第47話
蝶々さんは桜の無茶なお願いには慣れているのか、驚く様子はなく、ただやれやれと苦笑していた。
「まったく、桜ちゃんはわがままなんだから」
「えへ。だって先生が言ったんだよ。やりたいことはどんどん言いなさいって。お願い、先生」
「……もう、仕方ないな」
蝶々さんは諦めたように息を吐くと、桜に繋がっていたチューブを外し始めた。
「ちょっと蝶々さん、なにしてるの……!?」
「海に行くのよ。しおちゃんも手伝って」
「でも……」
そんなことをしたら、桜は。ためらう僕の横で、蝶々さんは桜に問いかける。
「大丈夫。桜ちゃん、頑張れるんだもんね?」
「うん」
桜は頷く。力強く。
「でも、これじゃとても電車になんて……」
「大丈夫。私が連れていくわ」
「蝶々さんが?」
「私、先に車持ってくるから、しおちゃんは桜ちゃんを車椅子に乗せて、玄関まで連れてきてくれる?」
蝶々さんは真剣な顔で僕に言った。
本気だ。彼女は本気で、桜を海へ連れていこうとしている。
それでも戸惑う僕の手を、桜が握った。
「汐風くん。私は大丈夫だよ」
桜はいつも、先に進めないままうずくまる僕の手を取ってくれる。僕を前に進ませてくれるのは、いつだってこの小さな手だ。
僕は、いつまで彼女に甘えるつもりだろう。もう、時間がないというのに。
最後の願いくらい、僕が叶えてやらなくてどうするというのだ。
「……分かった」
僕は病室の隅に畳んであった車椅子を持ってくると、桜を横抱きにして持ち上げる。
さっきは、悲しいくらいに軽いと思った彼女の身体。……だけど、軽いけど、ちゃんと重い。
「行こう、海に」
「うん!」
それまで生気がなかった桜の顔に、みるみる血色が戻っていく。まるで蕾が開花するときのような感動を覚える。
あぁ、生きている。
それは、桜がたしかに今ここに生きていると感じられる笑みだった。




