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第03話 混乱と狂気

「きゃあああああああああああああ!!」


 血を浴びた観客から悲鳴が轟いた。観客たちは慌てて会場から逃げ出す。劇場はパニック状態だった。もはや正常な判断はつかず、目の前の異常な事態にただ目を背け逃げ出すことしかできなかった。


 一体何が起こっているのか。俺にも理解できなかった。突然現れた不気味な男に勇者が噛み付かれたかと思うと、今度はその勇者がまるで謎の男と同じように豹変して魔王に喰い付いた。先程まで舞台を楽しんでいたのが一変し辺りは血の海となり凄惨な光景が広がっていた。


 観客たちは出口に向かって走り出す。その人の波に押され俺達も出口へと追いやられてしまう。


「ティオ!」


「レイン!」


 俺はティオに手を差し伸ばしたが、押し寄せる人の並みに流されティオは俺から遠ざかっていく。そしてティオは人ごみの中へと消えて行ってしまった。


 俺はなんとか人の波に逆らいティオを捜そうとしたが、狂乱の中で混乱した群衆は俺一人の力ではどうすることもできず次第に俺は出口へと流されていった。


 後ろから押し出されるように劇場を出た俺の目の前に飛び込んできた光景を見て、俺は言葉を失った。


 そこはまるで地獄絵図のようだった。町中のいたる所で悲鳴や怒号が上がり血を流した人々が逃げ惑っている。それを追い駆けているのは口元を血で染めた狂人達だった。彼らは一様に虚ろな目で獣のように歯を剥き出し近くの人間を襲った。


「く、来るなあああ!」


 恐怖で腰を抜かした町人に狂人達が集まってくる。町人は近くにあった木の棒を振り回して追い払おうとしたが、狂人達はそんなものは意にも介さず振り払い町人に襲い掛かった。


「ぎゃああああああああ!!」


 複数の狂人達が餌を貪るように町人の身体を噛み千切っていく。町人の身体は瞬く間に真っ赤になり腕が千切れ腸を引き摺りだされた。それを狂人達はうまそうに齧り付いて喰っているのだ。


 同じような光景が町のいたる所で繰り広げられていた。人間が人間を喰っている異常な光景に俺の頭は混乱していた。これは何かの悪い夢なのか? 


 先程まで勇者祭で賑わい笑顔で溢れていた町が一変、酸鼻な地獄絵図へと変わっていた。地面に転がる無数の死体と血だまり。町中を包む悲鳴と怒号。破壊される屋台や建物。逃げ惑う群衆。襲い掛かる狂人の群れ。


 俺はその中で呆然と立ち尽くしていた。一体何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。だが自分の胸の高鳴りだけが、これは夢ではないと告げていた。紛れもない現実だった。


「ティオ……!」


 そうだ、ティオを捜さなければ。この人ごみと混乱でティオの姿は見えない。もし俺とはぐれたせいでティオがあの狂人達に襲われるようなことがあれば、俺は一生自分を許せない。


 俺はすぐに走り出した。そしてティオの名を叫んだ。だが周りの狂騒に掻き消され、俺の叫びは響かなかった。それでも俺はティオを捜しながらティオの名を叫んだ。次第に俺の中の焦りが大きくなり始めていた。


 まさか……いや、ありえない!


 俺は不安を振り払うように走り続けた。だがティオの姿はそれでも見えなかった。息を切らした俺は足を止める。


 すると腕から血を流した女性が俺に向かって叫んだ。


「た、助けて!」


 見ると女性の後ろを狂人が一人追い駆けてきていた。


「ウあ゛あぁヴあぁあ!!」


 狂人は呻き声のような奇声を発しながら女性に襲い掛かる。俺は咄嗟に近くに転がっていた曲芸師の死体から小道具の長剣を拾った。


「下がって!」


 俺はそう言って彼女の前へ出ると狂人の口元めがけて長剣の切っ先を向け勢いよく突いた。今にも噛み付こうと大きく開かれた狂人の口に長剣は深く刺さりそのまま後頭部から貫通した。


 赤く塗れた剣先が後頭部から突き出し、狂人の脳漿が飛散する。狂人はよろよろとふらついた後、事切れたように地面に倒れた。


 俺は息を荒くしながら彼女の方に振り返る。


「大丈夫ですか?」


「は、はい! ありがとうございます!」


 女性は涙を流しながら頭を下げた。右腕を押さえているが服の上から血が滲み出しており怪我をしているのが分かる。


「その腕、奴らに噛まれたんですか?」


「はい。突然襲ってきて訳も分からず……」


 彼女は痛そうに傷口を見つめる。その声は震え恐怖に染まっていた。それは俺も同じだった。改めて地面に倒れた狂人を見てみると、見た目は普通の人間だ。だが襲い掛かってきた時のあの目は異常だった。憎悪や怒りでもない、見たことない眼だった。


 これは本当にただの狂人なのか? 俺の中で疑問が浮かんだ。そう言えば、あの劇場で見た時、噛まれた勇者も次の瞬間は狂人と同じようになっていた。これはもしかして何か関係があるんではないか?


「あの……もしかしてこれは――」


 そう言って俺は彼女の方を振り返った。だがそこにいたのは先程までの恐怖に怯えていた彼女ではなく、白目を剥き舌をだらりと垂らした狂気に染まった彼女の姿だった。もはや彼女は傷口を庇うこともせず俺に向かって襲い掛かってくる。


「がひゃひょきやあああ!!」


「うわッ!!」


 笑い声のような叫びを上げ彼女は俺の肩を掴んだ。俺は彼女の首を押さえ必死に抵抗する。彼女は俺の顔に喰らい付こうと何度も歯を剥き出してくる。俺の肩を掴んだ彼女の握力は女性とは思えない程強く俺の苦しめた。まるで肉体のリミッターが外れ人肉を喰らうことのみに特化した生物に変貌したようだ。


「ごわいよおおじぬだくないよおおおひゃはははは!!」


「イてててて!!」


 彼女の涎が俺の顔面に降りかかる。肩に食い込む彼女の爪に俺は顔を歪ませた。彼女を抑える両腕の力にも限界がきていた。このままでは彼女に喰い殺されてしまう。


 そうすれば俺も狂人になってしまうのだろうか? あの勇者といい目の前の彼女といい、狂人に噛み付かれた人間は同じように狂人になってしまう。この狂気は“感染”するのだ。つまり、例え生き延びられても噛み付かれたら終わりだ。


 彼女の歯が目の前に迫る。ここまでか……そう思った時だった。


 彼女の頭上から斧が振り下ろされた。斧は彼女の頭を真っ二つに割った。大脳が頭蓋骨からこぼれ落ち眼球が飛び出す。大量の血と脳漿が飛び散り俺を真っ赤に染めた。


「うぁー……」


 彼女は小さく鳴くと地面に倒れた。俺が血塗れで呆然とへたり込んでいると、一人の男が彼女の頭から斧を引き抜いた。


「どこか噛まれたか?」


 そう訊ねたのはスキンヘッドをした筋肉質な中年男性だった。片手に斧を持ち、背嚢を背負い彼は額から汗を流しながら俺を見下ろす。彼の服には血が付着していたがどれも返り血のようだ。


「あ、ありがとう」


「礼はいい。それより質問に答えろ」


 そう言って彼は斧を俺に向けて来る。その目は血走っており有無を言わせない力があった。


「え? ああ、どこも噛まれてないよ」


「……ならいい」


 男はそう言って斧を下ろした。どうやら彼はこの騒動についてある程度知っているような口ぶりだ。俺は彼女の死体を見ながら訊ねた。


「やっぱり……噛まれたら感染するんですね」


「知ってるのか」


「いや……ただの推測ですけど」


「なら俺と同じだ。コイツらに噛まれた奴らはみんなコイツらと同じようになっちまう。理由は分からんが、そういうことだ」


「一体なんなんですかね、これ」


「知るか。人間が人間を喰うなんざまともじゃねえ。分かるのは噛まれたら終わりだってことだ」


 彼の言う通りだ。これはまともな事態ではない。何か理由があるにせよ、それは今の俺達には想像もできないことだ。とにかく今は生き延びることを考えなくてはならない。


「逃げるぞ。ここにいると奴等が集まってくる」


 彼の言う通り、周辺の狂人達が俺達に気付き始めていた。狂人は走ってきたりはしないが、ゆっくりと確実に俺達の方へ進んできている。


 だが逃げると言っても町中が狂人だらけだ。迂闊に走り回っていると狂人に取り囲まれてしまう危険性が高い。


「どこへ逃げるんですか?」


「教会だ。あそこならここからすぐ近くだ。俺についてこい」


 そう言って男性は走り出した。立ち塞がる狂人を斧で倒しながら教会に向かって突き進んでいく。俺はその後ろを必死でついて行った。


 教会に行けばティオにも会えるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。

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