第42話
「ねぇ、桜。僕、考えたんだ。さっき君が言っていた、生まれてきた意味ってものを」
考えたけど、やっぱり正解は分からなかったよ。そう、正直に告げる。すると桜は寂しげに目を伏せた。
「だけど、僕なりの答えは出せたよ」
桜が顔を上げた。
「君は、生まれたときからずっと、お姉さんを助けなきゃって……そう思って生きてきたんだよね」
だけど、助けられなかった。
お姉さんを助けることを使命だと信じてきた桜のその苦しみは、僕にはとても計り知れない。
……だけど。
「君の手は、お姉さんには届かなかったかもしれない。だけど、手を差し伸べてたのは、君だけじゃないと思うんだ」
「……どういうこと?」
桜が困惑気味に窓に近付いてくる。
「君と同じように、お姉さんも君に手を差し伸べてたんじゃないかな。……こんなふうに」
僕は、目の前に立つ桜の手にじぶんの手を合わせる。ぴったりと重なり合う手を、桜は見つめる。
桜は苦しげに顔を歪ませて、僕の手を離した。
「……違うよ。お姉ちゃんを助けるのは私の役目だけど、お姉ちゃんはべつに……」
やっぱり、と思った。
桜はお姉さんの死に自責の念を強く感じている。そして、桜はじぶんも守られるべき側だという概念がない。
ないなら、教えるしかない。僕が。
「桜は、お姉さんを助けられなかったんじゃない。お姉さんに助けられたんだよ」
桜が目を見張る。
「助け……られた……?」
桜は僕の言葉が理解できない子どもみたいに、ぽかんとしている。
「私が……?」
「うん、そうだよ」
桜は、じぶんは守るべき側で、守られるべき側であるだなんて、考えもしなかったのだろう。
桜は、生まれながらにじぶんが姉にとっての特効薬であると思い込んできた。いや、思わされてきた。
こんな閉鎖的な環境で生きていれば、その考えは大抵のことでは覆らないだろう。
「お姉さんは、君を守るために手を伸ばした。そして、じぶんがいなくなったあとは、蝶々さんに託したんだ。ねぇ、桜。お姉さんと過ごしたときのことをちゃんと思い出してみて。桜はずっと愛されてるし、守られてるんだよ。今も、ずっと」
そういうと、桜はまた顔をくしゃっと歪め、泣き顔を作った。その瞳に、みるみる涙の膜が張っていく。
「違うよ……お姉ちゃんは……私のせいで死んだんだよ……」
呟く声は、ひどく震えていた。
「違う。君のお姉さんは、愛する妹を助けたんだ。桜がお姉さんの死をそんなふうに思ってしまったら、お姉さんきっと悲しむよ」
「……お姉ちゃん……」
「お姉さんは、命を懸けることもいとわないほど、君のことを愛してたんだ」
「あい、されてた……私、お姉ちゃんに……っ」
桜は再び泣き出した。今度は、わんわんと声を上げて。
姉の死を受け入れているように見せかけて、しかし本当のところはずっと、その悲しみから目を逸らしていたんだろう。
桜には、お姉さんを失った悲しみを打ち明けられる相手がいない。
どれほど孤独だっただろう。
桜は、姉の死としっかり向き合うこともできないまま、ずっと孤独のなかで生きてきたのだ。
必死に上を向いて、花を見上げてきたのだ。
じぶんのせいで姉が死に、じぶんだけが生きているという現実をその身に背負いながら。
ひとりで抱えるには、少々大き過ぎる荷物だ。
じぶんが何者か、なんのために生まれたのか、生きる意味が分からなくなってしまうのも無理はない。
たしかに桜はふつうとは違うかもしれない。
ふつうのひとは、桜の存在を否定するかもしれない。
だけど、そんなことは僕にはどうだっていい。
僕がどう行動するか、その決定権を持つのは僕だけだ。
だから僕は桜に向き合う。そして、桜にとっていちばん最善の選択をする。
「……ねぇ桜。僕が出した答え、聞いてくれる?」
子どものように泣きじゃくる桜の目元を、僕は指の腹で優しく拭ってから、目を合わせた。
「桜が生まれてきたのはね、お姉さんに愛されるため。蝶々さんに守られるため。……それから、僕と出会うためだよ」
続けて、はっきりとした声で言う。彼女の心に、届くように。
「君と……出会うため……?」
「僕は君と出会って救われた。だから、今度は僕が君を守るよ」
すると、さっきまで泣いていた桜は、今度はくすくすと笑い出した。
「ふふっ……」
「おい……なんで笑うんだよ。ひとがせっかくいいことを言ってるのに」
「ふふっ……ごめん。なんか、らしくないからさ」
桜の顔に笑顔が咲く。ようやく見られた桜の笑顔に、僕はほっと息をついた。
桜は目元を拭いながら、僕に訊ねた。
「ねぇ……汐風くん。私は……生きていてもいいのかな?」
「……当たり前じゃん」
桜は少し顔を俯け、恥ずかしそうに微笑んだ。そして、顔を上げてまっすぐに僕を見た。
「……私、生きたい。気持ち悪いって思われても、みっともないって思われても、生きたい。私は、お姉ちゃんが大好きだったから。汐風くんに……好きなひとに出会えたから」
蒼ざめた深水のような瞳には、ただひとり、僕だけが映っていた。
「錦野汐風くん。私は、汐風くんのことが好きです」
生まれて初めて、受けた告白だった。
嬉しくて、飛び上がりそうになるのを必死でこらえ、負けじと言う。
「僕も、好きです」
桜は心底嬉しそうにはにかんだ。
僕はポケットをまさぐって、あるものを取り出す。
「ねぇ、これ……今度こそもらってくれるかな?」
取り出したのは、あの日突き返されてしまった、黒猫と桜のキーホルダー。
桜はほんの少し申し訳なさそうに、僕の手のなかで揺れるキーホルダーを見つめた。
「つまりその……付き合ってくれませんかってことなんだけど」
桜は一度僕を見てから、手のなかのそれへ視線を移す。そして、僕の手ごと、両手でぎゅっと包み込んだ。
「はいっ!」
桜が笑う。雨が止み、雲の隙間から覗いた太陽のような、とても晴れやかな笑顔だった。
こうして僕たちは、恋人同士となった。




