第33話
週末、僕は、結賀大学附属病院に向かっていた。
彼女が入院しているその病院は国立機構で、県内でも有数の大学病院である。
特に研究施設が充実していて、敷地内にはラボと呼ばれる国立科学研究所も併設され、最先端医療の研究が行われているという。
敷地内には、たくさんの外来患者や入院患者、そしてスタッフたちがいる。
僕は脇目も振らずに正面玄関に向かった。
正面玄関からなかに入り、受付に行く。
受付には女性がふたりいて、そのうちのひとり、目が合った女性に声をかけた。
髪をうしろでひとつに束ねた、穏やかそうな物腰の女性だ。
「……あの、ここに千鳥夢さんというかたが入院していると思うんですが、病室を教えていただくことはできませんか?」
訊ねると、女性は眉を下げて申し訳なさそうな表情を作った。
「申し訳ありません、こちらでそういった個人的な取次は行っておりません」
早々に断られたが、想定通りだ。
僕は続けて、用意しておいた手荷物を掲げて女性に見せる。
「その……入院の荷物を届けに来たんですけど、どうにかなりませんか。取り次いでもらえれば、分かると思うんですけど」
懇願するようにもう一度頼み込むと、受付の女性は、そばにいたもうひとりの受付の女性と困ったように顔を見合わせた。
「申し訳ございません。ですから……」
再び断られそうになったそのとき、背後から声が飛んできた。
「――ねぇ。あなたって、さくらの森の学生さんよね?」
振り返ると、スクラブ姿の女性が立っていた。看護師だろうか。
「あの……?」
困惑気味に女性を見ると、女性は柔らかく微笑んだ。
「あぁ、いきなりごめんね。夢ちゃんの名前が聞こえたから、つい」
「え、あの……もしかして、千鳥さんをご存知なんですか?」
驚いて女性に訊ねる。ようやく、女性の情報が視界から入ってきた。
歳は蝶々さんと同じくらいだろうか。細身で垂れた目元が印象的な、きれいな女性だ。
「あなた、もしかして夢ちゃんのお友だち?」
訊ねられ、唇を引き結ぶ。
彼女が言っている『夢ちゃん』という女性が桜のことかは分からない。
だが、この機会を逃してはいけない。そう、心が言っていた。
「はい」
頷くと、女性は優しく微笑んだ。
「私、奈良美和子」
「奈良……?」
「ねぇ、よかったら少し話さない?」
「あ、はい。ぜひ」
それから、僕たちは休憩スペースに移動すると、空いていたテーブルに向かい合って座った。
「これどうぞ」
奈良さんは涼太によく似た笑みを浮かべ、僕にお茶のペットボトルを差し出した。
「あ……ありがとうございます」
「実はね、私の息子もさくらの森の一年生なのよ」
その瞬間、女性の顔と僕の知り合いの顔が勝手に照合された。
「それってもしかして、奈良涼太くんですか!?」
「あら、息子を知ってるの?」
奈良さんは驚いた顔をして、僕を見つめる。
「はい。友だちです!」
なんと、彼女は涼太の母親だった。まさかこんなところで会うとは思わず、驚愕する。
そういえば、涼太は以前、母親は結賀大学附属病院に勤めている看護師だと言っていた。
「で、どうしたの? 夢ちゃんのこと知りたがってたみたいだけど」
差し出されたペットボトルを受け取りながら、僕はさっそく話を始める。
「あ……その、ここに入院してる千鳥さんに会いたくて。千鳥さん、最近学校に来れてないから」
正直に告げると、奈良さんはしばらく僕をじっと見つめてから、低い声で訊いた。
「……わざわざ、病院まで?」
ごくりと息を呑む。
「……そう、ですけど」
奈良さんは怪訝そうな顔のまま、僕をじっと見つめる。
「……そう。錦野くんは、夢ちゃんとはどういった関係なの?」
「……友だちです」
こういうとき、恋人ですと言えたら話は早かったのだろうけれど、残念ながら今の僕は、彼女とはなんの関係もない。
「……あの、彼女に込み入った事情があるのは分かってます。分かった上で聞いてます」
沈黙が落ちる。しばらくしてから、奈良さんが口を開いた。
「……私ね、彼女の担当看護師だったの」
「えっ」
さすがに声を抑えられなかった。
「彼女が病棟を移る関係で、私が彼女を担当していたのは二年前までだったから、それ以降の彼女については詳しくないのだけど……」
「……あの、彼女はなんの病気だったんですか?」
「先天性心疾患よ。幼い頃から入退院の繰り返しで、学校にもほとんど行けなくて……いろいろ我慢ばっかりしてきたはずなのに、文句ひとつ言わない優しい子でね」
奈良さんは懐かしそうに、すっと目を細めている。彼女とはかなり親しい仲だったのだろうか。
「……あの、千鳥さんはなんで病室を移動したんですか?」
「それはね、移植のためよ」
「移植?」
「そう。ドナーが見つかったってことで、その準備のために病室を移動することになったの」
――移植。
なんとなく、僕のなかで点だったものが線になったような気がする。もしかしたら、彼女が僕に名乗った『桜』という名前は、彼女に臓器を提供したドナーの名前なのかもしれない。
「でも、高校に通ってるって聞いて驚いたわ。そっか……元気になったのね、夢ちゃん」
奈良さんは、土にじわっと染み込んでいく水のように、ゆっくりと表情を変えた。心から安堵した顔だった。
けれど、僕の心は暗いまま。
なぜなら彼女は別れ際、じぶんはもうすぐいなくなると言っていたのだ。奈良さんの話が事実なら、移植は既に済んで、元気になっているはずなのに。
「……あ、それでね。彼女の今の病室は、実は私も知らないの。その代わり、彼女の担当の先生のところに案内するわ。彼女の許可が取れれば、会わせてくれると思うから」
「本当ですか!?」
奈良さんの提案に、僕は前のめりに礼を言う。
「ありがとうございます……!」
「……あなた、夢ちゃんのこと大好きなのね」
ハッと、息が漏れた。
僕は一度唇を引き結び、顔を上げる。
「……はい。好きです」
はっきりと頷くと、奈良さんはわずかに目を見開いて、そしてふっと笑った。
「そっか」




