其の1話目
この世界は魔法であふれている。
日常生活に必要な必需品から、家具家電製品、車や飛行機だって、魔力なくしては動かすことは出来ない。
学校だって、保育園幼稚園から魔力制御を教えるのは義務だし、中学生からは実践授業なんかもある。仕事だって魔法は当然のように使われる。
もう一度言おう。
この世界は魔法であふれている。
魔力を対価に、契約した精霊の力を借りて使う魔法。物を動かしたり、足を速くしたり、眠らなくても良くしたり、空だって飛べる。そんな便利な魔法は、人々の生活を豊かにしている。
大事なことだから、もう一度言ってみよう。
――この世界は魔法であふれている。
魔法で起こす奇跡は、時に人の生死すら干渉することも出来るらしい。まぁ、これは都市伝説並みに胡散臭い噂だが、各国の有名な博士がこぞって研究しているテーマらしく、将来的にあり得ない話ではないかもしれない、と誰かが言っていた気がする。
聞けば聞くだけ、この世界は、この世界の人々にとっては、魔法は当たり前で常識で、依存された存在とも言えるだろう。
さて、もうウザイと思われているかもしれないが、しつこく言おう。
――――この世界は魔法であふれている。
四回目だ。もう耳にタコが出来ただろうか。
――――――――――この世界は魔法であふれている。
ああ、もう駄目だね。さすがに怒られる。だけど仕方ない、俺はこれでしつこさに定評があるんだ。諦めの速さも定評があるけれど。ん? 矛盾してる? そうかもしれないけど、人間ってそういうもんでしょ? 少なくとも俺はそういう人間だ。
これだけで俺がどういう人間性か分かってくれると嬉しいな。
「この世界は魔法であふれている」
今度は口で言ってみた。予測していた人もいるだろうし、そうじゃない人もいるだろう。
どうでもいいか、そんなこと。
ここまでしつこく言ったんだ、なにか意味があるんだろう? とか。
もしかしてお前、魔力がなくて魔法が使えない、ラノベ的展開主人公で、そこから魔法を使わずのし上がっていくんだろう? とか。
そんな推測とも邪推ともとれる憶測しながら、この物語を読んでいるだろう読者たちよ。
まぁ、プロローグから世界を救う勇者になるみたいな感じだったしね、そう勘違いしてしまうのもわかるよ。
だけどタイトル、ちゃんと見た? そう、これは俺の物語だ。俺だけの物語だ。君たちの考えは半分正解で半分間違っている。確かに俺は魔力がない、魔法は使えない、だけどのし上がったりはしない。
自分勝手で、迷惑とか考えない自己中心的で、よく怒られる。何度も死にかけて、ぎりぎり死ななくて。ご都合主義で、嫌われ者で。
さて。こんな前置き、そろそろ飽きてきた人もいるだろう。長すぎるよな、分かる分かる。
ここまで付き合ってくれてありがとう。これで前口上は終わり。これで現実逃避は終わり。
「問題なのは、この始まる前に詰んでる状況だよね」
顔が引き攣っているのを自覚しながら、目の前の『絶望』に、いろんな意味で諦めたくなる。
《我その契約において、光の精霊アクセレスを使役する者。―――我がために力を貸せ!》
詠唱を言い終えるのと同時に、全身に淡い光を纏わせた金髪ポニーテール美少女が、殺意を隠すこともなく俺を見据えている。
おぅ、なんだか寒いネ、この部屋。
「……死ね、化け物」
ひゅんっ、と風を切る音がした刹那、自分の体がふっとんだ。
横っ腹を蹴られたのだと気付くよりも先に壁へ激突した俺は、受け身も取れず(というか受け身ってどうやってやるのか知らん)そのまま痛みに悶えながら転がる。
痛い。まじ痛い! くっそ痛い……!
腰やら背中がすさまじく痛くて、涙が出る。
「チッ。やっぱり魔力制御魔具つけたままだと、一撃では仕留め切れない、か」
舌打ちしやがった、この女!
痛みと苛立ちに任せて少女を睨もうとした俺の眼前に、カランッと紫水晶のピアスが二つ、無造作に転がってきた。
おぅ、もしかしなくてもコレって、
「これで本気で殺せる」
―――魔力制御魔具ですよねーっ‼
ピアスと同色の瞳が妖しく揺れ、俺を見下す。
「エ、エレナ………。なぁ、まだ間に合う。話し合いで解決――」
「今度こそ、死ね」
魔力+魔法によって強化した凶器の踵が、振り落とされる。
あ、死んだ。
あ、桃色の紐パンツだ。
と、どうでもいいことを思いながら、頭の中では走馬灯が流れていた。
ちょうどいい。
どうしてこうなったのか、ついでに思い出すことにしよう。
事の発端は、遡ること一週間前のある日。
十字架の形をした細い剣が、リンゴを一突きにしたイラストから始まった。
* * * * *
「おい、ルト。いつまでアタシの脛かじって引きこもってるつもりだあ゛あん?」
ヤクザの言いがかりのような言い方して、俺の部屋に侵入してきたのは、居候させてもらっているこの屋敷の主人リアシェテ・フォールだ。
実年齢38歳、女性。腰まで伸びた白雪色の艶やかな髪、豊満な胸とすらっとした体躯、いまだ20代だと勘違いされることも多いらしいこの人には、俺だけが知る残念なポイントが二つある。
一つ、とても暴力的だ。
現に俺の部屋に入るとき、ノックすることもせず、唐突に蹴破ってきたのだから。
恐ろしい女だ。人間見た目に騙されてはいけないよ。
そしてもう一つ、壊滅的なセンス。
目の前で腕を組み仁王立ちしている彼女は、なると(某アニメ主人公ではなく、ラーメンに入ってる渦巻模様のかまぼこ)柄のワンピースと、灰色の毛糸の靴下を履いている。
うん、誰が見ても酷いんじゃないかな。
せっかく元は良いのに……。目元を黒い包帯でぐるぐる巻きにしてるけど。
「イヤだなぁ、リアシェテ。俺は別にただのニート決め込んでるわけじゃないよ? いいかい? 世の中物騒だからね、やっぱり自宅警備は必要だと思うわけだよ。一度は没落したこのフォール家を立て直すために、方々からあらゆる脅しネタを隠し持った……」
「ほう、そんなに実家のフェルディラ家に帰りたいのか? いいぞ、今すぐ連絡してやるよ」
ぐはっ、家出少年の耳に痛いぜ!
「――うぉほん、ごほん!…………この屋敷には、リアシェテの財産があるだろ? 俺は居候させてくれてる恩を返したくて、あえてここに留まることを選んだんだよ!」
「ほう、殊勝な態度だな。恩返しで自宅警備か。それで今は休憩中か? 部屋でゲームしながら?」
「ぬぐっ」
良い言い訳が思いつかず言葉を詰まらせてしまった。
現在、おそらく正午。なのに遮光カーテンで窓を覆い隠す俺の部屋は、テレビゲームの画面で怪しく照らされていた。
しかも傍らには、積み上がった空のカップラーメンの残骸。
「ま、まぁ、俺ほどの警備歴になれば? なんか屋敷で異常があれば、勘で分かるっつーか。予知出来る? みたいな? それまでは、こうして体を休めておいて、いざって時に、瞬時に駆けつけるっつーか?」
「苦しすぎて喉が詰まるほどの言い訳だと思わねーか、ルト」
「ぬぐぐっ」
確かに苦しすぎて、息がうまく出来ない。
しかし、ここで認めるわけには………っ!
「認めるつもりがねーなら、それでも構わねーけど。お互い遺恨が残らねーように、アタシの魔法でルトの頭覗いておいた方がいいよな」
「え」
「テメェが部屋でゴロゴロ寝転がりながら、一日中ゲームして食っちゃ寝してる日常の記憶を覗いてやるっつってんだよ」
リアシェテの米神に浮き上がった青筋を見た瞬間、俺は悟った。
「はい、すみませんでした。調子乗ってごめんなさいでした」
床に頭をこすりつけ、土下座した。
始めからそうしてりゃあいいんだよ、と言いながら、リアシェテは俺の背中に座った。
…………………………え?
「じゃ、こっから本題な、ルト」
「あのリアシェテさん? 重いんですけど。体痛いんですけど。―――痛いっ! ケツ叩かないで!」
「うるせぇ、黙って聞け!――――お前、今晩にでも国立図書館の“最深部”に侵入しろ」
土下座した体勢のまま、背中にリアシェテを乗せてるせいで、その表情は窺えない。でも声音は真剣そのものだ。冗談で言ってはいない。
けど。
「い、いや、いやいやいや、無理でしょ!?」
無茶ぶりにもほどがある!
国立図書館は、普通の図書館とは似て非なるものだ。
貴重な文献や資料、古文書など、どれ一つとっても価値の高いものが置かれ、閲覧出来ても借りて持っていくことは許されていない。
一つ一つに幾重もの魔法が掛けられており、図書館の管理者にはどの本がどのように閲覧されているか、外に持ち出されていないか、すぐに分かるという。しかも本には傷がつけられないよう、結界まで施されているとか。
しかも閲覧するだけでも、図書館前で審査を受けて許可されてからでないと、そもそも図書館に入れないという仕組みになっている。
だから王族と有名な学者と、その関係者くらいしか入れないような場所だ。
しかも!
リアシェテが言った“最深部”が一番の問題だ。
ここは都市伝説並みに存在すら疑われていて、入り方も歴代の王様と図書館管理者しか知らないらしいという曰くつきの場所。
「馬鹿言うなよ! 俺、王国軍に殺されたくねーよ!」
モースレット王国の軍は先鋭揃いだと言うのは、この国に住まう人々の常識だ。
味方の内は安心して頼れる存在だが、敵だと認識されたら最後―――屍すら残らないかもしれない。
「そうか。でもな、あの事件のことが分かるかも知れない、と言ったらどうだ?」
「っ! 本当!?」
リアシェテが乗っかってることも忘れて腰を上げると、「動くな」とケツを叩かれた。
ひ、ひでぇ……。
「お前の“力”なら、管理者に見つからずに侵入くらい出来るとアタシは思う。……あとはルト、お前が決めろ」
よっこらせ、とおもむろに立ち上がったリアシェテは、大きく伸びをしてから部屋を立ち去って行った。
今だ土下座体勢のままである俺は、ぽつり呟いた。
「黒のレース付きパンティ……」
リアシェテ、下着のセンスは良かったんだな。安心したよ、俺は。
「……仕方ねぇーな、これは」
よっこいしょ、と起き上がった俺は、「一肌脱ぎますかー」と警備服のジャージを脱ぎ始めた。