第35話
「……ごめんね。これ以上は、言えないわ」
蝶々さんが目を伏せる。突然線引きをされ、僕はたまらず蝶々さんに食い下がる。
「ちょっと待ってください。もっと彼女のこと、教えてください」
食い下がる僕に、蝶々さんは首を振る。
そんなの困る。これでは、ただ疑問が増えただけだ。このまま引き下がるわけにはいかない。こんな中途半端なところで引いてたまるか。
「教えてください。僕は興味本位で聞いてるわけじゃない。移植をしなくてよくなったのなら、なんで彼女は今も入院してるんですか? ……なんで彼女は、もうすぐいなくなっちゃうなんて言ってるんですか?」
詰め寄ると、蝶々さんは苦しげに唇を引き結んだ。
「……知っても、どうにもならないよ。しおちゃんが辛いだけ」
「それでもいいです。辛くても、後悔するよりいい」
僕は頭を下げるが、しかし、蝶々さんは口を閉ざしたままだった。
「踏み込まなかったことを、後悔したくないんです。蝶々さんみたいに」
僕の言葉に、蝶々さんは少しだけたじろいだ。けれど、かまうもんか。気持ちが大事だと言ったのは、蝶々さんなのだ。
この街に来た頃僕は、ひととかかわる気なんてこれっぽっちもなかった。面倒だし、だれかを傷付けたくないし、傷付けられたくもなかったから。……だけど。
僕はぐっと拳を握る。
今は、違う。今は、変わりたいと思っている。
間違えたと気付いたときはどうするべきか。転んだときは、どうするべきなのか。
気付きや後悔は成長の証なのだと、彼女が教えてくれたから。
子どもだって知ってることを、すっかり忘れていた僕に。
「僕は……桜のおかげでいろんなことを思い出せました。花の色とか生き物の温度とか、匂いとか。当たり前のことだけど、見落としてしまいがちなこと、たくさん……思い出せたんです」
途中から、声が震えていた。
仔猫が小さくてふわふわしているということも、お弁当が美味しいのも、虹が儚いものだというのも。
この世のすべてが当たり前なんかじゃないということを、桜が教えてくれた。
僕の考えがだれかにとっての当たり前じゃないということ。だれかの考えが、僕のなにかを変えるかもしれないということ。
桜が、この世界の広さを教えてくれた。ひととかかわることの楽しさを思い出させてくれた。
蝶々さんは、僕の訴えを遮ることなく静かに聞いていた。
「……最近、しおちゃんはすごくいい顔するようになったなって思ってたんだ。桜ちゃんのおかげだったのね」
そっか、と蝶々さんは何度も呟いて、目元を拭った。泣いているようだった。
「……分かった。だけど、約束して。これから話すことはぜったいにだれにも話さないって」
これから聞くことは、それだけ重要なことなのだと、蝶々さんの目を見てはっきり感じる。だからといって、逃げる選択肢は僕にはなかった。
「……分かりました」
僕は力強く頷いた。




