ベリーズ
煌々と輝く満月。
夜の匂いを含んだ風が、街を通り抜けていく。
白い光に照らされる空は闇色。
灯りの消えた街は、すでに眠りについている。
ーーーそこに、月光を避けるようにして、陰を駆ける者がいた。
小柄な影と、大柄な影。
双方共に黒いマントをはおり、深くフードをかぶっている。
ちらりと覗くのは、口元と、顔の上半分を覆う白い仮面。
その容貌は窺えない。
音もなく家々の陰から陰を渡り、重さを感じさせない動きで、ふと跳びあがった。
ある屋敷の屋根に降り立つと、二つの影は何事かを話し合い、一つ頷く。
そして、大柄な影が一瞬の間に姿を消した。
小柄な影は、それを認めると、己のいる屋敷を見おろす。
いくつかあるベランダを眺め、その一つに狙いを定めると、また重力を無視した軽さでそこに跳びおりた。
ガラス扉に近づくと、そっと鍵穴に手を触れる。
すると、カチャリ。とかすかな音が鳴った。
影は静かに扉を開き、内側に引かれた厚手のカーテンをくぐり抜け、闇に満ちた室内へと侵入した。
一度中を見渡すと、扉のすぐそばにあった寝台へと近づく。
柔らかな寝具に包まれ、そこには一人の青年がぐっすりと眠っていた。
影は青年の枕元に膝をつくと、そっと掛け布をめくり、青年の片腕を露わにする。
寝間着の袖のボタンを外し、少し上へまくれば、男にしてはほっそりした手首が晒された。
青白い肌に触れ、透けて見える血管を指でなぞる。
青年は目を覚ます気配もなく、静かに息を吐いている。
その顔を数瞬見つめて、影は青年の腕を持ちあげた。
手首に顔を寄せ、口を開く。
見えたのは、鋭い切先の、長い、白い、一対の牙。
影はーーー躊躇なく青年の手首に噛みついた。
牙がするりと肌に沈む。
それを少し抜くと、途端に鉄の味を伴った血潮が滲んだ。
こぼさぬように唇を寄せて、ゆっくりと血を飲み始める。
一度肩をぴくりと浮かせ、しばらく影は動かなかった。
・・・・・・やがて、満足した影は、牙を完全に抜き、流れ出る血を飲みながら、その切れ目を舐める。
何度か続けると、切れ目は初めからなかったように消えた。
影はマントの内を探ると、ハンカチを取り出して、青年の手首を丁寧に拭った。
袖を直し、優しく腕をおろす。
それから、掛け布を戻して青年の顔を覗き込んだ。
「ーーーー」
小さく何事かを囁くと、さっと身を翻し、影は部屋を出た。
鍵穴に触れ、小さな音を耳で拾う。
そして、ベランダの手すりに無造作に足をかけ、落下するように地面におりた。
すると、大柄な影が背後から現れ、声をかける。
小柄な影は肩をすくめる仕草をして、ついさっきおりたベランダを指さした。
大柄な影は、そこに一瞬顔を向けた後、小柄な影の頭を二度撫でて、すっとその身を陰に溶かした。
すぐに小柄な影もそれに続き、闇だけがその場に残される。
ーーー二つの影が去った屋敷で。
吸血された青年がゆっくりと目を開いた。
『あなた、人間にしては美味しかったわ』
その瞳を、困惑と甘美な感情で揺らしながら。