第04話 教会と生首
狂人達の間をすり抜け教会に辿り着いた俺達は扉の前にいた。男が扉を開けようとするが扉は開かない。どうやら内側から塞がれているようだ。
「おい! 開けろ!」
男は叫んだ。俺も一緒になって叫ぶ。
「お願いです! 開けてください!」
俺と男は扉を叩いた。振り向くと狂人達がこちらを見つめている。早くしなければ奴等がこっちに集まってきてしまう。俺達は必死になって教会に助けを求めた。もしかしたら中の人は全員死んで狂人しか残っていないのではないかとそんな不安が頭をよぎった。
すると教会の中から声が聞こえた。
「生存者か!?」
俺と男は顔を見合わせた。中にはまだ生きた人がいる。助かった。
「はい! 早く開けてください!」
「何人だ!?」
「ふ、二人です!」
「怪我人は!? 噛まれた奴はいるか!?」
「いえ、二人とも無傷です!」
俺は正直に答えた。だが扉の向こうでは何か相談しているのか、しばらく沈黙が続いた。俺達は後ろから迫る狂人達に焦りを募らせながら返事を待った。
「クソッ! さっさと開けねえとドアをブチ破るぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
痺れを切らした男が斧を振り上げるのを俺は必死に止めた。ここで扉を破壊したらそこから狂人達が中に入ってきてしまう。そうすればここまで来たことが無意味になってしまう。
そうこうしていると、扉が開いた。中から一人の若い眼鏡をかけた男性が顔を出し辺りを確認すると俺達に言う。
「中に入れ! 急げ!」
俺達は急いで教会の中へと飛び込んだ。同時に眼鏡の男は扉を閉めると、長椅子を扉の前に押し寄せ扉を塞いだ。外から入れなかったのはこのバリケードのためだったのだ。
俺達は息を切らしながら勢いよく地面に倒れた。長い緊張と不安で手足は震え全身に脂汗が滲んでいた。
「ハアハア……」
「た、助かった……」
未だに俺の心臓はバクバクと高鳴っていた。突然目の前を襲った悪夢のような事態に思考が追い付かない。今はただ、生きていられたことに一先ず安心していた。
「大丈夫かい?」
顔を上げると、目の前に扉を開けた眼鏡の男が立っていた。
「な、なんとか……」
俺は肩で息をしながら絞り出すように言った。改めて教会の中を見渡してみると、俺達の他にも何人か町人の姿が見える。みんな身体を寄せ合い恐怖に染まった目で俺達を見つめていた。
「他にも生存者が……」
「ああ。君たちと同じようにこの教会に逃げのびて来たんだ」
眼鏡の男の言葉に俺はハッとなって立ち上がると生存者の顔を見渡した。もしかしたら、この中にティオがいるかもしれない。俺は一人一人の顔を確認するように見渡したが、ティオの姿はどこにも見えなかった。
「誰か探してるのかい?」
「……はい。一緒に来てた友達とはぐれたんです」
「そうか……」
眼鏡の男はそれ以上は言わなかった。慰めの言葉もこの状況では役に立たないと知っていたのだ。
それに、大切な人の安否が分からず不安な気持ちでいるのはきっと俺意外にもたくさんいるだろう。もしかしたら目の前で殺されてしまった人だっているはずだ。
そんな人たちになんて声をかければいいかなんて誰にも分からない。みんな自分のことで精一杯だった。俺も、ティオの心配と自身の心配だけで手一杯だった。
「たったこれだけか……」
スキンヘッドの男は生存者の数を見て呟いた。俺も同感だった。この町には多くの人間が住んでいる。特に今日は勇者祭とあって多くの人が町に出ていたはずだ。だが、教会にいるのはほんの十数人程だった。
「他にも避難場所があるのかもしれませんが、外に出て確認するわけもいかないので……」
眼鏡の男はそう言って肩を落とした。確かに今は外に出るのは得策ではないかもしれない。そこら中に狂人達がウヨウヨしているんだ。
「一体、何が起きているんですか?」
俺は眼鏡の男に訊ねた。だがやはり、願った答えは返ってこなかった。
「分かりません。ここにいる誰にも……」
そう言って眼鏡の男は俯いた。誰もがその答えを知りたがっていた。だが、俺達がこの状況を把握するには情報が少なすぎた。何も分からず、何もすることができず、ただ黙って殺されるのを待つしかないのか。
教会の中を重い沈黙が圧し掛かる。だがその時、一人の老人が声を上げた。
「狼狽えるな。これはただの幻覚だ」
その言葉にその場にいた誰もが顔を上げた。そしてその声の主である老人に目を向ける。彼は教会の司祭だ。司祭服に身を包み、白いひげを蓄えた彼に全員の注目が集まる。
「それはどういう意味だ?」
スキンヘッドの男が訝しそうに訊ねる。司祭は落ち着いた口調で語り出した。
「これは一種の集団心理が生み出した幻じゃ。人は一度パニックを起こすと周りが見えなくなり本来存在しないものすら見てしまう。そしてパニックは伝染する。我々の恐怖が人々を狂気に駆り立てたのじゃ」
その言葉に教会にいた全員がざわつきだす。俺達が見たのはただの幻影だったのか?
俺には信じられなかった。あれは紛れもない現実だった。だが、生存者の中には彼の言葉に頷く者もいた。
「フン。馬鹿馬鹿しい」
そう言ったのはスキンヘッドの男だった。司祭の顔がムッとする。
「何か言ったか?」
「あれは集団心理でも恐怖による幻覚でもねぇ。紛れもない本物の“バケモノ”だ」
スキンヘッドの男ははっきりとそう言い切った。司祭はさらに訊ねる。
「あれは人間ではないと、そう言うのか?」
「ああ。間違いねぇ」
「なぜそう言い切れる?」
司祭がそう訊ねると、スキンヘッドの男は一瞬黙った。そして、何か決心したように、背負っていた背嚢の中から何かを取り出し、それを高く掲げた。
それを見た生存者の中から悲鳴が起こった。俺も、それを見て言葉を失った。
スキンヘッドの男の手に握られていたのは、生首だった。紫色に変色した肌の男の生首であった。口には猿轡が嵌められ、眼は見開かれ真っ赤に充血していた。
「こいつを見てみろ」
スキンヘッドの男はそう言って生首を放り投げた。司祭の前に生首が転がっていく。
「ひっ!」
司祭は小さな悲鳴を上げた。生首に驚いたのではない。その生首がまだ“生きて”いたことに驚いたのだ。生首は今にも司祭に襲い掛かろうと歯をガタガタ鳴らしているが、猿轡が邪魔をして噛むことができないでいた。
それを見た他の生存者たちも悲鳴を上げた。教会中に悲鳴が轟く。俺はしばらく呆然とその生首を見ていた。それは紛れもなく俺が今まで見たあの狂人達の顔だった。
「奴等は首だけになっても襲い掛かってくる。手足が千切れようと関係なしだ。恐らく痛みすら感じていないんだろう。奴等を殺すには脳を確実に破壊するしか方法はない」
スキンヘッドの男はそう言って生首を拾った。彼の言葉を聞いて俺は思い出した。確かにあの時、鉄棒で頭を貫いたらあいつは死んだ。スキンヘッドの男が斧で女の頭を割ると女は死んだ。全て脳を破壊したからだ。
「これでもまだ幻覚か?」
男は司祭に言う。司祭はしばらく呆然としていたが、顔を振って言った。
「いや……」
誰も司祭を責めることはしなかった。信じられないのはみんなも同じだった。だが目の前に叩き付けられた現実は、あまりにも現実離れしていた。
スキンヘッドの男は生首を再び背嚢にしまい込んだ。
「あの……どうして生首を?」
すると、眼鏡の男がスキンヘッドの男に訊ねる。男の鋭い眼が睨んだ。
「お前には関係ない」
そう言われ、それ以上眼鏡の男は質問しなかった。
人間を喰うバケモノ。しかも噛まれた人間に感染し感染者を同じバケモノに変えてしまう感染力を持っている。そんな病気、今まで聞いたことがなかった。ここにいる全員がその答えを知りたかった。だが、俺達にはどうすることも……。
俺はその時、ハッと顔を上げた。そうだ。あるじゃないか方法が。なんで今まで気づかなかったんだ。いや、パニックでそれどころじゃなかったんだ。だけど一旦落ち着いたことでようやくそこまで頭が回った。
「おじさん、その首見せてください」
「ああ?」
スキンヘッドの男は訝しそうに眉を寄せた。まさか生首を見せてくれと言われるとは思ってもみなかったのだろう。
「生首なんか見てどうすんだ?」
「俺のスキルなら分かるかもしれないんです。こいつらの正体」
そうだ、俺のスキル『鑑定』を使えば、こいつらの情報を知ることができるかもしれない。
「本当か?」
「はい。成功するかどうか分からないけど、やってみます」
スキンヘッドの男は少し考えているようだったが、背嚢から生首を取り出すと俺の前に置いた。
「ありがとうございます、おじさん」
「おじさんじゃねぇ。ガトーだ」
ガトーはぶっきら棒にそう言った。俺は頷くと、生首を見つめた。そして心の中で「鑑定」と唱えた。
すると生首の周りに文字が浮かび上がる。
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ヒューゴ・タルカス
スキル:鍛冶
状態:ゾンビ
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「ゾンビ……?」
そこに浮かび上がった文字を見て、俺は呟いた。