ。……まぁ、君のことはあとで軍に引き渡すことにするからぁー」
「ぬぐっ」話反らして、俺が侵入者だってことを忘れてもらおう作戦が、秒殺で終わった。
というか聞きなれない単語があったな。三大会長? なんだそれ。
気になったら聞かずにはいられない性分の俺が口を開くのと、唐突に目と鼻の先に、金ぴかの趣味の悪い扉が出現したのは、同時だった。
「え、」
「お、」
そして、当然そんな1センチも間隔なく扉が出現したら、鼻の頭からぶつかるしかなかった。
「~~~~~~~~っ!」
二人して激痛の走る鼻を抑えつつ、睨むように扉を見やる。
うん、金ぴかだ。眩しいくらい、金ぴかだ。全然、この場の雰囲気に似つかわしくないくらい金ぴかだ。
「……よし、ルトさがってくれるぅ? このチカチカ目に刺さる邪魔な扉、ぶっ壊すから」
「目に毒々しい蛍光ピンク頭のクレードに言わせるとは、すんげぇ扉だな。いいぜ、やっちまいな!」
ルトが後ろへ下がり、クレードが魔法を使おうと口を開いたとき、「ぶんがぁっ!」唐突に金ぴかの扉が外側に開き、クレードに直撃。
「クレードォォォオオオオオッ!?」
扉が思いっきり開いたもんだから、再びクレードの顔面に当たり、更に倒れたときに後頭部を打ったのか、頭全体を抱えて悶えている。
なんて憐れなやつなんだ。とりあえず合掌しておこう。
「さて、この扉を迂回することは出来ないし、………入るしかないってことだよな?」
通路に隙間なく出現した、金ぴかの扉。怪しすぎる。十中八九、襲撃者の罠だろう。でも行くしかない。罠があるってことは、通路のこの先に、最深部がある可能性が高くなったのだから。
「行くぞ、クレード! いつまで床に転がってんだよ」
今度はルトがクレードの襟首を掴んで、扉をくぐる。
そうして、再び。
《見境なき破滅の炎よ。
血よりも深い死を匂わせる黒き絶望よ。
我が【略奪】の力をもって、彼らに降り注げ――――平等なる制裁》
絶望と対峙することになる。