第18話
昼休み終了五分前の予鈴が鳴り、僕は彼女とふたりで体育館を出た。
奈良もさっきまでいっしょにいたのだが、昼休みも後半の頃、突然次の授業の教科係であることを思い出し、準備のため一足先に教室へ戻ったのだ。
先を歩いていた千鳥さんが、振り返りながら僕に話しかける。
「涼太くん、すごくいいひとだね~!」
僕は千鳥さんを送るため、彼女とともに昇降口へ向かっている。
「そうだね。といっても、奈良とは僕も今日初めて話したんだけど」
「えっ、そうなの? それにしてはすごく気が合ってたよ。きっと、涼太くんはずっと君に興味があったんだろうね」
「……そうかな」
「きっとそうだよ」
彼女はスカートの裾を軽やかにひるがえらせながら、僕の前を歩いていく。
彼女はいつ見ても眩しい。まるで、学校の渡り廊下がランウェイのように見えてしまう。
「それにしても、君はすごいね」
「え、なにが?」
「だって、あっという間に奈良と仲良くなってただろ」
「え、そうかな……? べつにふつうじゃない? 涼太くん、すごい話しやすかったし」
いや、ふつうではない。少なくとも、僕には無理だ。
昼休みをともにしてみて気付いた。
彼女は、驚くほど社交性がある。
僕と出会ったときもそうだったけど、ひとの懐に入るのがとにかく上手いのだ。持ち前の明るさと素直な笑顔で、あっという間に馴染んでしまう。
たぶん、それはきっと、彼女の笑顔にうそがないからなのだろう。
彼女なら、間違いなくクラスの人気者だ。朝の時点でまだだれにも話しかけられていないなんて言うから心配したのに、損した気分だ。
彼女の笑顔の前では、きっとどんなに気難しい人間でも、心を許してしまうのではないだろうか。
たとえばそう、僕とか。
「大袈裟だなぁ。汐風くんだって、すごく楽しそうに涼太くんと話してたじゃない」
「……そんなことないよ」
僕は、彼女みたいに、相手に向かって無邪気に笑いかけることはできない。まず、相手の顔色をうかがってしまう。
どんな人間か探ってしまうのだ。そうしないと気が済まない。
下駄箱からローファーを取り出す千鳥さんの横顔を見つめ、僕は意を決して口を開いた。
「……あのさ、僕……次、君に会えたら言わなきゃと思ってたんだけど」
思い切って話を切り出すと、彼女は手を止め、僕を見た。
「なあに?」
千鳥さんは、前へ流れた髪を耳にかけながら、首を傾げた。
「君に言われて、中学のときの親友に連絡したんだ。それでね……そいつと、ちゃんと仲直りできたよ」
こんな話をしたところで、彼女が覚えているかどうか分からない。なんの話? と言われたらさすがに落ち込むし、恥ずかしく消えてしまいたくなるだろう。でも、言いたい。これまで抱いたことのない、不思議な感情だった。
……だけど、それは要らぬ心配だったようで、
「えっ! えーっ!」
千鳥さんはぱっと表情を明るくして、
「仲直りできたの! そっかぁ!! すごい、よかったね!」
と、無邪気に笑った。
……どうやら、覚えていてくれたらしい。
僕は照れ臭さを感じながらも、うん、と頷く。
「……君のおかげ。ありがとう」
礼を言うと、千鳥さんは首を小さく横に振った。
「違うよ。私はなにもしてない。君がちゃんとじぶんとその友だちの両方に向き合ったからだよ」
「……そうかな」
「うん。すごい。本当にすごいよ」
優しい声音で言われて、僕は唇を引き結んだ。
嬉しくて、ほっとして、涙が出そうだ。
こんな気持ちになるのは、初めてだった。
「……正直、今さら話したところでなにも変わらないって思ってた。だけど向き合ってみて、初めて相手の本心を知ったんだ。……いろいろ辛かったし悔しかったけど、やっぱり、声を聞けて嬉しかった。あの頃僕、あいつのことが大好きだったんだって、今になってようやく思い出せた」
「……そっか」
千鳥さんが、おもむろに僕の前に立つ。僕より頭ひとつ分背が低い彼女は、僕の前に来ると、つま先立ちをした。
なんだろう、と思っていると――不意に、彼女の華奢な手が、僕の頭に乗っかった。
彼女は僕の頭をわしゃわしゃと撫で回しながら、言った。
「よくがんばりました。えらいです」
一瞬、なにをされたのか分からなくて、僕は硬直する。直後、すぐに状況を理解した身体が火照り出した。
「……いや、き、君に褒められても」
「いいじゃん。だって褒めたかったんだもん」
「…………」
彼女に触れられた部分がどうしようもなく熱くて、甘酸っぱい気持ちになる。
僕は千鳥さんから目を逸らしたまま、あのさ、と呟く。
「よかったら、なにか君にお礼がしたいんだけど」
「え、お礼?」
「うん……その、仲直りのお礼。君がいなかったら、たぶん一生凪とはすれ違ってたと思うから」
正直な言葉を吐くと、千鳥さんは嬉しそうにふふっと笑った。
「べつにいいのに。君は真面目だねぇ」
「……べつにそんなことない。ふつうだろ」
「うーん、お礼かぁ。なにがいいかな~」
彼女は手を頭のうしろにやって、のんびりと天井を仰ぎ見る。そして、「あっ」と、なにかを思い出したように、表情を変えた。
「じゃああれがいい! お弁当!」
「お弁当?」
「うん! 汐風くんのお弁当、すごく美味しかったから! また食べたいなって!」
「それはべつにぜんぜんいいんだけど……でもあれ、僕が作ってるんじゃなくて、叔母が作ってくれてるやつなんだけど……それでもいいの?」
「もちろん! だって、それって家族の手料理ってことだよね!? うん、やっぱり私、それがいい!」
どうやら彼女は、蝶々さんのお弁当をご所望らしい。
こう言っちゃなんだが、もっと高価なものをねだられるものと思っていたから若干、というかかなり拍子抜けだ。
「手作りお弁当、私、食べるの夢だったんだ!」
「……夢って、そんな大袈裟な……まぁでも、そういうことならいいよ。但し、叔母も仕事してるし、忙しいときは僕も購買頼りだから、次お弁当持たせてくれるのがいつになるかは分からないけど」
「じゃあ、その『次』を楽しみにして毎日登校するね!」
仕方ないか、と了承すると、彼女は鼻歌を歌い始めるほどご機嫌になった。
「あんまり期待し過ぎないでね!」
彼女の弾む背中に叫んだけれど、果たして聞こえているのだろうか、と、若干不安になるのだった。




