第08話 選択と結果
ガトーは返事をしない。ただ黙って視線を前に向けていた。俺は構わず続ける。
「俺があの生首を鑑定した時……名前を聞いて動揺してましたよね。ヒューゴ・タルカス。あなたの苗字と同じだ」
彼は黙っている。
「もしかして……あなたの家族なんじゃないですか?」
「おい小僧」
ガトーは低い声で呟いた。そこには深い怒りが込められていた。
「それ以上喋るとお前の頭をカチ割るぞ」
彼は本気だ。俺は思わず恐怖で動けなくなった。だがここで引き下がるわけにはいかない。俺は拳を握り締めると一歩歩み寄った。
「お、俺は……あなたに一緒に来て欲しいです」
「ああ?」
ガトー呆れたように呟いた。そしてようやく俺と目を合わせる。
「テメエ耳が聞こえねえのか?」
ガトーが睨む。俺は怯むことなく答える。
「あなたは強い人だ。だから本当は分かってるんじゃないですか。このままここにいても何も解決しないって」
ガトーは沈黙する。俺は続けた。
「あなたが憎いのはゾンビのはずだ。ここにいてもゾンビへの恨みは消えません。なら俺達と一緒に来ませんか? あなたがいれば心強い。それに……俺がゾンビになった時は俺の頭をカチ割って構いません。お願いします!」
俺は頭を下げた。これが精一杯だった。しばらくガトーは沈黙したまま身動き一つせずにいると、ふっと溜息を吐き立ち上がった。そして背嚢を持つと俺の前に掲げた。
「こいつは俺の兄貴だ」
「え?」
「ゾンビに噛まれてこの様だ。もっとも、首を落としたのは俺だがな……」
ガトーは思い出すように言う。彼の悲しげな表情を俺は初めて見た。
「俺はゾンビ共を許さん。俺がこの手で皆殺しにしてやる。それでもいいならついて行ってやってもいい」
「は、はい!」
「ただし、自分の身は自分で守るんだな。俺を当てにしようなんて考えるなよ」
「分かりました!」
俺は嬉しくなって頷いた。ガトーはまたいつもの鋭い表情に戻ると背嚢を背負い斧を担いで歩き出した。その後ろを俺はついていった。
◇◇◇◇
ガトーを連れて来た俺を見て二人は驚いていた。一体どうやって彼を説得したのか不思議そうにしていたが、俺は詳しい内容は話さず適当に説明した。ガトーの兄のことは他の人には話すなと本人に言われたのだ。そうでなくとも話す気はなかったが。
とにかく、これで準備は整った。俺達は再び入口の扉の前に来ていた。扉は長椅子のバリケードで塞がれ簡単に開かないようになっている。俺達が出た後、この扉を塞ぐ人が必要だ。
俺は司祭にここから出た後扉を塞いでもらうよう頼んだ。司祭は当然だと言わんばかりに頷いた。さらに司祭は俺達に釘をさすように言う。
「だが、例えお前達が再び戻ってきてもこの扉は空けんぞ! 外で感染したかもしれない者を入れるわけにはいかんからな! これはみんなの命を守るためじゃ! 一度出れば二度とここへ戻れんぞ! それでもよいか?」
「はい。それで構いません」
俺は頷いて言った。俺以外の三人も同意したようだった。俺達の意思の固さに何を言っても無駄だと思った司祭は溜息を吐いた。
「お前達に神の加護があらんことを……」
そう言って諦めたように祈りを捧げた。これくらいしかできることはないということだろう。彼なりの精一杯の見送りだった。
俺達は扉が少し開く程度までバリケードを外す。ここから先はゾンビのいる危険な世界だ。何が起こるか分からない。俺の心臓は緊張で高鳴っていた。でも、不安はなかった。俺の後ろにはパウロ、シャーリー、ガトーがいる。
俺は振り返ると司祭に言った。
「残った人たちのことは頼みます」
俺はドアノブに手をかけた。そして扉を開くと周りを確認し近くにゾンビのいないことを確認する。そしてすぐに外へ飛び出した。
俺に続いてパウロ、シャーリー、ガトーの順に外へ出ていく。全員が教会の外へ出ると、扉はすぐに閉まりバリケードが作られる物音が響いた。もう二度とここには戻ることができない。
外は夕暮れに染まっていた。町は荒廃しており辺りに破壊された屋台や死体の一部が転がっているのが見える。曝された贓物の悪臭が鼻を突き、思わず目を背けたくなる光景に俺は戸惑った。
だがこれくらいで立ち止まっているわけにはいかない。俺達は慎重に辺りを警戒しながら歩き出した。だがその時、パウロが声を上げた。
「あ、あれは……」
パウロが指差した先を見て俺は愕然とした。そこには教会の壁をよじ登るゾンビ達の姿があった。
「そんな!」
シャーリーそう言ったのも束の間、教会の窓を突き破ってゾンビ達が教会の中へなだれ込んでいった。まさか壁をよじ登ってくるとは予想していなかった。あの高さから落ちれば普通は死ぬだろうが、ゾンビなら関係ない。
「まずいな……」
ガトーが呟いた次の瞬間、教会から悲鳴が轟いた。きっと中に残った者達がゾンビに襲われているのだろう。ゾンビの呻き声と人々の苦痛と恐怖の阿鼻叫喚が教会中に響き渡った。
「た、助けなくちゃ!」
「よせ!」
シャーリーが駆けだそうとするのをガトーが止めた。
「なんで! 今ならまだ間に合う!」
「馬鹿が! あの数じゃどのみち助からん! 」
ガトーはシャーリーに向かって声を荒げた。ガトーの言う事は正論だ。唯一の出口の扉はバリケードで塞がれ彼らは袋のネズミだ。助かる見込みはない。だけど、俺は迷っていた。
ティオならこんな時どうする……。ティオなら……。
俺は決意するとガトーに向かって言った。
「ガトーさん。斧を貸してください」
「なに?」
「こちら側から扉を破れば間に合います」
ガトーは呆れたようだった。
「あいつらは自分であそこに残ることを選んだんだ。自業自得だ。助ける価値なんざねえ」
「分かってます。でも見捨てていけません」
ガトーは少し戸惑いをみせ、そして舌打ちをした
「チッ! 俺がやる! どいてろ!」
そう言ってガトーは駆け出すと教会の扉に向かって斧を振るった。木製の扉に小さな穴が開き始める。
するとそこから人間の手が伸びてきた。
「た、助けてくれええぇぇ!!」
それは司祭の声だった。司祭は腕をもがいて必死に外へ出ようとする。
「馬鹿野郎! 邪魔だどけ!」
ガトーが怒鳴っても司祭はパニックで聞こえていないようだった。そして次の瞬間、ゾンビの唸り声と共に司祭の悲鳴が響いた。
「あがああアアアああぁぁあッ!!」
猟犬が餌を貪るような音が鳴る。司祭の腕は狂ったように暴れたがしばらくして動かなくなった。そして扉の下から大量の血液が流れだす。
俺達は息を飲んだ。もう悲鳴は聞こえなくなっていた。
「残念ですが……もう教会には生存者はいません」
そう言ったのはパウロだった。見るとパウロは目を瞑り何か集中しているようだった。
「なぜ分かる?」
ガトーが訊くと、パウロは目を開けた。
「僕のスキル『透視』の能力です。僕は数メートル先なら壁越しでも中の様子を見ることができるんです。ただスキルの使用中は目を瞑り集中しないといけませんがね……」
確かにパウロのスキルは『透視』だった。俺は彼を鑑定した時のことを思い出す。
「今、教会の中にいるのはゾンビだけです」
パウロは冷静な口調で言った。それに俺は愕然とした。さっきまで一緒にいた人たちが全員死んでしまったというのか。
もし、あのまま教会に残っていたら俺達もゾンビに喰われていただろう。俺は背筋が凍るのを感じた。
「行きましょう。これ以上ここにいては危険です」
パウロはそう言って歩き出した。それに続いてガトーも歩きだす。シャーリーは呆然と立ち尽くし呟いた。
「そんな……」
俺は司祭の動かなくなった腕を見つめていた。彼は彼なりにみんなを助けようと最善の手を考え行動しただけだ。俺はたまたま運がよかっただけにすぎない。俺は思わず司祭に向かって祈りを捧げてた。
すると、司祭の腕がピクリと動いた。そしてゆっくりと腕が持ち上がる。まるで生きているかのように。そして司祭の腕は這うように扉の周りを動き爪を立てガリガリと削っていく。爪が割れ剥がれるのも構わず、扉を破ろうと引っ掻き回す。
「レインさん……行きましょう」
シャーリーは俺の腕を引っ張った。俺は呆然としながら彼女に引っ張られその場から去っていった。扉の向こうでは、司祭の呻き声だけが虚しく響いていた。