其の2話目
フォール家の屋敷から国立図書館まで、徒歩でおよそ3時間。
普通の人たちは魔法を使ってひとっ飛び出来るけど、俺にはそれが出来ない。
だから時間をかけて、こうして地道に行くしかないのだ。
まぁ、歩くのは嫌いじゃない。
舗装された石畳の地面。
そこからひょっこり覗く、一束の草花。
等間隔で並ぶ、街路樹。
個性豊かなレンガの家々。
目を惹く商品をショーウィンドウに閉じ込めたお店。
橙色に染まる空を、どこかに向かって羽ばたく鳥たち。
うむ、今日も世界は美しい。
と、本気で思ってもいないことを思いながら、道の端っこをこそこそと歩く。
え、「なんでこそこそ歩くの?」だって?
いいかい、前話でも口うるさく言ったけど、この世界は魔法が当たり前なんだよ?
魔力の無い人間――ノレスタは、神様から見放された憐れな人っていうのが、普通の人々の共通認識であるのだ。
そんな俺が、堂々と道の真ん中歩くとね、すんげぇ目立つの!
そんでもって憐れまれたり、神様に祈られたりするんだよ………。
俺、無信仰だから神様とか信じてないけど、目の前でそんなことされてみ?
けっこうストレス溜まんのよ?
だから、こうして影を歩く。
ひっそりこっそり、人の目に触れないように。
俺は風景。俺は空気。この世界に存在しない人間。
息を殺し、気配を殺し、存在感を殺していた俺は、
「なぁ、ヤヤラ。コイツ、本当にアンタが言ってた人間? こんな弱っちそうなのがぁ?」
「あちこち寝癖のついた黒髪と同色の瞳、左耳たぶの黒子、首に巻いた包帯。―――“黒No.8黒死蝶”と外見的特徴が一致してるもの。間違いない……はずなのだけど」
「“黒”の上位ナンバーの割には、雑魚っぽいな。魔力無しだし」
………唐突に目の前を塞ぐように現れた三人組の少年少女に、よく分からんけど貶されていた。
誰だよ、コイツら。
つーか、なんか人違いされてね? 俺。
「まぁなんでもイイけどさぁ、やってイイ感じ?」
さっきから言ってることが疑問符だらけの、頭弱そうな不良っぽい少年が、人差し指を俺に向ける。
蛍光ピンク色のキマったリーゼントが、目にも心にも痛々しい。
「いいんじゃなーい? 違っても学園長が責任取ってくれるでしょ」
ピンクリーゼント君の言葉に、うねうねとウェーブがかったマロン色の髪を指先で弄りつつ、無責任にも適当に返す少女。
……うむ、元は可愛い顔してるっぽいのに、厚化粧が台無しにしているようだ。
いますぐクレンジングをキボンヌ。
「そうだな。さっさと終わらせて、目的地に向かおう。タレコミにあった時間まで、さほど余裕もない」
冷めた眼差しを向け、蔑んだように俺を見下す、リーゼント少年とは真逆な優等生風の少年。
本を片腕に抱え、下がった眼鏡を中指で押し上げる姿は大人っぽいが、なんだか頭でっかちっぽい。
彼がリーダー格なのか、真ん中に立っている。
三人とも制服を着ており、特に胸に刺繍された“骸骨の死神が、天秤を肩に担ぐ”イラストが不気味だ。
彼らの発言もなかなか嫌な予感するし、ここはさっさと逃げるべきだろう。うん逃げよう、戦略的撤退である。
「クレード、お前一人でも問題ないだろ。1分で片付けろ」
俺が後退るのと同時に、ピンクリーゼントが怠そうに前に出てきた。
「えー、瞬殺っしょ? 1分かかんねーってぇ……………ありゃあ?」
ピンクリーゼントもといクレードがうだうだ言ってる間に、とっとと背中を向けて逃亡する俺。
え、主人公のくせに恰好悪い?
うるせぇ! 死んだらそこで終わりだろうがぁぁぁああああ!
「うわぁ、三下っぽいやつだなぁ。まぁ瞬殺であるのは変わらないけど」
クレードは右手を前に突き出すと、魔力を代償に、契約を基に目には見えぬ精霊と接続する。
《我、契約に基づき水の使者ネルヅの力を行使する》
淡い蒼い光が浮かび上がると、それはクレードの右手に収束し、それは形を成す。
長くて細い、氷柱だ!
おいおいまじかよ、本気かよ、その髪色同様頭イカレてんじゃねーの!?
こんな道の往来で、普通に通行人もいるってのに………あれ、いつの間にかいない?
《――――貫け》
ひゅんっ。
咄嗟に右に転がるように避ければ、衝撃と土煙が近くで舞い、更に転がされる。
目が回りながらもすぐに起き上がれば、氷柱が地面を抉るように突き刺さっていた。
お、おおぉぉぉ…………っ! 俺、生きとる!? 大丈夫!? 足ある!?………あ、あるわ。良かった。
「ぶふっ、避けられてんじゃない!」
「おい、クレード。1分まであと37秒しかないぞ、さっさと終わらせろ」
「外野の方は静かにしててもらえますかぁ?………ちっ、避けてんじゃねーよ」
俺が自分の生存を感動している内に、クレードは右手を上にあげ、《割れろ》と命じていた。
横でバキバキ割れる音が聞こえて振り返れば、なんてことでしょう。
いつの間にか宙に浮き上がった氷柱が割れ、小さくはなったけど無数の氷柱が俺に矛先を向けているではありませんか!
《貫け》
ひゅん、と顔の横を一つの氷柱が通り過ぎた。
……さっきよりも速くありません?
《貫け、貫け、貫け、貫け貫け貫け貫け貫け貫け貫け貫けつらぬけつらぬけつらぬけつらぬけぇぇぇぇぇえええええええええいッ‼》
―――――意固地になっていらっしゃるぅぅぅうううううう‼
ひゅんひゅん飛び回る氷柱を、動物的直感と生存本能による危険回避スキルを駆使し、なんとか避ける。
数が多くなった分、命中率が悪くなったおかげか今のところ掠り傷だけで済んでるけど。
このままだとジリ貧っつーか、体力と集中力のどっちかが切れたら剣山の出来上がりみたいな?
……全然笑えない。
「―――ぬ、を?」
どうやったらこの場から逃げられるか考えていたのがいけなかったのか、転がった体を起こそうとして、服の裾が引っ張られる感覚。
見れば、裾と地面が氷柱で縫い止められていた。
そして、すでに眼前には氷柱たちが向かってきていた。
え、これ死ぬんじゃね?
《ひぃぇえええええっ! こっち来んなぁぁああああああッ‼》
思わず腕で顔の前を覆うが、
「は?」
「え」
「な、」
間抜けな三人の声が聞こえる。…………聞こえる?
恐る恐る腕を降ろすのと、ガガガガガッという音が聞こえたのは同時だった。
「はぇ?」
あ、俺も間抜けな声出しちゃったよ~。じゃなくて!
何故か氷柱が、俺を避けるように、周りの地面に突き刺さっている。
おや、あのピンク頭の少年、さては集中力きらせたな。
「馬鹿か貴様は!」優等生の少年に頭はたかれてるし。
つーか、これチャンスじゃん!
《我、汝との約束を結ぶ者。―――エナ、力を貸して》
声は聞こえずとも、体の奥底から力が沸き上がるのを感じる。
この場から、気付かれずに逃げられるのはこれしかない。
「キート、クレード、大変よ。……黒死蝶がいないわ」
「何?」
「いててっ…………あ?」
厚化粧の少女の声で、ようやく気付いたのか優等生くんとピンクリーゼントが辺りを見回す。
確かにそこに、黒髪の平凡な少年の姿はなかった。
「ぬぁあっ! どこ隠れやがったぁ?」
「……ヤヤラ、分かるか?」
その風貌に見合う柄の悪そうなしかめっ面と、大股開きの歩き方をしながら、クレードが周囲を探索し始めた。
それを横目に、優等生くんことキートが、厚化粧ことヤヤラに問うが、彼女はすぐに首を横に振る。
「相手、魔力無しよ? 私の魔法で探せるモノではないわ」
そうだったな、とキートはずれた眼鏡を押し上げる。
「……とりあえず、それほど害は感じなかった。放っても問題ないだろう」
そしておもむろに懐中時計を取り出すと、時間を確認する。
「3分19秒のロス。さすがにこれ以上はまずいな」
「…………そうね、さっさと行きましょう。と言いたいところだけど、大変よ、キート」
「何だ」
「今度はクレードがいないわ」
「………………………………………………………そうか」
あとでシメよう。絶対シメよう。殺してくれと嘆願してくるほどの御仕置をしてやろう。本音で言えば、殺してやりたいが。
「時間がない。ヤヤラ、二人だけで行くぞ」
「了解よ」
キートとヤヤラが去っていく背中を、つぶらな瞳だけが見送る。
「ちゅー……」
二人の姿が見えなくなって、安堵で腰を抜かす――――1匹のネズミ。こと、俺。ルトです。
俺が契約してる精霊は、物質変換の魔法が使える。
だから俺の姿を、人間からネズミに変えた、ということなのだ。
え?
魔力ないのに、なんで魔法使えるのかって?
いやだな、最初にも言ったけど俺は魔法なんて使えないよ?
これは、エナって言う精霊が、俺の代わりに魔法を使ってくれているだけなのだ。
その証拠に、俺は魔力を代償にしないし、そもそも魔力無いからしたくても出来ないってわけだ。
あとの細かいことは知らん。
俺自身、よく分かんないし。
まぁ、我儘言えばエナさんや。俺はネズミ苦手だから、変身させてくれるなら猫とか犬とかの方が良かったなぁー。