新入生
真新しいスーツに身を包んだ若者たちが並んでいる。そんな中で俺は場違いな雰囲気を醸し出していることだろう。
入社式。
新入社員だとは言え、俺の場合は中途採用。歳だって三十を過ぎている。わざわざ入社式に出席するのもどうかと思ったのだけれど、社長が是非と言うので出席した。会場こそ会社の会議室だとは言え、社長をはじめとする役員連中が勢ぞろいしている空間は居心地がいいものではない。ただ、緊張した面持ちで席に着いている若いやつらを眺めるのは面白い。
時折、俺の方へ視線を向けては不思議そうな顔をしている奴も居る。老けた顔をしているやつが居るくらいに思っているのだろうか。それにしても、この退屈な時間が早く終わることを切に願う。
式の後の食事会はパスした。出席している役員たちと親交を深めたいとも思わないし、それが何かの役に立つことなどないのは充分に判っている。ちょうど昼時だ。俺は腹が減ったので、馴染のとんかつ屋ののれんをくぐった。
「あら、いらっしゃい。今日は入社式だったんじゃないの?」
「ああ、式には出たよ。貴志がどうしても出ろって言うから」
「じゃあ、今日はもうおしまい?」
「まあね」
すると、女将が瓶のビールとグラスを俺の前に置いた。
「さすがだね」
俺はグラスにビールを注ぐと、最初の一杯を一気に飲み干した。
「母ちゃん、腹が減ったよ。いつものやつを頼む」
ここでは女将を母ちゃんと呼ぶ。学生の頃からずっと世話になっている。
「あいよ!」
学生の頃から通っている店だ。貴志と康夫、三人で一枚のカツを分けて、お替り自由のキャベツばかり食っていた。
最初に就職が決まったのは俺だった。貴志と康夫はなかなか内定が貰えず、自ら起業することを選んだ。貧乏暮らしを嘆いていたやつらに飯を奢るのが俺の役目だった。貧乏だったけれど、やつらはいつも目を輝かせていた。逆に俺は高額なサラリーと引き換えに精神と肉体を削られて死んだ魚の様な目をしていたに違いない。
そんなある日、貴志が開発したゲームソフトが大ヒットした。二人が立ち上げた会社は一気に上場企業にまで登りつけた。そして俺はいつしかリストラを恐れて戦々恐々と与えられた業務をこなすだけの部品になっていた。
あの頃は食べられなかった特大のロースカツを平らげて瓶に残ったビールをグラスに移した。それを口へ運ぼうとした時、腕を掴まれた。
「そのいちばん濃いところは俺のもんだろう?」
貴志だった。康夫も一緒だ。
「お前たち、新入社員との食事会はいいのか?」
「ここにも新入社員が居るじゃないか」
二人は入社式後の新入社員との食事会を早々に中座してここへ来たらしい。
「社長と専務がそんなんでいいのか?」
そう、貴志は社長。そして康夫が専務。俺はこの二人に拾われてこの会社に入った。
「社員の自主性を重んじる。それが我が社の社風だからな」
そう言うと貴志はビールをもう一本追加した。
「聞こえはいいが、その尻拭いをさせられるこっちの身にもなってみろよ」
と、康夫。自由奔放に動き回る社員の行動をチェックし能力査定をするのが康夫の仕事らしい。無論、二人とも優秀なエンジニアであることには変わりない。
新たに瓶ビールが一本とグラスが二つ追加された。
「新入社員の前途ある未来に」
貴志がグラスを掲げる。
「未来に」
康夫も倣う。
「乾杯!」
三人でグラスを合わせる。持つべきものは友だとつくづく感じた瞬間だった。
会社からクビを宣告された時、家族にどう話をしようか悩んだ。そんな時、妻からメールが入った。長女が有名私立の入試をパスしたと。
「なんでこんな時に…」
俺は帰るに帰れなくなって、このとんかつ屋に来た。すると、貴志と康夫が居た。
「よう! 茂じゃないか。愛美ちゃん受かったんだって?」
貴志が手を振りながら叫んだ。妻から聞いたのに違いない。妻もまた学生の頃は俺らと一緒につるんでいた。在学中は三人の間で誰が彼女をものにするか競ったものだ。結局、大手商社へ就職した俺を彼女は選んだ。
俺は二人が居るテーブル席に着いた。
「どうした? 浮かない顔して。陽子ちゃんと喧嘩でもしたか?」
康夫は人の心理を掴むのに長けている。俺の心の変化をやつは見逃さなかった。
「そうなのか? 別れるのなら俺が貰ってやるぞ」
楽天家の貴志が冷やかす様におどけてみせる。
「クビになった」
隠しても仕方がない。俺は素直に事実を告げた。
「はい?」
驚く貴志。
「そんなことじゃないかと思ったよ。最近、全然、覇気が無かったからな」
やっぱり康夫には見透かされていた。
「じゃあ、ウチで働け。あの頃みたいにまた三人で楽しくやろうぜ」
「お前が来てくれたら俺も助かる。こいつの性格をいちばん解かっているのはお前だからな」
「いいのか?」
「伊達に商社で揉まれて来た訳じゃないだろう? そのスキルをウチで役立ててくれよ」
「すまん…」
「何を謝る? 愛美ちゃんの合格祝いさ」
「貴志、そりゃあ、ちとずれてるぞ」
なんだかんだ言ってもこの二人はいいコンビだ。そんな二人と一緒に仕事ができるのはこの上ない贅沢っていうものだ。
帰宅して、妻にすべてを話した。
「あら、良かったじゃない。今度、二人ともウチに呼んできてよ。あの頃みたいに飲み明かそう」
顔色一つ変えずに受け止める妻。
「お父さんも新入生なんだ。頑張れよ」
いつも明るい娘。
この母にしてこの娘か…。俺は人に恵まれている。人生、捨てたもんじゃないな。俺は久しぶりに胸の高ぶりを覚え、タバコに火をつけた。
「あっ! ダメダメ。タバコは外で吸ってっていつも言ってるでしょう」
苦笑しながら、俺はベランダの戸を開けた。




