第22話
「……それは、夢って名前がきらいってこと?」
訊ねると、彼女は首を横に振る。
「ううん。きらいじゃないよ。大好き……。だけど……だけど、ずっと夢でいるのは、苦しいんだ」
「苦しい……?」
僕は眉を寄せる。
「夢って名乗るのも、夢って呼ばれるのも、苦しい……」
千鳥さんは言葉を詰まらせながら、途切れ途切れに言った。
肩が震えている。今にも泣き出してしまいそうな彼女の姿に、僕も胸が痛んだ。
どういうことなのだろう?
眼差しで訴えると、彼女はそれ以上の追求を拒むように目を伏せた。
「……ごめん。これ以上は、話しちゃいけないって言われてるから言えない」
「…………」
それ以降、口を閉ざしてしまった彼女に、僕はどうしたらいいのか分からなくなる。
これ以上詳しく聞くことはできない。だけど、これだけでは彼女がなにを抱えているのか分からない。
ほかになにか、彼女にしてあげられることはないだろうか。
彼女は勇気を出して、僕にこの秘密を打ち明けてくれたのだ。その気持ちに応えたい。
顔を上げて千鳥さんを見ると、彼女は心もとなげな顔をしていた。
その顔を見て、気付いた。
……違う。気持ちに応えたいとか、そういうことじゃない。気の利いた言葉なんて、彼女は求めていない。
彼女が求めているのは、あのとき……僕が凪と向き合ったあのとき、凪に言われて救われたあの言葉だ。
「……ありがとう」
「え?」
千鳥さんが僕を見る。驚いた顔をしていた。
「なんで、汐風くんがお礼を言うの?」
「……えっと、うまく言えないけど、これが今、君の話を聞いた素直な感想。なんていうかさ、嬉しかったんだ……君が僕にこの話をしたいと思ってくれたこと自体が」
正直な想いを伝えると、千鳥さんは顔を歪ませた。
「僕も同じだったから。親友に電話したとき、怖かった。でもね、勇気を出して話したら、ありがとうって言われたんだ」
お前、だれ? って言われるかと思った。僕のことなんて、凪のなかではもう存在しない人間になっているかもと。
だけど、それは僕の勝手な思い込み。
凪は僕のことをちゃんと覚えていてくれた。後悔してくれていた。
この胸を抉った傷は、消えない。傷痕となって、この先もきっと、一生消えることはないだろう。
だけどもう、疼くことはないのだ。僕はそう、確信している。
「千鳥さん。お願いがあるんだ」
「お願い……?」
僕は頷く。
「ふたりのときだけでいいから、君のことを……桜って呼びたい」
「え……」
千鳥さんは大きな瞳をさらに大きくして、僕を見つめる。
「君の名前を呼びたい」
そう、まっすぐに告げると、彼女は目尻に溜まっていた涙を拭って、嬉しそうにはにかんだ。
「うんっ……私も、汐風くんには呼んでほしい。私の名前」
まるで花が咲いたような笑顔だった。
ようやくいつもどおりの彼女の笑顔が戻ってきて、僕は安堵する。やっぱり、彼女には笑顔がいちばん似合う。
話に区切りがついたところで、タイミング良く料理が運ばれてきた。
「うわぁっ!! 美味しそう!」
ソースたっぷりのオムライスを前に、桜はやっぱり瞳をきらきらさせて喜んでいた。
僕は、ただのオムライスを大袈裟に喜んで食べる彼女を飽きもせず眺めていた。
「……それで、今日の予定だけど」
オムライスを食べながら、僕は彼女に問いかける。
「このあとどうする?」
千鳥さんが弾かれたように顔を上げる。
「えっ、このあとも付き合ってくれるの?」
「まぁ……ここまできたんだしね。どうせだから付き合うよ」
「じゃあ私、海が見てみたい!」
「え、海?」
「うんっ」
突飛な提案に、僕は思わず目を丸くする。
「う、海か……。だけど海はさすがに、今からだと厳しくないかな」
「そうなの?」
「桜、今日もお昼には戻らないといけないんだよね?」
「うん」
それだとやはり無理だ。
ここは栃木県。海はない。近隣の海だと茨城県だが、電車ではかなり時間がかかってしまう。
そう説明すると、桜は途端にしょぼくれてしまった。あんなに嬉しそうに食べていたオムライスを、今度はしょぼくれたままもそもそと食べ始める彼女に苦笑しつつ、僕はスマホを開く。
「……あのさ、今日は無理だけど、またべつの日に行こうよ。たとえば、一日外出を許可されたときとか」
そう提案すると、彼女の手が止まった。
「一日外出なら行ける!?」
「うん。行ける」
「分かった! 約束だよ。ぜったい行こうね! うそついたら針千本だからね!?」
と、桜が小指を差し出してくる。
僕も笑いながら、その小さな小指にじぶんの小指を絡めた。
「うん、約束」
それから、僕たちはしばらくカフェでのんびりしたあと、街中のショップをいくつか見て回ってから、紫之宮神社へ戻った。
相変わらず桜の木の周辺に生息する黒猫とじゃれ合いつつ、そろそろ彼女を病院へ送らなければいけない時間だろうかとスマホを見たとき、メッセージが一件届いていることに気付いた。
「あれ、涼太からだ」
「えっ、なになに。なんだって?」
呟くと、それまで黒猫を撫でていた桜が立ち上がり、僕のいる能舞台へとやってくる。
「私にも見せてー」
桜は無遠慮に僕の手のなかを覗き込んでくる。その拍子に、彼女の二の腕が直に僕の腕に触れた。
「っ!」
僕のすぐ真下に、千鳥さんの小さな頭部がある。不意に、千鳥さんが僕を見上げた。彼女の蒼ざめた瞳と目が合った瞬間、心臓が今までにないほど大きな音を立てる。
「汐風くん、どうしたの?」
「えっ……あ、う、ううん。なんでもない」
僕は慌てて顔を逸らし、涼太からのメッセージを開いた。
内容は、今日晴れて志崎さんと付き合うことになったというおめでたい報告だった。
「えー! すごい! 彩ちゃん、告白したんだ!」
メッセージを見るなり、桜が興奮気味に歓声を上げる。
「君のところにも志崎さんからメッセージきてるんじゃない?」
何気なく訊くと、彼女は苦笑いをして言った。
「あー……私、スマホ持ってないから」
「あ、そっか。ごめん……」
「ううん、べつに」
彼女の反応に、特別気にした素振りはない。
「……ねぇ、スマホがないって、不便じゃない?」
「うーん……そうでもないかなぁ。病院では、あっても使えないしね。スマホ自体そもそも持ってたことないから、ない生活が当たり前だけど」
「そっか」
「まぁでも、興味はあるけどね。ゲームとかできるんでしょ? あと、好きなひととメッセージ交換とか話したりもできるから、スマホは恋する乙女には必須のアイテムだって彩ちゃんが言ってた」
「ふふっ……」
思わず小さく噴き出す。
「えっ、なんで笑うの?」
桜は不思議そうに首を傾げる。
「いや、なんか意外で。志崎さんって大人しいイメージだったから。そんなこと言うんだね」
「うんっ、彩ちゃん、結構面白いんだよ」
志崎さんは、僕の前ではあまり口数は多くない。
クラスが違うということもあって、桜を通して知り合うまで、僕は彼女の存在すら知らなかった。




