第30話
――中学時代、ひとりぼっちになった頃のことだ。
あの頃の僕には頼れるひとがだれもいなかった。先生にも、親にも話せなくて、いつも孤独だった。
孤独に、うずくまっていた。
たとえば、みんなが羨ましがるような子が転校してきて、その子がたまたま前から僕と友だちで、僕のことを好きでいてくれて、僕を特別な友だちなんだとみんなに紹介してくれたら。
何者でもない僕だけど、その子にとっては特別で、だから特別な子の友だちである僕をいじめてたみんながおかしい。そんなふうに世界がなってくれたらって、いつも思っていた。
だけどそんなことは有り得ない。有り得ないことだけど、そんなことでも考えてなければ、死んでしまいそうだった。
クラスメイトはもちろん、保健室すら僕を受け入れてくれなかったから。
僕は、保健室がきらいだった。教室にいられなくて保健室に行くと、先生が〝またか〟って顔をするから。その顔を見るのがいやだった。
きっと先生は、熱もないのにことあるごとに頭が痛いお腹が痛いと言って休みに来る僕が気に入らなかったのだろう。
それでも、受け入れてほしかった。
優しい言葉をかけてほしいなんて言わない。ただ、あそこにいさせてくれるだけで良かった。
だけど結局、保健室も保健室の先生も、僕の居場所にはなってくれなかった。
保健室に行くたびに先生のため息が聴こえてきて、いつしかため息を聴くたび、耳を塞ぐクセがついた。恐ろしかった。じぶんの存在を否定されているようで。
それで結局、僕は学校という場所に行かなくなった。
それきり引きこもるようになった僕を見かねた母が、蝶々さんに連絡した。そして、しばらくこの家に住むことになった。
あのときの僕は、それほど蝶々さんを信頼していたわけじゃなかった。
神奈川から遠く離れた田舎に住む叔母だ。ほとんど会ったことなんてなかったし、年末年始などに実家に来たときも、ちょこっと挨拶をする程度だった。
だけど、あのときはなぜか話せたのだ。理由は思い出せないけれど。
『――仕方ないんだ。僕、明らかに仮病だったから』
学校に行けなくなった理由を自虐気味に話した僕を、蝶々さんは強い口調で否定した。
『違うよ』
記憶のなかで蝶々さんは、いつも穏やかな喋りかたをするひとだったから、きっぱりと否定されて、冷や汗をかいたのを覚えている。だけど、彼女の口から続いた言葉は、涙が出るほど優しい言葉だった。
『心が痛かったのは本当なんだから、仮病なんかじゃないよ』
『仮病じゃない……?』
胸を押さえた。考えもしなかった。
僕は、仮病じゃなかった?
『そうよ。そこはぜったい、間違っちゃダメ。譲っちゃダメ。しおちゃんは、心が痛くてたまらなかったから、保健室に行ったの』
蝶々さんは、静かに怒っていた。僕を怒るんじゃなくて、僕の気持ちになって怒ってくれたのだ。怒る気力すらなかった僕の代わりに。
『しおちゃんは悪くない』
その言葉は、当時僕がずっとほしくて、でもだれも言ってくれなかった言葉だった。
当時だれにも理解してもらえなかった僕にはどうしようもなく胸にきた。
『たとえ身体が元気でも、心が死んだらひとは生きていけないから。だからね、生きてるってことはすごい奇跡なのよ。だからしおちゃん、怒りなさい。生きるために』
――怒る……?
『しおちゃんの心は今、怒ってる。だけどそれを隠してる。本音は隠しちゃダメ。じぶんでじぶんの本音を誤魔化し続けていたら、いつかじぶんの気持ちが分からなくなっちゃうよ』
僕は、怒っていたのか。今さら気付く。
『僕は、怒ってもいいの……?』
『うん、いい。むしろ、怒らなきゃダメよ。思ってること、なんでもいいからちゃんと声に出すの』
声に出す。じぶんでもまだ整理できていない感情を、声に。できるだろうか。
尻込みする僕に、蝶々さんは言う。
『上手く言おうとかしなくていい。とりとめがなくてもいい。言葉じゃなくてもいいよ。なんでもいいから、言ってごらん』
僕は深く息を吸って、ゆっくり吐きながら『僕は』と呟く。
『僕は……せめて保健室でもいいから……居場所がほしかった。先生に、いていいよって言ってほしかった。でも、言ってくれなくて……だれも、僕を見てくれなくて……僕は完全にひとりなんだって思った。だから、僕はひとりでも大丈夫なんだって言い聞かせてた』
一度言葉を切ると、ぽろっと涙が落ちた。あふれ出す涙にかまわず続ける。
『本当は、なんで僕がって思ってた。僕はなにもしてない。なんにもしてないのに……みんな信じてくれなくて』
『うん』
『……すごく、怖かった。ずっとずっと怖かった……! このままずっとひとりなのかもって考えたら、怖くて……死んじゃいたかった……っ!』
僕はみっともなく泣きながら、胸の内を吐き出した。
あのとき、僕は初めて本音を口にできたのだ。
『よく……頑張ったね』
蝶々さんは、泣きじゃくる僕を力いっぱい抱き締めてくれた。その腕の強さが、余計に僕の涙腺を緩ませた。
心の器が爆発したみたいに、僕のなかに澱んでいた感情が決壊して、あふれ出した。
『同年代のひとたちを見るたび、なんで僕だけこんな目に遭わなきゃいけないんだろうって思ってた。みんなに馴染めない僕はどこかおかしいんじゃないかって……だからずっとじぶんを好きになれなくて……ずっとずっと、不安だった』
叫ぶように訴えた。
弱虫なじぶんがだいきらいだった。
ひとりでいいと強がりながらも、だれかが声をかけてくれたらいいのにと、そんなことばかり考えてしまうじぶんが情けなくて、たまらなくきらいだった。
あのとき僕は、とにかく溜まっていた想いを叫び続けて、蝶々さんは、そんな僕の想いをひとつ残らず受け止めてくれた。




