第24話
放課後、学校帰りのことだった。街中を歩いていると、すぐ近くから名前を呼ばれた気がして我に返る。
顔を上げると、紫之宮神社の鳥居が見えた。いつの間にか神社へ続く通りまで来ていたらしい。
神社の入口には、黒い影。
僕に声をかけてきたのは、例の黒猫……ではなかった、ネコ太郎だった。ネコ太郎は僕を見るやいなや、てんてんと軽やかにやってきて足に絡みついてくる。
しゃがんで喉を撫でてやっていると、スマホが鳴った。スマホの画面には、『凪』の文字。僕は通話ボタンをタップした。
「もしもし、凪?」
『やっほーしお。今なにしてる?』
「べつになにも。ちょうど帰ってるとこ。それより、いきなり電話なんてどうしたの?」
『いや。なんとなくどうしてるかなって思ってさ。迷惑だった?』
「いや、べつに」
まるで恋人同士のような会話に、僕は思わず苦笑する。
なんだか、夢のようだ。凪とまた、こんなふうに話せるなんて。
『しお、最近どう?』
「べつになにもないけど。凪は?」
『あー、俺はあれだな。初の中間で、赤点ふたつとった!』
「勉強しなかったのかよ」
『したけど、山が外れたんだよ。……あ、それからさぁ、俺、彼女できた』
「ふぅん……」
あまりにナチュラルにビッグニュースをぶっ込んできたものだから、一瞬スルーしそうになる。
「えっ!? ちょっと待って、彼女!? 凪が!?」
スマホを落としかけた。
『……なんだよ、悪いか』
「いや……べつに悪くはないけど……ちょっと意外で。凪、好きな子いたんだ」
『おな中だった坂下だよ。坂下真由。覚えてるだろ?』
「坂下って……」
すうっと、記憶があの頃に引っ張られる感覚に陥る。
その名前には、もちろん聞き覚えがある。中学のとき、凪が片思いしていた女の子だ。僕と凪が喧嘩したきっかけになったひとでもある。
「……もしかして、そのことを言うためにわざわざ?」
『言うかどうか迷ったんだけどさ、しおにはいろいろ迷惑かけたし、話しておきたいなって。……こんな話、しおは気分悪いかもしんないけど』
当時の記憶がよみがえり、胸が痛む。
たとえ彼女が悪いわけではないと分かっていても、僕が彼女に感じる感情は気分が良くなるものではない。
彼女がいなければ、僕はあんなに辛い思いはせずに済んだのに、と、どうしても思ってしまうのだ。
だけど、感じた思いはそれだけではなかった。
『まだ好きだったのか、とか思ってるんだろ?』
本心を言い当てられて、心臓が跳ねた。
『じぶんでも重いなとは思うよ。しおをあんな目に遭わせておいて、それでも真由が好きなじぶんに罪悪感もあった。だけど、それでも好きだったんだ』
その言葉で、凪のなかの葛藤が垣間見えた気がした。
『大人になったら、結婚したいと思ってる』
「……そうか」
ようやく気付いた。
そうだったのだ。
凪は、本気で彼女に恋していたのだ。
当時、凪から噂を流した理由を聞いたときは、くだらないと思った。
そんなことのために僕を裏切ったのかと。それなのに凪は謝るどころか逆ギレしてきて、余計に腹が立った。
あの頃の僕は、凪の気持ちに共感することができなかった。
だけどもし、今僕が凪の立場だったら?
たとえば僕にどうしようもなく好きなひとがいて、そのひとが凪を好きかもしれないとしたら。
凪のことは好きだ。裏表がなくて良い奴だし、凪の明るさには何度救われたか分からない。
だけど、だからこそじぶんと比べて、自信を失くしてしまうかもしれない。
たとえばそう。もし、僕より先に凪が桜と出会っていたら。
考えただけで、胸に針が刺さったような痛みを覚える。
あのときはまったく理解できなかったけれど、今なら凪の気持ちが少し分かる気がした。
少なくとも凪にとっては、〝そんなこと〟ではなかったということ。
彼女のことを本気で好きだったから、怒ったのだ。
思えばあの頃、僕たちのあいだに隠しごとなんてないと思っていた。
だけど僕は、凪に好きなひとがいるだなんてこれっぽっちも知らなかった。凪はなぜ、僕に好きなひとがいると打ち明けてくれなかったのだろう。
彼女が僕を好きかもしれないと思っていたから?
……違う。
僕が、話す機会を与えなかったのだ。
僕は当時、恋なんてまったく興味がなかった。たとえそんな話になっても、軽く聞き流していただろう。もしかしたら、凪は話してくれていたかもしれない。僕が聞き流して、覚えていないだけで。
凪とは話が合うと思っていた。
けれど、違う。
凪は、僕に話を合わせてくれていたのだ。
ずっと、じぶんばっかりが被害者だと思っていたけれど。
思いを踏みにじっていたのは、僕も同じだったのかもしれない。
なんで今まで気付いてやれなかったんだろう……。
彼の気持ちに気付けなかったじぶん自身に、猛烈な不甲斐なさを感じる。
「……凪、あのときはちゃんと話を聞いてやれなくてごめん」
改めて謝ると、凪がスマートフォン越しに狼狽えるのが分かった。
『な、なんだよ、急に』
「……ううん。なんかそう思ったんだよ」
ごめん、ともう一度謝ると、凪は照れくさそうに、
『よく分かんねーけど、まぁ、うん……』
と頷いた。
「……それから、おめでとう」
心からの言葉を贈ると、凪はやはり照れくさそうに『ありがとう』と笑った。
今さら気付くなんてと思うけれど、気付けないままでいるよりはずっといい。
凪の本心と僕自身の過ちに気付けた今、少しだけ、あの日のじぶんが救われたような気がした。




