第2話
――三月中旬。
春一番が吹いたその日、僕は、叔母の家がある栃木県の田舎町にやってきていた。
『春はパステル色』なんて、よく分からないポスターのキャッチコピーを横目に、僕は切符回収箱に切符を放り込む。
時代に取り残されてしまったような無人駅の改札を過ぎ、外へ出た途端、まだ冷たい風が吹き付けてきて、僕は思わず目を細めた。
叔母である蝶々さんの家は、たしか駅前の通りをまっすぐ行った商店街の途中にあったはずだ。
駅に着いたら迎えに行くから電話をしてと言われたけれど、蝶々さんの家にはこれまで何度も来たことがある。
おそらく歩いているうちに道を思い出すだろう。
そう思いながら、蝶々さんにメッセージを打つ。
『駅に着いた。歩いていけそうだから迎えは大丈夫』
スマホをポケットにしまい、ごろごろとキャリーケースを引きながら歩き出す。
駅を出ると、正面には二股の分かれ道。
たしか、どちらの道も最終的には商店街に繋がっていたはず。僕は適当に右手側の道を進んだ。
ずっと昔から時が止まっているように思える商店街。
いったいだれが買うんだろうと思うような古い洋服店や居酒屋、花屋、文具屋、昭和レトロな喫茶店を横目に、僕は淡々と歩く。
通りの少し先には、これから僕が通う高校の門構えが見えた。
この春から僕は、この街にある私立高校、さくらの森高校へと進学する。
さくらの森高校を選んだ理由は特にないが、強いて言えば、家から適度に遠く、通うのが困難だったから。
ただ、親には本当のことは言えないので、校風に惹かれたからとうそをついた。
ネットには、比較的生徒の個性を尊重する自由な校風と、制服が可愛いところが特徴だと書かれている。
校風はありがちだし、制服だって可愛いとは言っても、ネットで見た限り男子はふつうの学ランだし、女子もいたってふつうのセーラー服にしか見えない。僕には。
でも、そんなことはどうだっていい。
僕はただ、あの街を出られたらそれでよかったのだから。
道を歩いていると、少し先の道路の真ん中に、黒い物体が見えた。
「……?」
なんだろう、と目を凝らす。
すると突然、黒い物体に大きな金色の目玉が見えた。ぱちぱち、と瞬きをするそれを見て、なんだ、と息をつく。
「猫か」
見たところ、まだ仔猫のようだ。黒猫は道路のどまんなかで、呑気に耳のうしろを脚でかいていた。脇に避ける気はなさそうだ。車の通りが少ないとはいえ、道路のまんなかにいるというのに。
少しひやひやして、
「おーい、そこ、道路だから危ないぞ」
と声をかけてみると、黒猫はぴたりと動きを止めた。
おもむろにこちらに向かって、
「にゃあ」
と鳴く。
そしてまた、のんびりと毛繕いを始める。
猫語で「うるせえ」とでも言われた気分になった。
「……なんだよ」
いけ好かないお猫さまだな。
ほっとこう、と思い直し、再び歩き出す。しばらく商店街を進んでいると、てんてんてん、と目の前をなにかが横切っていく。
見ると、やはりあの黒猫だ。
「……あ、お前」
歩きかたがうさぎのようで、思わず笑みが漏れる。
「なんだよ、お前。着いてきたのか?」
もう一度話しかけてみると、黒猫はちらりと僕を見てから、再びてんてんと歩き出す。
――なんだ、今の意味深な視線は。
黒猫は、意志を持ってどこかへ向かっているように見えた。
――着いてこい、的な?
なんとなく気になって、ついて行ってみることにした。
黒猫は迷わず道を進み、途中、通りを曲がって、狭い横道を進んでいく。そのまま黒猫を追いかけていると、次第に汗ばんできた。上着を脱ぎ、小脇に抱えて再び黒猫を追う。
ふと、顔を上げると、道の先に小さな神社が見えた。
大きな朱色の鳥居には、『紫之宮神社』とある。
「シノミヤ神社……?」
きれいな名前だな、と思いながらそろりと敷地の中に足を踏み入れた。
苔むした石に落ちる木漏れ日、松の枝でさえずる小鳥、香しい芳香の花々。
鳥居を抜けた先にあったのは、現実離れした美しい世界だった。
無意識のうちに、ため息が出ていた。
右手には、能舞台。その脇には、大きな一本の桜の木がある。上から覆うように枝が広がり、薄紅色の桜が舞台を彩っている。
「――桜……」
ふと、ぼんやりとした既視感を覚えて、呟く。
口を開けたまま満開の桜に魅入っていると、「にゃあ」という声が聞こえた。
「……あ、お前」
見ると、黒猫は我が物顔で舞台に上がっていた。ころころと背中を舞台の床に擦り付けている。
「自由だな、お前」
苦笑混じりに言ったときだった。ふと、視界の端になにか動くものを見た気がして、舞台の縁に目をやる。
風に舞った桜の花びらが数枚、空へ抜ける。
息を呑んだ。
桜の木の下に少女がいた。
神様がもし、春をひとの姿にしたとしたら、きっと彼女のような容姿をしているのだろう。そんなことを思ってしまうほど、桜の下に佇む少女は美しい。
少女は、清楚な白いワンピースをまとっていた。ドレープ感のあるスカートが、風を含んでふわりとふくらむ。
春休みだし、きっと観光客だろう。目の前のそれはなにも特別な光景ではないはずなのに、僕は彼女から目が離せなくなる。
ふと視線を感じたのか、彼女が振り返る。次の瞬間、視線が交錯した。
彼女がなにかを発しようと、口を開く。
「あっ……」
それを認識した瞬間、僕は反射的に、彼女から目を逸らした。目を逸らしてから、しまった、と思う。さすがにあからさまに顔を背けてしまった。変に思われたに違いない。
気まずさから、僕はその場を去ろうと回れ右をする。
「ねぇ、君」




