黒い三年生 ~迫撃! トリプル喪女~
「今日に限って遅刻とか……いくらなんでもマズいよね!?」
今日は2月14日。
胸もときめくバレンタインの朝、白井瑞樹は走っていた。
小高い丘の上に建つ中学校の校舎を目指してひた走る。
時刻はすでに8時25分、正直遅刻ぎりぎりだ。
朝日を映す瞳にキラッキラの笑顔、あどけなさを残す顔には汗が光る。制服に包まれた細い四肢にさらさらの髪――。
瑞樹は中学二年の思春期真っ盛りの男の子だ。
「間に合えー!」
祈るように叫び、跳ねるように駆ける。校舎に続く上り坂にさしかかると登校を急ぐ生徒達が見えた。ホッと胸をなでおろした、その時――。
突然ガサガサッ! と音がして、草木の生い茂る脇の林から何かが猛烈な勢いで迫ってくる気配がした。
草木を踏みしめる複数の気配と、小枝が折れる破砕音。
視界の隅に疾走する黒い塊が見えた。
1、2……3体。意外と大きい。
「まさか――野犬!?」
ギョッとして驚き足を止めた瑞樹の目に映ったのは3体の影。
それがこの学校の女子生徒、しかも三年生の先輩達だと気がついた時には、女子からぬ「奇声」とともに間近に迫っていた。
「ヒャッハー!? うわさ以上の上玉だね!」
「今日こそ処女とはオサラバだよおおっ!」
「気が早いよお前たち! 仕掛けるよ!」
仕掛けるって――何を!?
唖然とする瑞樹めがけて向かってくるのは、制服姿の女子三人組だ。
先頭は妙に背の低い女子、髪はポニテール。だけどワイドボディ。
二人目は片目を隠した髪型でギラギラとした視線が怖い細身の娘。
三人目は黒髪ロングヘア。眼光鋭い野武士のような印象の女子だ。
三人とも正直、微妙~に可愛いくない。
彼女たちは一直線になると、瑞樹のいる方へと走り込んできた。
鋭い光を宿す双眸は『狩る』人間のものだ。女子とは思えない飢えた獣のような迫力に瑞樹はたじろいだ。
何かが……ヤバい! 直感がそう告げた刹那。
「「「ラヴ・ストリィイイム・アタック!」」」
彼女らは絶叫と共に瑞樹に飛びかかって来た。いつの間にか彼女の口には『チョコパン』が咥えられている。
「私とぉおッ素敵なぁッ! 出会いウォオオオオッ!」
ドウッ! と地面を蹴ってさらに加速した先頭のデブは、食パンを咥えたまま瑞樹に向けて突進をかけた。もはや完全な殺人アメフトタックルの勢いだ。
「うわぁあ!?」
疾走のエネルギーが加味されたパワーは圧倒的。激突しようものなら、ただでは済まないだろう。
しかもパンには丁寧にチョコが塗られている。
――すてきな出会い。
彼女はそう叫んだのだ。
瑞樹は本能と直感で理解する。
今日はバレンタイン。
残念な先輩達が、青春のすべてを掛けて挑んできたのだ。
街角でパンを咥えたまま激突という「出会いのフラグ」と「バレンタインでの恋愛成就」を組合わせることで、瑞樹を我が物にしようというのだ。
「無理! 無理だからっ!?」
瑞樹は女子の渾身の一撃を、冷静に下に屈むようにスライドさせ紙一重でかわす。
ボクサー並みの強靭な下半身の動きは、いつも追い回してくる筋肉質の保健体育教師から逃げることで身に付けたものだ。
勢いあまってワイドボディ(仮称)は前のめりに転がり坂道を転がり落ちた。
「ぶひぃ!?」
ごろごろっ、と瑞樹の後方に豪快に転がってゆく。
「おのれ! よくも」
「こんな出会い、願い下げだよっ!」
「逃がしゃしないよぉおお!」
二人目の肉弾少女が野獣のような咆哮と共にパンを構えて突進してきた。
手に持ち替えた食パンには、明らかにコレステロール過多のピーナツバターがごってりと塗りたくってある。
近くで見るとニキビが酷い。ていうかもうチョコじゃないし。
こんなっ……運命の出会いとか冗談じゃないっ!
僕には、これから出会う運命の女の子が……いるはずなんだっ!
心臓がどくん、と強く脈動した。
――こんなこところで!
瑞樹は両足に力を込め思い切り地面を蹴った。細身の少年とは思えない、跳躍。
「やられるかぁあああっ!」
腰めがけて低く突進して来たピーナツバター娘を軽く飛び越える。
「なっ! なにぃいっ!?」
「跳んだ!?」
突然視界から消え、ピーナツバターの口から驚愕の吐息と悲鳴が漏れた。
瞬きほどの飛翔と落下感のなか、眼下ではピーナツバター娘が目標を見失い、よろめく。しかし--。
瑞樹は既に自分めがけ超回転しながら飛翔する複数の茶色い食パンを捉えていた。
「チョコパン!?」
三人目の野武士が手裏剣のごとく放ったのはチョコパンだった。
瑞樹はすでに落下軌道に入り逃げられない。次のの動きを冷徹に見抜き軌道を予測したとなれば、恐るべき手慣れ。見事な三人の連携攻撃といわざるを得ない。
「もらったあああ!」
勝利を確信した三人目が叫ぶ。
回転により飛び散るチョコレート。その泡沫の一滴でも身体に浴びれば、自分の青春がどうになかってしまう。そんな恐怖が瑞樹を再び突き動かした。
「まだ、だぁあああッ!」
それは、生きようとする少年の、魂の爆発だった。
瑞樹は地面を蹴り上げた右足とは逆の足で、今度はピーナツバター娘の背中を思い切り踏み抜いた。
左足がもにゅっ! と彼女の背中を踏みつけた感触を伝えてきた。
――すみません先輩ッ!
心の中で謝りつつ、落下のベクトルを強引に上昇に転じさせる。
それはまさかの空中二段ジャンプ。
「私を……踏み台にしたぁああ!?」
驚き、叫んだ時には、既に瑞樹は上空へと逃れていた。
高速回転していたチョコレートパンは空を切り、振り返ったピーナツバター娘の顔に見事に命中する。
「へぶしっ!?」
「よくも愛香をぉおおおっ!」
逆上する野武士娘。轟沈したニキビ顔のピーナツバターは愛華というらしい。
「キィエエエエエ!」
瑞樹の着地と同時に、野武士少女は手に持ったチョコパンで鋭い突きを繰り出した。
ビュッ! と瑞樹の端整な顔を禍々しい色合いのパンが掠める。
着地を見越した上での神速の突き――やはりこの野武士少女は只者じゃない。おそらく落ち武者か忍の家系、子孫を残しご先祖様の無念を晴らそうと、そんな重い宿命を背負っているのだろう(※憶測です)。
二人の視線が交差し、火花を散らす。
「どうしてっ……何故こんなことを!?」
「青春から遠く、見捨てられた者にはッ! ……こうするしかないのだ!」
「こんな形の、出逢いなんてッ! 間違ってるよッ!」
「貴様に何がわかる!? 男無し三年間という時間の辛さを! 黒い三年生と蔑まれた我ら、喪女の気持ちが!」
「知るもんか! 人は……自分の事だってわからないんだ!」
「誰もが望むだろう、リア充になりたいと。乙女のようでありたいと!」
「そんなッ! 貴女の理屈ッ!」
何かのロボアニメの最終バトルのような勢いで、野武士少女の愛を、瑞樹はことごとく軽やかなステップでかわしてゆく。
複数枚のチョコパンが同時に宙を舞い、四方からまるでファン●ルのように瑞樹に襲い掛かった。
「避けきれるものかよ!」
「――はぁああっ!」
瑞樹は必死でかわす。後ろからのブーメラン攻撃も、変化球も、保健体育教師(独身26歳男)の求愛接吻攻撃に比べれば、まだ見切ることができる。
「くっ!? おのれ、おのれぇえええっ!」
そして、均衡が破れる。
「僕には――! 出会いたい未来が……女の子が、いるんだぁあああっ!」
パシッ!
チョコパンを瑞樹はついに受け止めると、野武士少女へと叩き返した。手に次々と戻ってくるチョコパンに、切れ長の瞳が大きく見開かれる。
「わ、私たちの……ラヴ・ストリーム・アタックが……破られた!」
驚愕に目を開き、野武士娘はついにガクリと膝を落とした。
転がったまま起き上がる力もない一人目、顔にチョコパンが張り付いて動けない二人目、そしてチョコパンを手に両ひざを折る三人目。
通学路は、もう何がなんだかわからない事になっていた。
瑞樹はふぅ、と息を整えると、きゅっと制服のネクタイを整えて、踵を返し歩き出した。
けれど――数歩で足を止め、静かに振り返る。
「けど、気持ちだけは……、少し、嬉しかったです」
残念な三人娘がハッと瞳を見開く。
「高校に行っても、がんばってくださいね、せんぱい!」
朝日の降り注ぐ通学路で、瑞樹がまぶしい笑みを零す。
さわやかな風が、少年の髪を揺らす。
ズギュン、と三人は心臓を打ち抜かれたように衝撃を受け、自らの行いを恥じた。
「お、おおぅ!」
「あぁ……!」
「萌え……」
そして、リンゴーン……と始業のベルが祝福の鐘のように響き渡った。
少女たちはゆっくりと立ち上がると空を見上げた。
どこまでも広がる澄み切った青――。
きっとここから始まる新しい未来が、出会いが、自分たちにもあるのだと信じて。
<おしまい>