第05話 ゾンビと疑惑
ゾンビ。
それは聞き慣れない言葉だった。生首を鑑定し出てきたステータスの中に浮かぶゾンビと言う文字を見て俺は首を傾げた。一体これはどういうことなのか。
確か、ティオを鑑定した時に出てきた状態欄には良好と書かれていた。つまり対象の健康状態の事を指しているのだろう。だが状態がゾンビとは一体どういうことなのか。
「何か分かったか?」
ガトーが横から訊ねる。俺は少し返答に困りながらも言葉を探した。
「彼の名前はヒューゴ・タルカス。スキルは鍛冶です。それと……彼は“ゾンビ”だそうです」
「ぞんびぃ?」
ガトーが困惑した声を上げる。ガトーも何のことか分からないようだ。
「なんだそのゾンビってのは?」
「俺にも分かりません。ただ彼は今“ゾンビ”という状態みたいです」
意味が分からない、といった表情のガトー。それ俺も同じだった。
するとそれを聞いていた眼鏡の男が声を上げる。
「ゾンビですか……」
「何か知ってるんですか?」
俺はすかさず訊ねた。今はどんなことでもいいから情報が欲しい。俺はすがる思いで眼鏡の男を見る。男は自信なさそうに頭を掻きながら言う。
「いや……大したことは知らないんだけど。そのゾンビってのは聞いたことがあるよ」
「ど、どこで!?」
俺もガトーも、彼の答えを待った。
「昔見た古文書に出てくる伝説上の生物さ。ゾンビは別名“歩く屍”とも呼ばれ、人間を喰うバケモノで魔王が生まれるよりもずっと昔に存在していたらしい」
「なんだって!」
俺達は驚いて声を上げた。
「あくまで伝説だからそれが正しいとは分からないよ。それ以上のことは僕も知らないしね」
「どこでそんなこと覚えた?」
ガトーが不思議そうに訊ねる。男はズレた眼鏡をかけ直し言う。
「僕は“冒険者”ですからね。色んな土地の色んな文化や風俗を調べるのが好きなんだ。古文書はその一環で読んでいたのさ」
俺とガトーは顔を見合わせた。まさか今まで話していた相手が冒険者だとは思わなかった。冒険者と言えばもっと屈強な戦士を思い浮かべていたからだ。男はどちらかというと学者のような出で立ちだった。
「冒険者?」
「意外だったかい? まあ、あんまり大した冒険者じゃないけどね。恐らく、僕の考えではこれは一種のウイルスだね。それも非常に感染力の高い……」
冒険者の男は落ち着いた口調で話し始めた。俺達は黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「このウイルスに感染した者は数分でゾンビになってしまう。人間を喰らうことが目的の“歩く屍”と化し、次々に人を襲い始める。そして噛まれた者はウイルスに感染しゾンビとなる……そうやって爆発的に増幅していく恐ろしい病原体だよ」
「死んでるから痛みも感じないってことか?」
ガトーが訊ねると冒険者は頷いた。
「そういうことでしょうね。脳を破壊しなければ活動を停止しないのは、きっとウイルスが脳細胞を利用して増殖しているせいなんだ。ウイルスは脳さえあれば活動できるから手足はただの飾りに過ぎない。なぜ人肉ばかり狙うのか、それが分からないけど、恐らくウイルスが増殖するために必要なんだろうね」
冒険者の話を聞き終えて、俺達はすっかり感心していた。それに気づいた彼は不思議そうに訊ねる。
「どうしたの?」
「いや……よくこの状況でそこまで分かるなって思って」
「まだ分からないことだらけさ。本当ならこのゾンビの身体や脳を解剖してじっくり調べたいところなんだけどそうもいかないし。ああ! こんな未知の存在に出会いながら調査できないなんて冒険者として悔しいよ!」
彼は本当に悔しそうに言った。自分が死ぬかもしれない状況だというのに、彼はゾンビの研究ができないことを憂いているようだ。冒険者というのはみんなこんな人たちなのだろうか。
「とにかく、ありがとうございます。色々教えてくれて。えっと……」
「パウロだ。よろしく」
「レインです」
俺とパウロは握手を交わす。そして心の中で『鑑定』と唱える。
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パウロ・レオール
スキル:透視
状態:興奮
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スキルは透視か……なかなか使えそうだ。興奮状態というのはどういうことだろうか。ゾンビに対して興奮しているということなのか?
だがこんな状況だからこそ、協力することが何より大切だ。俺は鑑定でゾンビの存在を知ることができたが、俺一人ではそこまでの意味は知ることはできなかった。ガトーやパウロがいてくれたからこそ、ここまで知ることができた。
このまま調べていけば、ゾンビの対処法だって分かってくるはずだ。そうすれば、ティオを助けに行くこともできるはず。それまでは絶対にあきらめるわけにはいかない。
「じゃあ、一度感染した奴が助かる方法はないんだな?」
ガトーが真剣な表情でパウロに訊く。
「……その望みは薄いでしょう。ゾンビになった時点で肉体は死んでいるわけですから。せめてゾンビになる前に楽にしてあげるしか方法は……」
「そうか」
そう言うとガトーは立ち上がり教会にいる生存者の中へ歩いていく。俺とパウロは不思議そうにそれを見つめていた。
すると彼は教会の隅でうずくまり泣いている女性の前で立ち止まった。ガトーに気付いた女性が顔を上げると、ガトーは彼女の腕を引っ張った。
「え? きゃッ!」
腕を引っ張られ無理矢理立たされた女性は小さく悲鳴を上げる。それに教会にいた全員が何事かと注目する。ガトーは彼女を教会の中心まで連れると乱暴に地面に突き飛ばした。
「何をするんだ貴様!」
司祭が声を上げる。その場にいた全員が彼の行動を理解できないでいた。だがガトーは動揺する様子もなく言い放つ。
「こいつを殺すのさ」
そう言って彼は斧を彼女に向けた。それを聞いた全員がざわつき出す。そんな中、司祭だけが叫んだ。
「何を馬鹿なことを言っている!」
「馬鹿はそっちだ! これを見てみろ!」
ガトーはそう言って彼女のスカートをめくり上げた。
「きゃあ!」
彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤にしてスカートを押さえようとするがガトーの腕力には敵わず生足をさらけ出した。同時に下着も見えてしまう。周りの女性から悲鳴が上がり、男性からはどよめきが起こった。
「なッ! この不届き者! 淑女を辱める気か!」
「いいからこいつを見てみろ!」
「なに?」
ガトーが指差したのは足に残る傷跡だった。その傷はまだ真新しく、赤い血が流れまるでゾンビに噛まれた跡のように見える。
「こいつはゾンビに噛まれた! それを隠してやがったんだ!」
ガトーは全員に聞こえるように叫んだ。その場にいた誰もが声を失う。それはつまり、彼女ももうすぐゾンビになってしまうことを意味していた。
「ち、違うの! これは転んで擦りむいただけで……!」
彼女は必死に弁解しようとする。その目には涙が浮かび身体は震えていた。
「じゃあなぜ隠していた?」
「か、勘違いされるのが怖かったの!」
「ゾンビにか?」
「ぞ、ぞんび?」
「あの化け物の呼び名だ。なあパウロ? ゾンビに噛まれた奴は同じゾンビになっちまうんだよな? 一度噛まれた奴を助ける方法はゾンビになる前に楽にしてやることしかないんだよな?」
ガトーはパウロに言う。全員の注目が彼に集まった。パウロは言いにくそうに頷く。
「ああ……」
「ほらな! 奴は冒険者だ! ここにいる誰よりも賢明だ! この女がゾンビになれば俺達を襲ってくるぞ! その前に殺してやるのが賢い選択なんじゃねえか!?」
ガトーは全員に向かって言い放った。ガトーのやってることは無茶苦茶だ。だけど、誰も彼に言い返せなかった。みんな心の底で彼の言っていることが正しいと感じていたのだ。自分たちの命を守るために誰かの命を犠牲にする。そして、それができるのは限られた人間だけだ。
ガトーにはそれができる。生きた人間を殺すことが。彼の行動がそう感じさせた。彼にはゾンビの頭を叩き割ることも生きた人間の頭を叩き割ることも変わらない。ただ生き残るために最善の手を尽くすことができる。それが例え、自分の手を汚すことになっても。
だけど……。
「お願い! 誰か助けて! 私は本当にゾンビに噛まれてなんかない! ただ転んだだけなの! お願い信じてッ!!」
彼女は泣きじゃくりながら周囲に助けを求めた。だが、それに応えてくれる人間は誰もいなかった。
「口だけなら何とでも言える。悪いが、俺達の命を危険に晒すわけにはいかねぇんだ」
ガトーの冷たい言葉が彼女に突き刺さった。ガトーは斧をゆっくりと振り上げた。もはや、命乞いも無意味だった。彼女は泣きながら目を閉じ両手を合わせ祈った。ここにいる全員が黙ってその行方を見守っていた。
――俺以外は。
「ちょっと待って!」
俺の声が張りつめた空気を破った。ガトーの手が止まり、彼女は目を開け、全員の視線が俺に集まる。
「なんだ小僧?」
ガトーが睨む。俺はガトーの前に進むと言った。
「彼女は噛まれてないよ」
その言葉にどよめきが起こる。ガトーは鼻で笑いながら言った。
「なぜわかる?」
「僕のスキル……『鑑定』で見たから」