第16話
階段の半ばあたりに差し掛かったところで、予鈴が鳴った。
急ぎ足で階段を駆け上がり、教室の扉を開ける。扉を開けた途端、クラスメイトたちの視線が一斉に僕へ向いた。三十人分の眼差しの圧に気圧されつつも、僕は足音を立てないようにして自席へと戻る。
本鈴はまだ鳴っていないため、先生の姿はまだない。セーフだ。
先生が来るまで、あと数分。続きが気になっていた文庫本をすかさず開く。……が。
「なぁなぁ錦野。さっきのって例の転校生だよな? もしかしてお前、知り合いなの?」
奈良に話しかけられてしまった。
僕は仕方なく本を閉じ、彼に応じる。
「……べつに。ただ、何度か会ったことがあるだけだよ」
目を合わせないまま答えた。しかし奈良は、僕の態度を気にする素振りはない。
「へぇーそうなんだ。なぁ、あの転校生って、名前なんて言うんだ?」
「千鳥さんだよ」
「千鳥? ふぅん、千鳥か……あれ。千鳥って、どっかで聞いたような……?」
奈良は千鳥さんの名前を聞くと、なぜか眉を寄せて考え込み始めた。
「どうかした?」
彼の反応が気になって、聞き返してみると、
「あ、そうだ。思い出した。小学校のとき、たしか同じ苗字の子がクラスにいたんだよな。うわ、懐かしいなー」
「えっ、じゃあ奈良は、千鳥さんと同じ小学校だったってこと?」
でも彼女は、学校に通うのは初めてだって言っていた気がするが……。
首を捻っていると、
「いや、さすがに別人じゃない?」
と、奈良はそう言ってあっさりと前を向いた。
***
そして、昼休み。僕は開口いちばん、疑問を呈した。
「……あのさ、今さらだけど、なんで奈良がここにいるわけ?」
僕は今、体育館の二階、折り畳まれた卓球台の裏でお弁当を食べている。
右どなりには、千鳥さん。そして、左どなりには、なぜかクラスメイトの奈良がいるのだ。
千鳥さんと約束をした昼休み、昼食を持って彼女と待ち合わせした購買部前に行くと、ちょうど購買部でパンを買っていた奈良と遭遇した。
そして、話しかけてきた奈良と話しているところに千鳥さんが登場し、なぜかそのままの流れで昼休みを三人共にすることになったというわけである。
奈良を問い詰めると、彼はのほほんとした口調で、
「まーま、細かいことはいいじゃん。あ、それとも錦野は、千鳥さんとふたりがよかったとか? もしそうだったらごめんなぁ、邪魔しちゃって!」
などと言って、からかうような眼差しを向けてくる。
「違うってば」
冷めた口調であしらってから、僕は千鳥さんを見た。待ち合わせたときから気になっていたことを訊ねる。
「……で、千鳥さんにも聞きたいんだけど、君、お昼は?」
千鳥さんは、手ぶらで待ち合わせ場所にやってきたのだ。購買でパンを買うわけでもなく、ポケットからカロリーメイトなどの栄養補給食品が出てくるわけでもない。
僕たちがご飯を食べ始めても、彼女だけは一向に昼食を取り始める気配がない。
訊ねてみれば、
「ん? ないよ?」
返答に、僕は耳を疑った。
「元々半日で帰ることになってたから、私、お昼持ってきてないんだよね!」
「……それならなんで購買で買ってこないの」
ため息混じりに言うと、千鳥さんはぽんっと手に手を置いて、なるほど! という顔をする。
「その手があったか! それじゃあ今から買いに行ってこよっかな」
と、軽やかに立ち上がる千鳥さんを、僕は真顔で止める。
「無駄だよ。もうなにも残ってないって」
「えっ、そうなの!?」
「うん。さすがにもうないだろうね」
奈良も僕の意見に賛同する。
そうなのだ。この高校の購買部は、異常なほど人気がある、若しくは異常に品数が少ないのか。とりあえず売り切れるペースがとてつもなく早いのだ。
「がーん、そんなぁ」
千鳥さんは、魂が抜けたような顔をしている。ショックを全身で表しているらしいが、お昼を食べ損ねたのだ。分からなくはない。
「とりあえず購買は無理だし、どうしようか……」
「まぁ、私のことは気にしないで食べてよ。病院に戻ったらちゃんと食べるし! もともとそのつもりだったし!」
悩んでいると、さっきまで落ち込んでいたはずの千鳥さんはケロッといつもの調子に戻っていた。
「え? いや、でも」
一瞬、変わり身の速さに拍子抜けする。まるで初めから用意していたような言い回しに感じた。
「いいのいいの! 本当に気にしないで!」
「……でも」
さすがにお腹を空かせている彼女の前でじぶんたちだけで食べるというのは、ちょっと忍びない。
そう思っていたとき、
「あ、じゃあ俺のちょっとやるよ! ほら、この唐揚げひとつどーぞ」
と、奈良が切り出した。その手があったか、と今度は僕が手に手を置く番だった。
「それなら僕も」
奈良にならって、僕も蝶々さんが作ってくれたお弁当から、玉子焼きとハンバーグをお弁当のふたにのせて渡す。
「えっ、いいよ、そんなつもりじゃなかったし」
差し出されたおかずを見ながら、千鳥さんは少し困った顔をして遠慮をする。それでも、奈良は笑顔で彼女に唐揚げが刺さった爪楊枝を差し出した。
「いいからいいから! 飯はやっぱりみんなで食べたほうが美味いじゃん?」
「えっ、そうなの? そういうもの?」
千鳥さんが意見を問うように、僕を見る。
「うん、まぁ……それに、君も食べてくれたほうが、僕たちも食べやすいし」
千鳥さんは奈良の意見に同意した僕を見て、そのまま僕の手元に視線を落とす。
「……じゃあ、ありがとう」
千鳥さんは少し申し訳なさそうな顔をしながらも、そろそろとおかずを受け取った。
千鳥さんは爪楊枝に刺さった唐揚げをゆっくりと口に持っていく。
なんとなく、僕たちはその光景を緊張気味に見つめる。
ぱくり、と彼女が唐揚げを食べる。しばらくもぐもぐしていた千鳥さんが、パッと奈良を見た。目がきらきらとしている。
「おいひい!!」
「よっしゃー!」
じぶんが作ったわけでもないだろうに、奈良は千鳥さんの反応に大袈裟に喜ぶ。その喜びように、千鳥さんも嬉しそうに笑う。
「この玉子焼きも! すごい美味しい!」
「……そっか、よかった」
なんとなく、大袈裟に喜んだ奈良の気持ちが僕にも分かった。これは蝶々さんが作ったお弁当だけど、褒められるとなぜかじぶんが褒められたみたいに嬉しくなるのだ。
ふと、じぶんを省みる。
そういえば僕は、蝶々さんにちゃんと『美味しい』って言っていただろうか。
蝶々さんはどれだけ忙しくても、必ずご飯を用意してくれる。たまに手を抜くこともあるけれど、彼女の場合はそれすらも僕に気遣わせないための配慮だろう。
……こういうのは、当たり前になっちゃダメだ。
今日は晩御飯のときに『美味しかったです』と、ひとこと言おう。そう、ひそかに心に決めた。




